第22話:蛞蝓より粘着質な貴女・5

 白花が検査から解放されて研究所の外に出たのは、夏の長い日が落ち始めた頃だった。

 なまじ昨日は無麻酔で心臓を抜かれただけにかなり警戒していたが、今日の検査は人間ドッグと大差なかった。検診衣に着替え、身長や体重を測ったりMRIに通されたり。心臓を検査するという目的に関して言えば、聴診器や胸部レントゲンがクライマックスになるだろうか。

 ただ、問診が長かったのは少し辛かった。蛆に対して抱いている感情、蛆という生物のイメージ、蛆を使うときに考えていることなど、蛆関連のことを根掘り葉掘り聞かれ続けた。

 正直なところ、聞かれたところで掘り下げるほどのエピソードはない。インタポレーション以前には現物の蛆を見ることなんて一度もなかった。何故白花が蛆に憑りつかれているのかむしろ教えてほしいくらいだ。


 サークロに教わった通り、研究所を出てから直角に曲がって少し進むと、四方十メートル程度に切り拓かれた狭い空き地があった。

 手袋をしたジュリエットが木材を積み上げ、中に炭を放り込んでいる。てっきり冗談かと思っていたが、どうやらキャンプファイヤーは本気でやるらしい。


「私がフラフラ出歩いたり森でレジャーしたりしてて大丈夫なの? 昼みたいに襲われたりしないのかな」

「大丈夫ではありませんが、問題はありません。というのは、自衛隊でどうにかできる程度の相手ならばキャンプファイヤーをしながらでもどうとでもなりますし、自衛隊でどうにかできない相手ならば研究所の中にいたところでどうにもならないからで御座います。こちらの準備はわたくしがやっておきますので、遊希様たちと一緒に釣りをしてお待ちになられてはいかがでしょうか。そちらを下った沢の方におられます」


 道の無い岩場を慎重に下っていくと、紫と遊希が並んで釣り糸を垂らしていた。

 浅くて狭い川だが、傍らにある大きなバケツには十匹以上の魚が泳ぎ回っている。彼女たちが釣りの達人でもない限り、相当長いこと釣りをしていたのは間違いない。


「検査は終わったのですか?」

「うん、ついさっきね」


 白花は二人の隣に腰を下ろした。

 遊希がいつもと同じ野球帽を被って釣り竿を構えているのがなかなか釣り人らしく様になっている。紫は眠そうにはしているが、しっかりと目を開けて竿を持っていた。

 と思いきや、白花を見るや否や、釣り竿を託して膝の上に倒れてきた。釣り竿を持ち上げてみると、先端には釣り針しか付いていない。


「私は釣りってやったことないけど、餌とか必要なんじゃなかったっけ」

「その通りなのです。餌無しでも釣れますが、無いよりはあった方が釣れるのは間違いありません。そこのケースに入っているミミズを使ってもいいですが……白花お姉さんの場合はポケットに入っているそれでいいのです」

「あ、なるほど」


 白花はポケットからなるべく大きめの蛆虫を摘まみ出して釣り針に引っ掛けた。いつも蛆が食事に湧いて悩まされている白花だが、魚にとっては蛆こそが食事そのものだ。

 蛆がまともな用途で必要とされるシチュエーションを初めて見た気がする。実際、釣り餌が無限に供給できるというのは釣り人にとっては非常に便利なスキルかもしれない。何せ、釣り竿さえあればいつでも釣りができるのだ。思いもよらない好相性の趣味を発見し、俄然やる気が出てきた。


「蛆付けたら普通に投げればいいのかな」

「そうですね。適当に垂らしておいて、引っかかりを感じたら引けばいいだけなのです」


 川の真ん中あたりを狙って釣り糸を放る。

 水面にできた同心円の波紋が平坦に戻るまで待つが、まだ魚が食いつく様子はない。白花謹製の蛆だからといって魚に大人気というわけではないらしい。


「昼からずっとやってたの? ジュリエットも一緒?」

「最初は一緒にやっていましたが、ジュリエットがやるとすぐに釣れてしまって面白くないのです。釣りは待っている時間が醍醐味なのに」

「遊希ちゃんは釣りが得意なのかな」

「僕は釣果にはこだわらない方なので得意とは言えないかもしれませんが、好きではあるのです」


 この会話は踏み込んで良いかどうかが悩ましい。釣りが好きということは山の近くにでも住んでたの、などと遊希に尋ねることは難しくない。

 しかし、それは遊希の生育環境について突っ込むということだ。どんな話が飛び出してくるか想像も付かない。この年齢でアンダーグラウンドに適応し、人殺しも辞さない遊希がいわゆる普通の人生を送ってきていないことは明らかだ。ジュリエット曰く、いかなる現在も生い立ちと切り離せない。


 三秒ほど考え、白花はこの話は掘り下げないことに決めた。

 遊希に気を遣ったというよりは、単に面倒だったのだ。もし「親に捨てられた」とか「山で狼に育てられた」とか重めの過去を掘り起こしてしまったら、年上らしく相槌を打ってフォローに回るのは白花には荷が重い。

 それより、サークロが検査の後処理でまだ研究所から出てこない間に聞くべきことがある。


「あのさ、代替命って何なのかな。私の心臓もそれらしいけど、代替命ってたくさんあるものなの?」

「一つ目の質問は答えるのが非常に難しいのです。二つ目の簡単な質問の方から答えると、イエスです。代替命というのは、個々のアイテムというよりは、一定の機能を持っているアイテム全般について与えられる総称なのです。僕たちが紙にインクの線を引く道具全般をボールペンと呼ぶのと同じです。ボールペンには色々なバリエーションがあるし、新しいボールペンを作ることもできます。代替命もそれと同じで、色々なバリエーションがあるし、新たに作られることもあるのです。白花お姉さんの心臓も代替命の機能を持つと思われるので、そう呼ばれる資格があるということなのです」

「なるほど、わかりやすいね。それで代替命の機能って?」

「それが、実ははっきりしたことはよくわかっていないのです。僕が詳しくないわけではなく、誰もわかっていません。強いて言えば、だいたい命っぽいので代替命と呼ばれているのです」

「え、ひょっとして『だいたい』ってalternativeじゃなくてaboutの方?」

「その二つは大して変わらないのです。実際、英語では『仮想的な』と『実質的な』はどちらもvirtualなのです。代替命とは『大体は代替の命』、すなわち概ね代わりの生命として機能する何物かを代替命と呼ぶのです」


 初めて会ったときにも遊希は煙に巻くような言い回しを多用していたが、そのときのわからなさとは少し感触が違う。

 前はそもそも正確に伝えようという気があまりなかったのに対して、今はなるべく正確に伝えようという誠実さは感じるものの、その伝える対象がよくわからないものなので、結局何を言っているのかよくわからない。


「そもそも私の心臓って摘出されたあとはずっと瓶に入ってるだけだったと思うんだけど、どうして機能が判明してるのかな」

「代替命という名称は、恐らくそうだろうというだけでそう呼ばれるに値するのです。プロトコルとは真逆で、誰も正確な定義がわかっていないために極めてアバウトな自称が通る呼称なのです。一応の傾向として、代替命は生命の在り方に関わるスキルを持つアンダーの身体の一部であることが多く、白花お姉さんの心臓もそれに該当します。納得行かなければ、実質的な機能が何も無いのに高い価値が付くアイテムなんてたくさんあるという理解の仕方をしても構いません。金塊が良い例なのです」

「でも、金は化学分析すれば特定できるでしょ。代替命には定義すらないのに、自称だけで黒華がそれを餌にして殺害依頼を募れるっていう感覚は全然わからないなあ」

「もちろんそれは黒華の信用によって担保されているところが大きいのです。ぽっと出のアンダーが同じことを言っても誰も反応しないことでしょう。黒華が言っているのであれば恐らく代替命なのだろうと皆が判断したのですが、とはいえ、黒華だけは正しい代替命を知っているという古物鑑定師のようなイメージも正しくありません。何度も言いますが、代替命が正確に何なのかは誰もわかっていません。本物の定義が無いのですから真贋判定以前の問題なのです。それでも、ブラウやインタポレーションについて何か決定的に重要なアイテムがあるならば、それは生命に関わるもののはずだという直観が代替命という概念を要請するのです。まず概念が先に来てそれに当てはまる事物は今探索されている最中というべきでしょうか」

「えーと、つまり、ボールペンが存在する前の段階で、『紙にインクで線を引くようなものがあったら便利だよね』って皆が考えてるけど、まだボールペンそのものは発明されていなくて、とりあえずそれっぽいものを探しながら、最初のアイデアも同時に更新されてるって感じ?」

「そうそう、まさにそんな感じなのです」

「そう聞くと泥沼化したアジャイル開発みたいだね~」


 背後からサークロの気の抜けた声が聞こえる。検査結果の解析が一段落して研究所から出てきたのだ。

 元はと言えばサークロに聞くと話が長くなるから遊希に聞いたのだが、現状では遊希に聞いてもそれほどよくわかっていない。この際だし、別にサークロの長話でも構わないからもうちょっとわかりやすく説明してほしいという気持ちの方が上回る。


「サークロさん的にはどうなの? 代替命って」

「研究者から言わせてもらうと、代替命こそがブラウの一般性と特殊性の接点になるキーアイテムっぽいんだよね。奇形を除くブラウのスキルが極めて属人的っていうことは昼にも言ったけど、属人的なものがたくさんあるっていうところにある種の普遍性があるのも間違いないんだよ。違うことは同じっていうかさ。で、人によって違うものを無理やり一つの呼称で呼ぼうとするから、わけのわからない定義になるんだよね。もっと言うと代替命だって複数ある括りのうちの一つでしかなくて、イマジンズとか魔神機が同列に並ぶんだけど」


 謎の固有名詞が更に二つ増えるが、そちらには触れないようにうまく話を誘導する。サークロとの会話のやり方がだいぶわかってきた。


「人によって色々違ってるブラウのスキルをまとめて呼ぶための総称が代替命って感じかな」

「そうね~、総称っていうのは一つのメタ概念であって、それは対象群に共通項が無いと成立しないんだよね。バラバラでよくわからないブラウのスキルについて無理に共通項を探して括り出すのは無理筋なんだけども、色々な現象を見ているうちに辛うじて生命の在り方に関与する系列の存在がわかってきたから、それをとりあえず代替命って呼んでるのだ。こればっかりは見た方がわかりやすいよね。せっかく興味を持ってくれていることだし、特別サービスだぞ~」


 サークロは白衣のポケットから小さな小瓶を取り出した。中には一センチ角よりも少しだけ小さいくらいの、小ぶりな赤い肉片が浮かんでいる。


「ひょっとして、それも代替命?」

「そ。これはさっきジュリエット氏とトレードしようとして拒否された、人魚の代替命の一部なのだ」

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