第23話:蛞蝓より粘着質な貴女・6
「ま、人魚っていうか、たぶん魚系のブラウって言った方が正しいんだろうけど、主に下半身に鱗とか尻尾があったから皆人魚って呼んでたんだよね。人魚の肉って食べると不死になるっていう伝説が世界各地にあるから、適当に試してみたらなんかそんな感じのようなことが起こったんだよ。今のエピソードで言いたかったことは、伝説ドリブンで実験するほど代替命はわからないってことね。ジュリエット氏~、ナイフ一本ちょうだい~」
サークロが岩場の上に向かって叫ぶと、ただちにナイフが一本放られてきて、ジャンプした遊希が片手でキャッチする。サークロは遊希からナイフを受け取ると、バケツから魚を一匹掴み出す。そしておもむろにナイフを突き立てようとしたが、鱗で滑ってなかなか刺さらない。
結局、サークロからナイフを返却された遊希が代わりに魚を刺すという二度手間になった。ナイフで深く切られた魚は血を吹き出し、しばらく地面を跳ね回ると動かなくなった。
「で、ここからが面白いところ……と思ったけど、よく考えたら別にそうでもないのだ。自信無くなってきた……」
サークロが魚の身の切れ目から人魚の代替命を押し込む。
魚は再びピチピチと激しく痙攣し始めた。そして身体の向きが水平から垂直に変わっていく。尾びれで立ち上がり、陸上を跳ね回る。
しばらくタップダンスを踊ったのち、魚は川に飛び込んでいった。
「……うーん、まあ、凄いんだろうけど、私はこの手の治療みたいなやつは蛆で見慣れてるから、特に何とも思わないかも」
「そうなんだよね~。わざわざ貴重な代替肉を使って実験しなくても良かったなって途中で後悔したよ。でもそれは別に人魚がしょぼいわけじゃなくて、代替命持ちの白花氏が凄いってことなのね。白花氏の蛆虫によく似てるでしょ、生死の境なんて嘲笑いながら易々と踏み越えていく、冒涜的な感じがさ。個人的に言えば、素人の手垢まみれになってる説ではあるけど、やっぱりインタポレーションはいわゆる進化のバリエーションであって、生命とは何かという定義が更新されるときが来ているように思えるんだよね。とはいえ、生物史で現状唯一と言えるほどラディカルで不連続な変化かと言われるとそれは頷けないところもあって、というのは、何が進化に該当するかっていうのも結局のところ……」
「皆様、御夕食の準備が出来ました」
サークロの話にエンジンがかかってきたところで、ちょうどよくジュリエットが現れた。その背後には巨大なキャンプファイヤーが燃え盛っている。代替命について話し込んでいる間に、あたりはすっかり暗くなっていた。
岩場を上ってキャンプファイヤーに戻っていく。荷物類は全て遊希が背負った。
そういえばサークロはどうやって車椅子で降りてきたのかと思ったが、よく見るとさっき屋内で使っていた車椅子よりもかなりゴツいものに乗り換えている。車輪にはスパイクが付き、しかも電動モーター式でガーガー言いながら岩場を力強く上っていった。
ジュリエットが用意しただけあって、キャンプファイヤーは完璧に準備されていた。
食品を焼くのにちょうどいい高さになるように木が組まれ、周りには手頃な高さの石が椅子代わりに置かれている。囲んで踊るわけでもないのだから、キャンプファイヤーというよりは豪華な焚き木の方が近いかもしれない。
横に準備されている食材も予想より遥かに立派なものだった。金属製のタッパーに新鮮な魚や肉や野菜を差した串が大量に整頓されて用意されている。海老やマシュマロやウィンナーにじゃがバターなど、バリエーションも豊富だ。
白花はとりあえず缶ビールとウィンナーを手に取り、適当な石に座った。
すぐ隣にサークロの車椅子が停車し、横で小型の模造紙くらいの大きな写真を広げようとしている。広がる腕と写真がウィンナーを焼くのに邪魔だ。
「これが胸部レントゲン写真。白花氏にとってはこっちが本題だと思うんだけど」
「どうも。って、うわ!」
白花は受け取った写真を取り落とした。
それは本能的な反射だった。いきなりゴキブリを手渡されたときのような、あまりにも受け入れがたいものに触れたときの防衛反応だ。
親切なことに、サークロが写真を拾って白花の目の前に広げ直してくれた。白花の胸部を撮影したレントゲンが再び目に入る。
「うっわー」
生えそろった肋骨の内側、心臓があるべき部位には白い粒々が密集していた。つまり、米粒サイズのものがそこに大量にいるのだ。
背筋がぞわぞわしてくる。どう考えても食事前に見るものではない。点々が最も集中しているのは心臓部だが、肺やみぞおちのあたりにまで分散している。身体の真ん中に米びつをぶちまけたような感じだ。
蛆そのものではなく、白い粒で見えているのが却って気持ち悪さを掻き立てる。昨日ジュリエットと見た手術映像もまあまあキツかったが、こちらは現在進行形の状態なわけで、総合的な嫌悪感はこちらに軍配が上がる。
「目黒の寄生虫博物館でこんなの見たことあるよ。私の心臓には寄生虫が大量にいて、どうせそれは蛆なんだろうね」
「多分ね~。寄生虫が寄生してるってことは寄生されてる心臓があるってことだから、臓器がとりあえず稼働してるっていう意味では一安心かな」
「全然嬉しくないけど!」
恐る恐る自分の胸を触ってみる。
幸いにも、手に伝わってくるのはドクドクという鼓動だけで、触感から虫の気配は感じられない。
もしこれでランダムに蠢くもぞもぞとした感触でもしたら、流石の白花でもちょっとどうにかなっていたかもしれない。この薄い胸の下に虫が蠢いているくらいなら、心臓が動いてないと言われた方がまだましなような気もする。
「お言葉ですが、その所見には同意しかねます」
背後から現れたジュリエットがレントゲン写真をサッと奪い取った。
右手には焼き魚の串を持っている。さっき遊希たちが釣っていた魚だろう。
「わたくしにはまるで蛆が心臓そのものを代行しているようにも見えます。確かに蛆が塊になっている様子はわかりますが、その背後に心臓の影が全く見当たらないのです。蛆の数が多すぎて隠れているのかもしれませんが、心臓は蛆によって置換されたという可能性はないでしょうか」
「蛆が皆で心臓に群がって再生させようとしてるんじゃなくて?」
「仮に蛆が心臓の機能を代行しているとしても広義の治癒能力には該当するはずです。実際、腎臓などの二つある器官については、そのうちの一つが失われても残った一つが役割を代行し、全体としての機能を保つことが知られています」
「再生と代行で何か違いはあるのかな」
「わたくしにとっては心臓の有無が殺害証拠品の扱いに直結するので重要で御座います。再生の場合は証拠品が複製される危険がある一方、代行の場合はそれがありません。しかし、白花様の生存においてはそれほど大きな違いはないかもしれません。もし気になるようであれば、もう一度切開すれば確実に確かめることは出来ますが」
「それは冗談で言ってる?」
「笑って頂ければ幸いで御座います」
笑えない。
白花は溜息を吐いてウィンナーを焚き火にかざした。
やっぱり元気に湧いてきている蛆が、燃え盛る炎にあてられてじりじりと焼け焦げていく。小さな蛆は火に弱く、直火に付けると三秒ほどで真っ黒になって脱落していく。
そのくせ白花が持っている限り肉の切れ込みからいくらでも湧いてきて、現れるたびに焼け死ぬという無益なサイクルを繰り返していた。肉が焼けるまでの暇潰しとしては手頃かもしれない。
ざっと二十匹以上の蛆虫を犠牲にして焼き上げたウィンナーを齧ると、焼けた蛆の死骸は焦げと混ざってしまい、判別する方が難しいくらいだった。
食べる直前に焼き殺すという、蛆への対抗手段をまた一つ学んだ。
「確かに、代行説の方が黒華氏のスキルには近いかもしれないよね~。彼女が蚊柱で移動するとき、身体全体が蚊の群れに変換されているようにしか見えないんだよね。黒華氏が肉体全体を蚊で組み替えているとすれば、白花氏も心臓を蛆で組み替えているとした方が一貫性はあるのだ」
「黒華の方は調べてないの?」
「私は何度もお願いしてるんだけど、いつも断られてしまうのだ~。白花氏みたいに手頃なサンプルとのマッチングはいつもやってくれるんだけど、黒華氏自身のことは調べさせてくれないのね」
サークロが焼いた野菜を齧る。
植物系のブラウだから野菜を好むのかなと一瞬考え、昼間にそういう分類自体がナンセンスだと言われたことを思い出した。白花もうわべの分類には特に興味が無いし、サークロがブラウであろうがなかろうが別にどうでもいい。
ただ、それでもやはりサークロがアンダーグラウンドのブラウだとありがたいのは、彼女は隣で湧いている蛆虫を全く気にせずにトウモロコシをモシャモシャ食べられるということだ。
「私が黒華に会ったときに聞いておいてほしいこととかある? 口利きってほどじゃないけど、サークロさんにはお世話になったし」
「私は素人の調査を信用しないタチだからそれはやらなくていいけど、やっぱり気になってるのは今日問診で聞いたようなことかな~。本人が考えていることは、本人に聞かない限りわからないからね」
「蛆について何を考えているのかみたいな話だっけ。それって、こう、思いの力がスキルを発動させるとか、自分が望んでいるスキルが発動するとか、そういうベタなイメージでいいのかな」
「それが一番安直な解釈ではあるけど、多分正しくないと思うよ。少なくともブラウ全体に対して真だとはとても言えないね。インタポレーション直後に変わってしまった自分の外見を苦にして自殺する人なんてたくさんいたし、死ぬほど悩む外見が実は望んでいたものだなんて言うのはやっぱりちょっと無理があるのだ。ただ、その一方で、望んだ外見を手に入れた人もいるっていうのは認めざるを得ないんだよね。やっぱり総じて人によるとしか言いようがないよ。真相はともかく、そういうのは思い込みでバイアスをかけるのが一番良くないから気を付けないとね。例えば、インタポレーションで望む姿になった人と、望まない姿になった人がちょうど半分ずついたとして、前者のストーリーがわかりやすいからって後者の人たちを『実は無意識には望んでた』なんてこじつけてしまったら科学は終わりなのだ。どんなに遠回りでも地道にやっていかないと」
「それは……そうだね」
相槌を打つ白花の頭に浮かぶのは黒華のことだ。
白花が抱える謎と疑問の先にはいつも黒華がいる。黒華の目的と殺害依頼、黒華の『蚊柱』と白花の『蛆憑き』、代替命の機能と生命の形。
明日は黒華に再会する。わからないことだらけだが、地道にやっていくしかない。
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