第33話:環世界にようこそ!・3

「あ、椿ちゃん? こちら白花です」

「……………………はい?」


 大学時代を通じて唯一の友人、後輩の椿ちゃんに電話が繋がった。


「まず一つ確認していいかな。昨日、椿ちゃんが私をコンクリート詰めにしたのは合ってる?」

「……ええそうですね、確かに昨日私は先輩を井戸に叩き落としてコンクリートを流し込みましたよ」


 ひとまず言質が取れて安心する。埋めた本人が言っているなら間違いない。

 これで夢落ち説とかパラレルワールド説とか、根本からのちゃぶ台返し的な事態は回避できる。考えるべきことはコンクリートに埋まったあとに何が起きたかだけだ。


「そっちは先輩の怨霊ですか? 人を殺したのは初めてですが、幻聴が聞こえるほど精神が参っているとは思いませんよ」

「うーん、よくわかんない。私も生きてて困惑してるところ」

「本物ならなんで自分をコンクリートに埋めて殺そうとした相手に普通に電話かけてるんですか? どういう神経してるんですか? 頭がおかしいんですか?」

「だって私、他に連絡できる友達いないし。スマホはコンクリートの中に忘れてきちゃったみたいでさ」

「先輩、あまりにも友達がいなさすぎて友達感覚がバグってますよ。普通、本気で息の根を止めようとしてきた相手はもう友達じゃありません」

「そうかな。私は今でも椿ちゃんが金欠だったら五千円くらいカンパしてもいいくらいの気持ちでいるよ」

「引きこもりの無職に無心するくらいなら私は腹を切ります。それで何の用事なんですか? まさかわざわざ生存報告というわけでもないでしょう」


 話している間に頭がクラクラしてきた。貧血で軽い眩暈がする。喋りすぎて喉が渇く。受話器を持って上半身を起こしているのが辛い。

 蘇生してから何も口にしていないが、家には腐りかけて蛆の湧いた食糧しかない。本来の用事とは違うが、切実なお願いがつい口をついた。


「悪いんだけど、もし今暇だったら適当な食べ物と飲み物買ってきてくれないかな。今家にいるんだけど、蘇りたてだからかうまく動けなくて。この体調でいつもの廃棄弁当を食べるのは辛いし」

「マジですか? ひょっとして今、私は昨日コンクリ詰めにした相手にその看護をお願いされてるんですか?」

「そうなるね」

「……わかりました。先輩が本当に生きてるならこっちも考え直さないといけませんし、今から適当にコンビニで何か買って行くので、そこで動かずに待っててください」

「コンビニで買うなら、いろはすの何かフルーツ系のフレーバーが付いてるやつと、サラダチキンお願い。できればプレーンじゃなくてタンドリー……」


 そこで電話が切られた。

 椿の到着は早かった。電話を切ってから僅か十分ほどで現れる。いつもの合鍵で玄関を開け、最初から翼を使って飛んでくる。

 今日はいつものスーツではない。ストライプのカットソーにデニムパンツというややマニッシュな服装だ。左肩にはシンプルなショルダーバッグ、右手にはコンビニ袋を持ち、完全に友達の家に遊びに来るときのコンディションに見える。

 三年ほど前にタイムスリップしてしまったのかと錯覚するが、大学時代の椿は白花に対してこんな口を利かない。


「うっわ、本当に生きてる」

「ありがとう。今日って祝日とかだっけ? もう出勤時刻だと思うけど、それってオフの服装だよね」

「管理局はクビになりましたよ。昨日は独断でアンダーとの抗争を起こしましたし、ジュスティーヌさんに渡す武器とかも管理局の倉庫から横流ししましたからね。帰って呼び出されて即クビです。まあ、それは覚悟していたので別に構いませんが」

「粛清とかされないんだね、裏事情とか色々知ってるのに」

「多分アンダーグラウンドとの政治的なアレコレってトップシークレットってほどでも無いんでしょうね。ヒラは知らないけどキャリア組なら誰でも知ってるくらいのやつだと思います。私だって新卒一年目で教えてもらったわけですし。あと、黒華ちゃんと繋がりがあるのも大きかったです。LINEで友達になってることを退職面談でチラつかせたら逆に退職金というか、手切れ金まで貰っちゃいました。下手に私を突っついて無駄な争いを呼び込むよりは円満に追放する方がコストが低いって判断したんでしょう。というか、私の心配してる場合じゃないですよ。先輩こそ、私に居場所を伝えたらもう一回殺されるとか思わないんですか?」

「だって殺せないでしょ。バラバラに刻まれてコンクリート詰めになってもまだ生きてる私を十分ちょっとの準備でどう殺すの」

「それはそうですが、もっと気持ち的なことを言っているんです。友達が殺そうとしてきたことに対するショックとか無いんですか?」

「全然。ちょっと裏切られたり殺されたりしたくらいじゃ私が友達をやめる理由にはならないよ。そのくらいで友達じゃなくなる方が浅くない? だって、殺したら友達じゃなくなるってことは最初から条件付きの友達だったってことだよね。無条件に友達、絶対に友達なら、親を刺しても子供を絞めてもずっと友達のはずだよ」

「うわ先輩、その発言は結構ヤバいですよ。病みを超えてサイコ入ってますよ。人間、友達がいないとここまで拗らせるんですねぇ」

「それに椿ちゃんが今ここで私を殺す意味は特にないよね。椿ちゃんの目的なんて昨日教会で会ったときからわかってるよ。どうせアンダーグラウンドに憧れて何か派手なことをしたいけど、具体的な思想も目的も特にないから、ホットな事件の中心にいる私を殺すっていう名目で抗争を起こして何かパーッと目立ちたいんでしょ」

「付き合いが長いだけのことはありますね。そうですよ、こんな一対一の訳の分からない状況で先輩を殺しても意味がないんです。昨日みたいに、アンダーを何人か巻き込んだ抗争を引き起こして私陣営が勝つっていう劇的なシナリオを作ることが大切なんです。先輩には私の人生を華やかにする踏み台になってほしかったんです。で、いつまで全裸で寝てるんですか。服を着てください服を」


 電話機の近くで寝っ転がったままだった白花は無理矢理引き起こされた。

 椿は床のブラシを拾うと、身体を払って蛆虫を落としていく。もう四日も前に椿がプレゼントしてくれた高そうなブラシは幸いにも持ち歩いていなかったのでロストせずに済んでいた。

 衣類も床から適当に回収し、同じようにブラシで蛆を払って、着せ替え人形のように白花は下着からワンピースまで着せられていく。


「ちなみに、引きこもり更生支援員は職務規定で対象者との過剰な接触を禁じられてるんですよ。あくまでも社会復帰のための自立的な意志を支援するのが目的で、こうやって介助されればうまく生活できるなんて勘違いされたら困りますからね。私がクビになってて良かったですね、先輩」


 ゴチャゴチャ言いながら白花の身体を持ち上げて椅子に座らせ、ビニール袋から取り出したペットボトルを開けて口の前に差し出してくる。多分そのくらいは自分でも出来るのだが、せっかくやってくれるのだからと黙って飲み口に口を付けた。

 その瞬間、思い切りペットボトルを傾けられ、ビチャビチャと零れた水がテーブルを濡らし、白花は肺に水が入って激しくむせた。いろはすはほとんど零れ、口の中には三割も入っていない。

 続けて、開封したサラダチキンも口にあてがわれる。チーズ味だった。

 白花は元々チーズの臭いが好きではないことは椿も知っているはずだが、あえてこれを買ってくるあたりに悪意を感じる。それでも食べられないというほどではないので、もそもそと口に運ぶ。

 噛み切った肉を飲み込む前に次の肉がぐりぐりと押し付けられるので、ボロボロ崩れてまたテーブルを汚した。椿の看護よりジュリエットの監禁の方がまだ待遇が良い。


「ん!」


 そのとき、白花は極めて重大なことに気付いた。

 口に入るサラダチキンに蛆が湧いていないのだ。口の中で舌を回して確認するが、やはり蛆の姿は見当たらない。

 口を動かしつつ理由を考える。

 そもそも食べ物に蛆を湧かせるトリガーは、正確に言えば食べること自体よりも「今から食べよう」という食欲を向けることだ。だからこそ、口に入れる前から蛆が湧いている食糧を目にする羽目になるのだから。

 恐らく、人に無理矢理食べさせられる場合は白花自身の意志で食事をしているわけではないから、食欲を持つ段階がスキップされて蛆が湧かないのではないか。

 今までこんなシチュエーションに遭遇したことがないので全く気付かなかった。思いもよらぬ発見にエウレカを叫びたくなるが、開けた口にはぐいぐいサラダチキンが入ってくるので黙って食べ続けるしかない。

 もしこの推測が正しければ、誰かに「あーん」をしてもらえば蛆虫抜きで何でも食べられることになる。ジュリエットに頼めばギリギリやってくれそうだし、試してみてもいいかもしれない。

 拷問めいた食事は三分ほどで終わった。結局口に入ったのは多く見積もっても半分くらいだが、身体にエネルギーが充填されているのがわかる。これで何とか動けそうだ。


「お疲れ様でした、先輩」


 椿は余ったいろはすを白花の頭上からぶち撒けた。マラソン選手さながらに水を浴び、テーブルだけではなく白花まで水浸しになる。

 さっきフルーツフレーバーにしてほしいと伝えたおかげで椿が無味無臭のプレーンいろはすを買っていて助かった。これなら身体と服が乾くのを待ってもフルーティーな香りを発してしまうことはない。


「これでお願いされた看護は終わりましたね。コンクリ詰めの恨みもこれで相殺です。もう帰ります、私は先輩と違って正常な友達感覚を持っているので、殺したい相手とベタベタしません」

「今してなかった?」

「してません。これからも機を伺って計画を練って先輩を殺しに来ますよ。友達の定義も私の目的もともかく、一度殺してケリをつけたと思った相手がまだ生きてるのってめちゃめちゃ気持ち悪いので」


 椿が玄関に向かって飛び立とうとしたところで、本来の用事をようやく思い出した。


「あ、ちょっと待って。帰る前に黒華の携帯番号教えてくれない? LINEの友達欄から見れたと思うんだけど」

「正気ですか? 食糧を買わせるだけでは飽きたらず、敵対勢力にその敵対勢力の連絡先を聞くんですか?」

「椿ちゃんにとっても悪くない話だと思うけどな。椿ちゃんの目標って、派手なステージで私を殺すことだよね。私がもう一度抗争に巻き込まれるためには、私が味方陣営に生存報告するのは必須条件でしょ。もし黒華たちが私は死んでると勘違いして別の活動に移ったら、私が議論の俎上に載らなくなっちゃうからね」

「それは確かにそうですね……いや、先輩はむしろ死んだフリをして引きこもり生活を続けようとする人間じゃないですか? なんで自分から戻っていく必要があるんですか?」

「それは色々事情があって……ほら……そう、仲間たちとの約束がね」


 本当は幻聴を止めたいだけだが、それは伝えたところで無駄だろう。具体的な原因はまだわかっていないし信じてもらえないか病院を勧められるか、恐らくろくなことにならない。


「嘘ですね。ま、先輩が引きこもりをやめるのは私にとっても都合が良いので何でも構いません。はいこれ、黒華ちゃんの連絡先です」

「ありがとう。どうせなら、黒華たちと合流するところまでついてきたら? そっちの方が話が楽に進むでしょ」

「あのね、それは流石に危ないですよ。先輩のことは舐めてますから、罠に嵌められるリスクより生存を確認するリターンを取ってここまでは足を運びましたけど、黒華ちゃんとかあのメイドさんは先輩のようにはいきません。昨日改めて相対して確信しましたが、彼女たちはアンダーグラウンドの混沌が人の形を成した屈指の超危険人物です。私が迂闊に接触すると一瞬で殺されますよ。昨日の襲撃は思いのほか上手くいきましたが、そのくらいで私は自分がアンダーグラウンドでも通用するなんて思いあがってはいません。それに、私は無職でも先輩と違って忙しいんです。今日も用事があるんですから」

「えー、何の? どこで? 誰と?」

「秘密です。それじゃ、今度こそさようなら」


 改めて椿が踵を返す。

 白花は飛んで行く背中を見送るが、白花の目に映っているのはそれだけではない。上から見た頭頂部も、下から見た股間も、横から見たバッグも、あらゆる角度から椿が同時に見えている。

 実のところ、ずっと部屋の中の何もかもが見えているのだ。さっき椿が机の下で無意識に足先を擦り合わせていたのも、今サラダチキンを開けた指を舌で舐めたのも。

 音や臭いだって同じだ。この部屋に足を踏み入れた時点で、あらゆるイベントが白花に観察されている。


 それは何故なら、部屋中に蛆虫がいるからだ。

 今の白花は部屋にいる無数の蛆虫たちとあらゆる知覚を共有していた。蛆から見えるものは白花にも見えるし、蛆に聞こえるものは白花にも聞こえる。

 白花は蛆のいる場所から取得できる様々な情報を同時に知覚できた。部屋全体に設置された監視カメラをリアルタイムで同時視聴しているようなものだ。頭の中で林檎を思い浮かべたとき、実際に見ているわけではないのに視界のどこかにはっきりそれが浮かぶのにも似ている。

 そのくらいは容易くできるというか、これは頑張って発動するスキルではなくて、もっと自然な営みだ。夢で理解したように、白花は蛆虫で、蛆虫は白花なのだから。


 椿の鞄の中だって、天井に引っかかっている蛆虫からは丸見えだ。

 そこに無造作に突っ込まれていたのは、富士急ハイランドのコンビニ決済チケット三枚。

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