第36話:環世界にようこそ!・6
「要するに、私が心臓を抜かれたり全身を刻またりする過程で群体になるのを黒華は期待してたってことかな」
「そーだね。こーいうのって理屈だけ聞いてもわからないからさ。自転車に乗る練習と同じで、横から見てる観察者じゃなくて自分で経験する当事者でないと」
「昨日椿ちゃんが襲ってきたのも黒華の計画通り?」
「それはホントに想定外。私は葬式のために適当な料理人と音楽家をDwitterで募集しただけだよ。椿ちゃんとLINEで葬式の話はしてたから、裏でスイミーと連絡取って計画練ってたんだろーね。ま、アンダーグラウンドではそーいうことってよくあるし、そのおかげでお姉ちゃんの群体化が完了したのはラッキーだったけど。でも私の心臓が奪われたのはアンラッキー!」
「ああ、あの蚊が群がってる方の心臓」
ジュリエットがお茶菓子を出してきた。茶色い生地を白いチョコで装飾したジンジャーブレットマンだ。
本来は人型やハウス型をしているはずのショウガ味のクッキーだが、どれも虫を模している。蛆虫、蚊、蛞蝓、蜘蛛。どれも可愛らしくデフォルメされているとはいえ、悪趣味と言うべきかお茶目と言うべきかは微妙なラインだ。
「それってやっぱり私が埋められてる間に黒華たちは負けてたってことじゃないかな」
「うー、負けだよ負け。お姉ちゃんの心臓はなんとか死守したけど、私の心臓までは手が回らなかったんだ。向こうが飛んで帰ったあと、なんとかサークロさんに連絡してヘリでここまで運んでもらうのが精いっぱいだったよ。敗因って何だと思う? ジュリエットさん!」
「一つに絞るならば、椿様が優秀だったことに尽きると思われます。彼女自身の戦闘能力は高速飛翔くらいしかありませんが、軍師として有能極まる人材で御座います。厄介な蚊の群れを天候で対策し、わたくしには天敵のジュスティーヌを当てて足止め、防御要員の紫様と遊希様を飛び道具でまとめて拘束したのち、最も殺傷力の高いサミー様に離れた場所で確実に白花様を殺しに向かわせる急襲計画。非常によく練られております。次にお会いしたときには侮ったことを謝罪しなければなりませんね」
「完璧メイドさんのジュリエット的には余裕ぶったせいで負けるのはセーフなのかな」
「優先順位の問題で御座います。死に物狂いで血を吐いて必死に勝利をもぎ取るくらいなら、余力を残したまま負ける方が優雅というものです。先ほども申し上げた通り、敗北からでも得られるものは多くあるのですから」
その言葉通り、ジュリエットは相変わらず落ち着いた手つきで自作のジンジャーブレットを口に運ぶ。
白花はサラダチキンを食べたばかりでお腹が空いていないつもりだったが、サクサクという咀嚼音を聞くと食欲が湧いてくる。
「椿さん、お姉ちゃんが切っても殺せないってわかった段階でリノベ用のコンクリートを使って生き埋めを狙う機転が凄いよね。しかもその場のアドリブでそれが出来るんでしょ。かなり才能あるよ。間違いなくアンダーグラウンドでもやってけるね」
「ていうか、黒華ってもっと強いと思ってたけど。ヴァルタルさんを殺したときは私の蚊は即死能力持ちですみたいなこと言ってめちゃめちゃドヤってたじゃん」
「あれはねー、実はかなり盛ってるんだよねー。私の蚊はいつだって即死攻撃出せるわけじゃないし、むしろそっちの方がレアケースなの。そもそも蚊って疫病の媒介者ではあるけど、疫病の発生源じゃーないんだよ。病気を伝染させたければ、必ずその元になる感染者がいないといけないワケ。直前に重病人に接触してるとか、近い範囲に重病人がいるとか、そーいう条件をクリアしないと病気を運べないの。あの日はたまたまコンディションが整ってただけ。今だと、私の蚊に刺されたところでせいぜいちょっと痒くなるくらい」
「それウナコーワクールでどうにかできるレベルでは?」
「小虫にあんま大きな期待しないでよ。ただ、そのあたりは椿さんの優秀さが裏目に出たよね。彼女は管理局で一度私の襲撃を見てるから、昨日も蚊柱をずっと警戒してほとんど睨み合ったまま動かなかったんだ。私がウナコーワクールパンチで倒せることはまだバレてないはずだから、今も勘違いしたままだといいけど」
黒華はホワイトボードに蚊と病原菌の関係を記した図を書き始めた。手早い割に字もイラストも綺麗だ。線に迷いがない。さっきの発表もそうだったが、人前で説明することへの慣れを感じる。
それを聞きながら白花も蛆型のクッキーに手を伸ばすが、途中で思い直した。自分でクッキーを取る代わりに、ジュリエットに向かってクッキーと自分の口を交互に指さすジェスチャーをする。
ジュリエットはすぐにその意図を理解し、摘まんだクッキーを白花の口の前に差し出してきた。餌付けされる小鳥のように口でクッキーを取ると、やはり蛆が湧いていない。ショウガ味の効いたクッキーは感動的な美味しさだった。
しかし、せっかく蛆が湧いていないのに、食べているクッキーが蛆の形というのは本末転倒な感じだ。多少スケールの違いはあれど、「蛆を食べている」という表現がふさわしいことには違いはない。
黒華は一通りの図を書き終わると、「リベンジ戦対策会議!」と一番上に大きく書いて向き直った。
「あ、やっぱりリベンジ戦やるんだ」
「そりゃまあ、私とジュリエットさんの面子の問題もあるし、私の心臓は取り戻しておかないとだしね」
「ひょっとして、奪われてる心臓を潰されたら黒華って死んだりする?」
「死なないよ、ディヴィ・ジョーンズじゃないんだから。お姉ちゃんが自分の心臓を勝手に移植に使われても気付かなかったのと同じで、心臓が壊されたくらいじゃダメージのフィードバックは来ないはず。でもレアアイテムなのは間違いないし、ちゃんとリベンジしましたよっていうミッションクリア条件としてはそれが一番手頃じゃん。目には目を、強盗には強盗を」
「こっちサイドとしては、強盗っていうよりは単に取り返すだけじゃないかな。私の心臓ならまだしも、黒華の心臓を奪ったってことは向こうが先に仕掛けてきたってことだよね」
「鋭いね、お姉ちゃん。そのとーり。もし椿さんがお姉ちゃんの心臓の方をパクったなら取引の妨害っていう建前が通るけど、実際には報酬の方を奪ってるから単なる窃盗でしかないんだよね。でも、アンダーグラウンドは表社会じゃないから法の秩序を守る超越者はいないんだ」
「仰る通りで御座います。無法な行いをしたところで『仁義がない無礼者』と見られるか『破天荒な傾奇者』と見られるかは状況によりますし、今回の椿様の評価は圧倒的に後者だと思われます。具体的に言えば、『有力者を何人も出し抜いて心臓を奪取した大型新人』というところでしょうか。ただ、恐らく椿様はそのあたりの評価の感覚をまだよくわかっておられないはずですので、追加で仲間を募る可能性は低いのは幸いで御座いますが」
「じゃあ、こっちも仲間は募れないってことかな」
「そだね。下手に大袈裟に騒ぐとむしろ向こうに味方が付きそーだし、そもそも事件が割とローカルだからね。今回の事件って私が不注意で心臓をパクられただけで、アンダーグラウンド全体が不利益を被るやつじゃないから。そーなると協力してもらうための対価も多分かなり高く付いちゃう。何せ、向こうは黒華とジュリエットを出し抜いたって箔が付いてるからさ、ちょっとやそっとじゃ割に合わないってやつだ。ま、それでも私はそんなに大変じゃないと思ってるよ。お姉ちゃんが群体者になって蘇生してることと、向こうはそれを知らないってことがこっちの最大のアドバンテージ。群体者のインチキぶりは奇襲で一番輝くからね」
黒華が白花の肩に手を置いてグッとサムズアップするが、白花の頬を冷や汗が流れた。
「あー、いや、それはもう知られてるかな」
「え、なんで?」
「ここに来る前、椿ちゃんに電話して直接会っちゃったから……」
黒華が左右の眉を別々に傾ける器用な表情で驚いた。ジュリエットも珍しくクッキーを食べる手を止めて白花を見る。
「会ったの? 昨日の今日で? なんで?」
「連絡できる友達が他にいなかったから」
「何かされなかった?」
「サラダチキンといろはす食べさせてくれたよ」
「そーだ、お姉ちゃんはそーいう人だった」
「でもその代わり、今日椿ちゃんがどこにいるか知ってるよ。富士急ハイランドのチケットを三枚持ってたから、多分そこでサミーとレイスと遊ぶんじゃないかな。あの三人って古い友達らしいし、久しぶりに会ったらしいし」
「それを早く言え!」
黒華がパイプ椅子を吹き飛ばす勢いで立ち上がった。ジュリエットもそれに続き、壁際で眠っている紫と遊希を寝袋のまま素早く小脇に抱えた。
「お姉ちゃん、今からヘリ乗って襲撃行くよ! 富士急ならここから近いし!」
「ええ、山間部であれば管理局への配慮も最低限で済みます」
いきなり走り出す二人に白花も慌てて続く。廊下ですれ違ったサークロが徹夜明けの疲れ果てた顔で五人を見送った。
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