第四場 ソーセージじじい

「お嬢さん、さあ涙を拭いて」

 そう差し出されたハンカチの汚ったないこと。


「いぃいいでずっ」

 即断ったにも関わらず巨漢のおじさん、フォールスタッフは丸っこい人差し指でライラの頬を拭う。


「美しいあなたに涙は似合わない」

 悪いけどまったく響いてこないのは、おじさんの丸々ツヤツヤした顔面、そして横幅と厚みと存在感のせいだ。樽がデーンと鎮座しているようで、多分体内の半分は脂肪、もう半分は酒が詰まっているのだろう。


「このオレがお嬢さんに惚れたのはなぜか。それこそがお嬢さんが素晴らしい女性という立派な証拠だ。オレは女をおだてて騙すなんて器用なことはできない男さ。お嬢さんには惚れられるだけの値打ちがある」


 と、フォールスタッフはライラの顎を太い指でつまみ、クイと自分の顔の方へ向かせた。

「その頬を濡らす代わりに、キスで潤そう」

「絶対やだ」


「恥ずかしがることはない。恋ってやつは時に人間をケダモノに、ケダモノを人間に変えちまうものだ。大神ゼウスは牡牛の姿でエウロペを略奪し、白鳥の姿でレダとヤった」

 ちなみにゼウスとはギリシア神話の主神で、天界一女にだらしないゴッド・オブ・ゴッドである。


 頭おかしいのねこの人。目が点になったライラにウィリアムとトニーが吹き出すが、当のフォールスタッフはまるで気にしない。手を離すと今度は両手を広げる。

「お嬢さん、この体を物欲しそうに眺めまわしてオレ様に惚れたかい?ホラ、お嬢さんの目の光がオレの足を差したかと思うと、次は立派なこの腹だ」


「いよっ、えるね馬糞の山!」

 ツッコミはもちろんウィリアム。それにしても見事な曲線、完全なまん丸のお腹である。


「るっせぇ!おいそこのガキ、酒だ、酒を持ってこい」

「うおーーっ!魔法に話しかけられたぁ!すっげええぇぇ!!」

 目を輝かせたトニーは、フォールスタッフの体をベタベタ触る。


「ちゃんと実体があんだな。痛みとかは感じるのか?」

「あたぼうよ。オレ様のソーセージの方も絶好調でな、通じ合ってきた女の数は2千じゃ足りんぜ」

「お、おぉう…すげぇな」


 フォールスタッフはライラの方を見ながら股間に手をひらひらさせ、卑猥な動きをした。

 もう!そればっかり!ソーセージ食べる気しなくなるから、ほんとやめてほしい。


「本気にしなくていいよ、こいつ慢性金欠&女欠の大ホラ吹きジジイだから」

「言われなくても耳スルーするわ」

 でも、おかげで涙はもう出なかった。


「これが魔法なのか…?信じられない…」

 マシューは開いた口が塞がらない。彼の魔法も十分凄かったのだが、確かに桁が違う。


「これは何なのだ。お前が作り出したのか?」

「そんなとこかな。おれ、こいつらと劇作家目指しててさ」


「大主教が欲しがっているのはこの力…。だからお前の肉1ポンドを食することで力を手に入れようとしているのか」

 今、肉食べるって言った?無論今夜食べるはずだった牛肉煮込みのことではない。


「大主教が人肉を食らう悪魔だと、こりゃ傑作だ!そんな奴がどこにいるんだ?お前さんの頭ん中だけにいるんじゃないのかい?」

 発言したのは自分こそ空想キャラのおじさんだ。


「妄想じゃない、本当だ!私は見たんだ!」

「へえ、なにを?」

 ふいにウィリアムの目が鋭くなる。マシューはしまったと顔を引きつらせるが、もう遅い。仕方なく口を開く。


「…大主教は、処刑される異端者たちの肉を食して魔法を手に入れたんだ。呪われた暗黒魔法だ。私が見たとき魔法は失敗だったけど、その顔は恐ろしい…もはや人間ではなかった」


「暗黒魔法で何するつもりかな」

「分からない。だがあの暗黒だけでは足りず、更なる力を求めているに違いない。力とはそういうものだろう?」


 それは、マシューの体内にも同じ気持ちが流れているということだ。もちろん彼の場合はもっと深い傷を癒したいとか、多くの病を治したいとか、聖なる方向だろうが。


「御歳80超えのご長寿が暗黒魔法とか、ジメジメしてるねえ。カンタベリーは日照不足なんじゃないの?」

 それを言うならロンドンも、特に今年の4月は雨ばかりなのだ。まさかこれも暗黒魔法の影響だろうか。


「オレ様は呪いとか妖精が大嫌いだが、そいつの『ポット』は何なんだ?奪っちまえば魔法なんか使えねえだろう。どうだオレ様の比類ねえ知恵を機敏に働かせたこの提案」

「鍋って?」

 完全スルーしてライラが問うと、答えてくれたのはマシューだった。


「魔法の源は遥か彼方、天の星が放出する雫なんだ」

 生きとし生けるものは誰しも、出生時の星図、そして今現在の星の配置がもたらす影響を少なからず受けている。そして魔法が使える者は、特に強い影響を受けていると言われる。


「魔法を使うには、人体に注がれた目には見えない星の雫を変換する装置が必要で、それを『鍋』と呼んでいる。ほら、魔女が大きな鍋をぐつぐつ煮て何やら作っている絵を見たことがあるだろう?」


 なるほど、その魔法精製鍋がウィリアムには自身の手で書いた文字、マシューにはろうそくの炎というわけだ。


「それで大主教の鍋は何なの?」

宝珠オーブだ。カンタベリー大聖堂に伝わる神器で、太陽と月の対になっている」


「タマは2つなきゃな」

 フォールスタッフおじさんのツッコミに、トニーがニヤッとする。

 またそっち系が始まるのかと、いい加減ライラは辟易したがそうではなかった。


 ゴトッとテーブルに置かれたのは、不吉なほど青い宝珠。上部には十字架、周りには金のつるのような装飾が巻きついている。


「ななっ…なんで大主教のタマがここにあるんだよぉぉ!」

 悲痛なマシューの叫びがサザーク教会にこだました。



※フォールスタッフ

『ヘンリー四世 第一部・第二部』『ウィンザーの陽気な女房たち』に登場する、シェイクスピア作品で圧倒的人気ナンバーワンのオッサン。酒と女と博打をこよなく愛する。今回のセリフはほぼ『ウィンザーの陽気な女房たち』より。


※『ウィンザーの陽気な女房たち』

エリザベス女王の「恋するフォールスタッフが見たい」というリクエストで作成されたと言われる。

ロンドンの西郊外ウィンザーに辿り着いた女欠と金欠のフォールスタッフが、2人の裕福な人妻に全く同じラブレターを送りつける。専業主婦生活に飽きていた2人の妻ペイジ夫人とフォード夫人が、騙されたフリをして逆にフォールスタッフを懲らしめていく話。タイトルの「ソーセージじじい」はペイジ夫人のセリフ。


※「いよっ、(朝日に)映えるね馬糞の山!」第一幕第三場 ピストル(フォールスタッフのパシリ)

※「そんな奴がどこにいるんだ?お前さんの頭ん中だけにいるんじゃないのかい?」第四幕第二場 ペイジ夫が嫉妬妄想に囚われているフォード夫に言う。

今も昔も#寝取られ は人気ワード。当時、妻を寝取られることを「夫に角が生える」と表現していたため、シェイクスピア作品には随所に角ギャグが散りばめられている。

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