第11話:心臓摘出はメイドの務めです・2

「それ絶対死ぬ、それ絶対死ぬよね」

「ところが、そうとも限らないので御座います。近年、インタポレーションによるブラウの登場に伴って、プロトコルの実効性も変化しつつあります。何せ、ブラウの生態的特徴は様々ですから、何をもって殺害とみなせるかは全く一筋縄ではいきません。例えば、タコやタツノオトシゴは心臓を複数持っていることが知られております。よって、タコのブラウに対してプロトコル八番による殺害を遂行した場合、ターゲットが死亡するかどうかは怪しいところです。同様のことはおよそあらゆる殺害方法に対しても言え、もし仮に身体そのものを複製できるブラウが現れれば、死体の提出でさえも殺害を意味しなくなってしまいます。このように、インタポレーション以降は死という概念そのものが相対的にアバウトで信用のおけないものとなり、殺害依頼の内容を厳密に定義できるプロトコルの整備と利用が一気に進んだという背景があるのです。日夜更新されるブラウの情報を元に、プロトコルは今も有識者の議論によって日々改善が試みられております」

「管理局の発表では、ブラウといえど精々角とか翼が生える程度で基本的な身体構造はロットと変わらないことになってるはずだよね」

「言うまでもないことですが、管理局の公式見解は実際にあるブラウの多様性を都合の良いように極端に簡略化したもので御座います」

「じゃあその、心臓を増やすとかで、心臓を摘出されても死なないブラウって実際にはどのくらいいるのかな」

「アンダーグラウンドの知見でも未だブラウの生態は極一部しか判明しておりませんが、極めてレアであることは間違いありません。日常的にそういうブラウに遭遇するというよりは、考え得る事態に備えて予防線を張っているという方が実情に近いので御座います。ちなみに、殺し屋としての経験から言えば、死の間際に生命本能が高まって新たな性質を開花させる方は一定数いらっしゃいます」

「私もそうなれば生き残る可能性はあるってこと?」

「仰る通りで御座います。もっとも、それが結果を変えることはほとんどありませんが、わたくしも白花様の生存を陰ながら応援させて頂きます」


 ジュリエットは再び白花の背後から担架のようなベッドと金属製の台車を転がしてきた。

 その上には医療用のメス、鉗子、注射器、薬品などが綺麗に並べられている。ドラマや映画でよく見る、手術室によくある器具セットだ。

 ジュリエットは薬品の入った袋を点滴台にセットする。


「ささやかではありますが、全身麻酔を用意させて頂きました。注入を開始するとすぐに意識が遠のき始め、一分ほどで完全に昏倒致します。そのまま心臓を抜かれるのは不憫ですので、せめてもの配慮で御座います」

「それ、さっきの男の人にもしてあげれば良かったんじゃないかな」

「わたくし、それなりに面食いなので御座います。麻酔薬だって無料ではありませんから、ターゲットの方が美しい場合だけの特別なサービスです。ティータイムを御一緒させて頂いたのも、こうして色々と説明させて頂いているのも、白花様が可能な限り生き残れるように手を尽くしているのも、全て同じです。普段は何も出さずに無言で殺します。わたくしはサディストではありませんが、ヒューマニストでもありません」


 ジュリエットは一冊の本を手に取った。

 大型な上に非常に厚く、白花では持つだけでも難儀しそうな本だ。全体を覆う茶色い革製のブックカバーがかかっており、表面の濃淡模様が長い歴史の蓄積を感じさせる。ページも黄ばんでボロボロで、ジュリエットが紙を捲る度に僅かに埃が舞った。


「それ、儀式に必要な魔術書みたいなアイテム?」

「いえ、一般的な心臓解剖図と手術の手引書で御座います。これを用いて、人体への損傷を最低限に抑える手術プランを再検討します。普段は相手が死んでも構わないので適当に執刀するのですが、今回は白花様のために可能な限り蘇生の糸口を作っておきたいのです」


 ジュリエットは右手で本を読みながら、左手で白花と椅子を繋ぐ足錠を外した。

 元々白花を拘束していたのはこの足錠一つだけだ。つまり今、完全に自由に動ける状態になった。不意に訪れた逃走のチャンス、白花は立ち上がって走り出そうとする。

 しかし、白花の腰が椅子から浮くよりも早く、ジュリエットのヒールが足の甲を上から優しく抑えた。ジュリエットは本から目を離してもいない。そしてあっという間に片手でベッドに仰向けに転がされ、さっきの男と同じように両手足を繋がれてされてしまった。

 内心わかってはいたものの、白花とジュリエットの身体能力では全く勝負にならない。もっとも、恐らくそれは頭脳戦だったところで大して変わらないだろう。実際、逆転の秘策など何一つ思い浮かばない。


 患者のポジションからジュリエットを見ると、ボールペン片手に医学書を検討する姿はかなり様になっている。もしここが病院でジュリエットが主治医だったら、安心して手術に望めたに違いない。

 ジュリエットは厚い本を捲りながらルーズリーフに図や文章を素早く書き込み、計画書を仕上げていく。白花にはその内容は全くわからないが、ウムラウトを使用することと文末に置かれる独特の動詞から、それがドイツ語らしいということだけはわかった。


「ジュリエットってお医者さん?」

「医師免許は持っておりませんが、慶應の医学部で学んでおりました。病院で務めたことはありませんのでやや我流ではありますが、こうして医学書を読めるだけでも素人よりはかなりましで御座います。さて、手術計画もまとまりましたので、そろそろ始めていきましょう。今回は全身麻酔での心臓全摘出、医学的には死亡率百パーセントですが、奇跡が起きれば生き残るかもしれません」

「最悪過ぎるインフォームドコンセントだね。一応聞くけど、生き残るためのコツとか、何かやっておくといいこととかあるかな」

「わたくしも考えてはいるのですが、確かなことは何も言えません。ブラウの生態は十人十色ですから、何人手術したところで経験則はほとんど生まれないので御座います。逆にお聞きしますが、黒華様からは何かヒントのようなものはお聞きしていないでしょうか。元々殺害依頼を出したのは黒華様ですし、何か御存知だとすれば彼女だと思われますが」

「うーん」


 実はさっきから昨日の会話を思い出そうとしているのだが、全く思い当たるところがない。

 しかし、それは黒華が何もヒントを残していないという意味ではない。恐らく確実に何かを残しているが、現状で白花にはわからないということなのだ。

 黒華は昔から一見すると意図がわからない行動を非常に好む。ちょっと思い出しただけでも、黒華が買ってきた謎の百均グッズたちを組み合わせると革新的な掃除道具が完成したり、家族麻雀をやれば黒華が多面張を崩した悪待ちの迷彩で白花に振り込ませたり、その手のエピソードには事欠かない。

 黒華は自覚的なトリックスター気質というか、頭が切れる癖に直線距離では物事を進めない面倒な性格をしているのだ。遊希の口ぶりがはっきりしないあたりも、黒華がそういう台詞回しを指示しているのかもしれない。これでも黒華とは十年以上一緒に暮らしていた姉妹であり、彼女の行動パターンはそれなりに知っているつもりだ。

 せめて何かアドバイス的な口調で言っていた台詞が無かったかどうか、何とか記憶の中から拾い出す。


「強いて言えば、『死なないように頑張って』とか『生き残ろうとする気持ちから見えてくるものがあると思う』とか言ってたかな。からかってるだけだと思うけど」

「承知致しました。でしたら、麻酔はやめましょう」


 ジュリエットは今まさに白花の腕に刺そうとしていた針を後ろに引いた。白花の顔からは血の気が引いていく。


「いやいやいやいや、何でそうなるの!」


 麻酔を打たないということは普通に痛覚のある状態で身体を切られるということだ。いくら医学の素人でも、それがどれだけ無謀で凄絶な行為かはわかる。


「黒華様は生き残ろうとする気持ちが大切だと仰られたのですね。しかし、全身麻酔をすると意識を失うため、生き残ろうとする気持ちを保てなくなってしまうからです」

「精神論!」

「それが鍵なのかもしれません。僅かでも生き残る可能性のありそうなことは何でもやっておくべきです。ブラウに絶対は無いのです。麻酔が使えない以上、手術中に暴れないように固定器具を追加致しましょう」


 ジュリエットが巨大な金属器具をいくつも持ち出してきた。

 限りなくゴツい首輪という感じの拘束具だ。どれも円環や半円形で、無骨な螺子がたくさん付いている。ジュリエットですらかなり重そうにしている、それらの総重量が一体何キロなのか検討も付かない。

 首や肩、太ももにまで次々に装着され、白花の細い身体に合わせて内径が調節される。全く動けない。ベッドに磔にされたどころか、全身をコンクリートに埋められたようだ。


「ひょっとしてだけど、これ拷問用のやつじゃないかな」

「仰る通りで御座います。どんな大男でも確実に動けなくなりますので、死が解放になる類の拷問を加える際に重宝しております。今回の施術にも多少の苦痛はあるかもしれませんが、それで生き長らえるなら安いものではないでしょうか」

「無麻酔の心臓摘出が多少なわけあるか!」


 白花の叫びも虚しく、ジュリエットがメスを手に取った。

 包丁や剣のようにいかにもな凶器ではなく、人体を切るためだけに洗練された医療用のメス。それが今から開胸されるのだという恐怖を突然一気に押し上げる。

 想像の付かない死よりも確実に待ち構えている激痛の方が何千倍も恐怖だ。息が荒くなり、心臓の鼓動が止まらない。今この瞬間が無限に伸長して手術が始まる瞬間まで辿りつかないでくれと心から願う。


「わたくしも白花様が生き残るために全力を尽くす所存では御座います。しかし、誠に不本意ながら、今が白花様の最期である可能性の方が高いと思われますので、何か言い残すことがあればお聞き致します」

「……………………もし私が生きてたら、高いごはん奢ってね」

「かしこまりました」

 

 メスが胸に触れる。地獄が始まった。

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