第八場 必然

~~大聖堂地下三階~~


「どうして邪悪なこと考える奴って、暗ぁ~いジメ~ッとしたところを根城にするんだろうね?」

「口の減らない奴だな。これだからイングランド男は嫌いだ」


 虫が吐き出したねばつく糸で手足をグルグル巻きにされ、きちんと並んで行進する虫たちの背に乗せられたウィリアムは、すぐ横を歩くジャンヌダルクの尻を見上げていた。


「田舎育ちの羊飼いの娘が、突如神の啓示を受けてフランスを救う。このリアル設定はすごいね。おれも思いつかないや」

「敗戦が続いて、捕えられてからは聖女から魔女に早変わり。フランス王にも見捨てられる。これもいいプロットだろう」


「ところが大主教の物語では君は処刑されずに生き延びて、フランスに復讐する役とか?」

 ジャンヌダルクは蠱惑的な笑みを浮かべる。

「フランスだけじゃない。世界に、だ」


 そこはセント・ポール大聖堂地下三階の奥、知られざる部屋だった。虫の背から放り出されたウィリアムは、全体を見回す。あらゆるまじないや呪いに関する書物が、360度の壁一面を天井まで埋め尽くしている。耐えることなく篝火かがりびが焚かれる中、一人の老人が机で貪るように書を読みふけっていた。


 イングランド国教会の頂であるカンタベリー大主教。異端者の生きた肉を食らい、視力を失ったと聞かされたが、その白濁した眼球は確かに文字と対象を捉えていて、得体の知れぬ不気味さを呼び起こす。


「大主教さま、連れてきました」

「ジャンヌ、かわいいジャンヌよ。よくやってくれたぞ」


 声はしわがれた老人そのものだ。ジャンヌダルクは跪き、差し出された鳥の骨のような手に頬と唇をすり寄せ、続いて唇を吸った。ダークグリーンのローブを目深に被った老人が曾孫ほど歳の離れた若い娘を求める姿に、思わずウィリアムは笑ってしまう。


「手足縛られて笑うてるって、こないなの好きなん?」

 広い机に肉感的な太腿を乗せているのはタモラだ。

「違うよ。ハーレムがご老人の夢だったんだなぁって思ってさ。あんたも大主教ラブなんだろ? それからリーガンとゴネリル姉妹が奪い合ってたのもあの爺様」


 部屋の奥からまた別の女が出てくる。今度は痩せ型で背が高く気位まで高そうな、9頭身はある美女だった。

「色んなタイプ作るねえ。勉強になるよ」


「ようやく会えたな、ウィリアム・シェイクスピア。この時を待っていたぞ」

 大主教の光を捉えない目がウィリアムを捕える。いや目ではない、心眼とでもいうべき何かでこっちを見ている。


「待っていたのはおれの肉だろ?」

「その頭脳も、感性も、腕も待っていた。認めようぞ、類まれなる才能を」

「悪いけど、ひとつも嬉しくないな」


「あんまり生意気なこと言うと刻むで」

 獲物の喉に噛みつかんとする肉食獣のようなタモラ。

「タモラ、大主教さまはこの男と話されたいのよ。お控えなさい」

 9頭身美女に張りのある美声で言われ、タモラは牙をひっこめる。


「じゃおれから聞くけどさ、なぜ世界をひっくり返そうとするのさ。フランスとの戦が終わったと思ったら王権争いの内乱になって、ようやく手に入れた平和な時代じゃないか。そんなに女王が嫌いか?」


「必然なのだよ。イングランドが失ったものを取り返す、与えられた屈辱を与え返す。それにはエリザベスでは、テューダー家ではぬるいのだ」

 テューダー家は、かつて争ったランカスター家とヨーク家の和で成った王朝である。


「そのためにわざわざヨーク家の怨念を利用するってわけ? まあ、ものの善悪なんて人の考えよう次第だからね、それ自体には善も悪もないんだけど。でもどうかな」

 ウィリアムはジャンヌダルク、9頭身美女、タモラへと順に視線を送った。


「魔法で作られた君たちですら、片目はあなたを見ているけれど、もう片方は心が向く方を見てしまうの、なんて言い出さないとも限らないだろ? だから、まして作られた存在じゃないライラがあんたの台本通りになるわけないよ」

 ウィリアムのセリフに女どもが殺気立つ。


「おのれイングランド男が! 破滅に見舞われるがいい!」

「うちらが裏切る言うの?」

 叫んだジャンヌダルクを遮り、タモラが前に出る。


「タモラ、おやめな———」

「マーガレット、よいぞ」

 9頭身美女を今度は大主教がたしなめた。タモラが机から降りる。


「あんたこそ魔法の力を持ちながら、劇作家の真似事なんかして何になるん? その力で世界を手に入れられるゆうのに。女王の犬のあんたには宝の持ち腐れやわ。大主教さまに渡したらええのに」


「世界なんか別に手に入れたくないし。平和な時代にこそ劇が必要なんだよ。芝居の目指すところは、今も昔も自然にありのままに対して鏡を向けて、正しいものは正しい姿に、愚かなものは愚かな形のままに映し出して、生きた時代の本質を示すことだ。だから平和な時代に産まれたおれは、芝居を書く」


「ほな、書けへんようにしたろうか。蜂を生かしとくとまた刺しに来るやさかいね」

 豊満な胸を揺らし優雅にタモラが近づいてくる。


「字書けへんように両腕を切り落とそか。口述できひんように舌を切り落とそか。どや?」

 至近距離で見つめ合う瞳は、ピンク色の髪と相まって妖しく獰猛だった。


「たとえ腕を失っても、舌を失い喋れなくなったとしてもおれはやめない。ペンを口に咥えてでも描き続けてやる。おれは自分のキャラたちを手放さないよ」

 タモラの目に負けない強い光でウィリアムは言い切った。


「分かってくれへんのね」

 長い爪で顔を撫でられる。まるで死体のようなその固さと冷たさに怖気が走る。

「ライラと、アンって言うたっけ。あの二人の花を散らすのんはどや? 二人を蹂躙じゅうりんしたら、坊やと見習い司祭の血で手ぇ洗うわ」


「そんなことをすれば、宝珠オーブは二度と手に入らないよ」

「そやなあ、宝珠がのうてもあんたの力を手に入れれば、それで済むかもしれへん」

 顔を撫でていた手をタモラは首筋、胸へと滑らせる。


「温かい紅の血、風に水面を乱されながら沸々と湧く泉さながらに溢れ出る様は、美しいやろうね」

「肉は1ポンドきっかり、それより少なくても多くてもならないとか、切り取るのに一滴たりとも血を流してはならないとか、そういうのない?」


「ざんねん」

 タモラはにっこりと微笑むと、腕をウィリアムの腹に突き入れた。感じたのは、皮膚の内側で肉塊を掴まれる感触だった。



※マーガレット『ヘンリー六世 第一部・第二部・第三部』『リチャード三世』に登場。ヘンリー六世の妻。


※「ものの善悪なんて人の考えよう次第だからね、それ自体には善も悪もないんだけど」『ハムレット』第二幕第二場ハムレット

※「片目はあなたを見ているけれど、もう片方は心が向く方を見てしまうの」『トロイラスとクレシダ』第五幕第二場クレシダ

※「芝居の目指すところは、今も昔も自然にありのままに対して、いわば鏡を向けて、正しいものは正しい姿に、愚かなものは愚かな形のままに映し出して、生きた時代の本質を示すことだ」『ハムレット』第三幕第二場ハムレット

※「肉を切り取る用意をせよ。血は一滴たりとも流すなよ、また肉はきっかり1ポンド。それよりも多くても少なくてもならない」『ヴェニスの商人』第四幕第一場ポーシャ


※『タイタス・アンドロニカス』

ローマの貴族タイタス・アンドロニカスは、10年にわたるゴート族との戦いに勝ち、女王タモラと3人の息子を捕虜に凱旋する。戦死した自分の息子を弔うため、タイタスはタモラの長男を生贄にする。タモラは泣いて懇願するがタイタスは聞き入れない。

ローマ皇帝妃となったタモラは愛人のエアロンとともに復讐に出る。息子たちにタイタスの娘ラヴィニアをレイプさせたうえ、犯人を伝えられないように舌と腕を切り落とさせた。更にタイタスの息子2人を処刑し、首を送りつける。

ローマを追われたタイタス親子はゴート族に身を寄せようとするが、ラヴィニアが口に加えた棒で地面に文字を書いて、タモラの息子の名を伝える。激怒したタイタスは、ラヴィニアと共にタモラの息子を殺し、その肉をパイの中に押し込める。皇帝夫妻との和解を装いながら、宴席でタモラに食べさせるのだった。

シェイクスピア作品随一のグロさ。タイタスも自分の腕をぶった切ったり、最後にはラヴィニアまで殺して…。コメントでも頂きましたが、古代ローマってほんと恐ろしい。

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