第4章 心臓摘出はメイドの務めです

第10話:心臓摘出はメイドの務めです・1

「わたくし、メイドのジュリエットと申します。以後宜しくお願い致します」


 メイドはスカートの端を摘まんで優雅に頭を垂れた。白花も座ったままとりあえず頭を下げる。

 結局このジュリエットと名乗るメイドは、管理局のスナイパーとアンダーの遊希を完全に出し抜いて白花を拉致してしまった。

 敵を一蹴する見事な手際、異様な服装、常人ばなれした美貌。改めて見てもサブカルチャーの世界から現れたように完璧なメイドとしか言いようがない。彼女こそ、遊希が話していた本物の手練れの一人なのだろう。


「先ほどは強引な拉致となり大変失礼致しました。ウェッジウッドのダージリンを用意しましたので、是非お飲みくださいませ」


 ジュリエットは白磁のティーポットから二つのカップに紅茶を回し注ぐ。動きの一つ一つに突っかかりがなく、所作が流れるように美しい。

 カップとソーサーは金線の装飾が埋め込まれている高級品だ。傍らにはスタンドまで用意され、マカロンやクッキー、サンドイッチが積まれている。

 正しく英国式のアフタヌーンティータイムが始まる。ジュリエットはテーブルを挟んで白花の反対側に座った。白花が手を伸ばすよりも早く、スタンドからサンドイッチを摘まんで口に運ぶ。


「メイドってティータイムの席に座ってもいいんだっけ?」

「確かにメイドが主人と同じテーブルに付くことは禁じられていますが、白花様はわたくしの主人では御座いませんので」

「御主人様はどこにいるのかな」

「どこにもおりませんし、いたこともありません。わたくしはメイドですが、誰にも仕えません。よって、メイドという職業に対する誇りや守るべき規範は特に御座いません」

「それってメイドかな?」

「わたくしがメイドを模している理由はひとえにわたくしの能力の高さゆえで御座います。何でもそつなくこなせるキャラクターはメイド以外にあり得ません。正確に言えば、わたくしがメイドというキャラクターを選択したために能力が高いのではなく、わたくしが元来ハイスペックな人間であるためにメイドというキャラクターをこなせるのです」

「確かにメイドさんと言えば完璧みたいなイメージはあるかもしれないけど」


 サンドイッチを上品に口に運ぶジュリエットにならって、白花もクッキーを頬張る。美味しい。

 甘さ控えめの生地の中、練り込まれたチョコチップがいいアクセントになっている。素早く湧いてくる蛆虫もザクザクした食感に紛れてあまり気にならない。


「日本のサブカルチャーにおけるメイドは矛盾した存在で御座います。まずメイドは主人に仕える従者であるため、目的を自ら意志決定する主体性を持ちません。しかしそうであるが故に、迷ったりぼろを出したりすることもありません。選択しない者に失敗は有り得ないのです。すなわち、主体性の欠落こそが完璧な行為者を招来するという逆説がメイドの本質で御座います。ならば、主人を持たないメイドがいるとすれば、それは主体性を回復した完璧な行為者になりましょう。それこそがわたくしの理想とするキャラクターで御座います」

「なるほどね。それは結構面白いかも」


 美しいメイドの話を聞きながら一緒に紅茶とお菓子を楽しむ。何て優雅なティータイムだろう。

 しかし、天井から垂れる水の音が白花を現実に引き戻す。クッキーをもう一枚口に運びつつ、改めて周りを見渡した。


 ここは薄暗い、停滞した水の臭いが漂う地下だ。

 サイゼリヤを出てから路地裏のマンホールに潜り、三十分近く運ばれてここまで来た。東京の地下には複雑な治水網が張り巡らされていると聞いたことがある。ここはその中のどこかなのだろう。

 部屋というよりはコンクリートで出来た洞窟の一部だが、それなりに清掃されていて装飾も充実している。天井からは小型のシャンデリアが吊るされ、壁にはキャビネットがいくつも設えてある。

 そして白花は鉄製の椅子に座らされ、足首を錠で繋がれている。上半身は自由に動かせるとはいえ、身体の一部でも繋がれたらもう逃げることはできない。


 今の状況は決して美しいメイドさんと優雅なティータイムを楽しんでいるそれではない。危険人物に捕らえられて自由を奪われているそれだ。

 こんなことになるなら、遊希に拉致されたときの身の振り方でも聞いておけばよかったと後悔する。元はと言えば遊希があっさりのされて白花の身柄を守り切れなかったのが悪いのだが、小学生に責任を帰するのも気が進まない。

 今はとりあえず自分で出来ることをやろう。ジュリエットが雑談に興じてくれるのをいいことに、探りを入れようと試みる。


「それで、ジュリエットもアンダーってやつなのかな」

「仰る通りで御座います。アンダーにも色々ありますが、わたくしは殺害依頼の遂行で生計を立てている職業殺し屋です。黒華様が報酬として提示された代替命を手に入れるため、これから殺害を実行しようと思っております」

「あ、終わった」


 淡い期待は早くも崩れさった。

 こんなティータイムを用意するあたり、もしかしたらジュリエットも遊希と同じ白花保護派かもしれないと思っていたが、そんなことはなかった。

 自分の殺害依頼を遂行する気の殺し屋が目の前にいる。しかも地下に監禁されて身柄を拘束されている。どう考えてもこれから殺される以外の未来が見えない。


「ひょっとして、ジュリエットにはターゲットを殺す前に食事を共にするっていう……こう、殺し屋特有の美学というか、こだわり的なものがあるのかな」

「それはそのまま正しいわけではありませんが、あながち的外れでも御座いません。仕事を効率良くこなすだけの人生は窮屈ですから、常にある程度の余裕を持って取り組んでいきたいとは思っております」

「仕事への心構えも英国式なんだね」


 クッキーを食べ切ってしまい、白花はマカロンに手を伸ばした。

 マカロンを食べるのは初めてだが、クッキーに比べると中途半端に甘ったるくて美味しさがよくわからない。ジュリエットの用意が悪いというよりは、単に白花はマカロンの味があまり好きではないというだけのような気がする。

 形状的にもちょうど二つのバンズみたいなやつの間に蛆が湧いてくるので、わざわざ蛆を挟んで食べているような気分になる。あまり好きではない味に蛆が乗っかってきて、相乗効果でとても悲しい気持ちになる。

 白花のテンションが激しく下がったことをジュリエットは素早く察知する。


「マカロンに何か問題がありましたか?」

「いや、マカロンのせいじゃなくて、蛆がね。何にでも湧いてきて邪魔なんだけど、食べ物との相性も色々あるんだ。クッキーに比べてマカロンはかなり悪い方だったみたい」

「ああ、それでは遠慮なくお出しになって構いませんよ。ティータイムは堅苦しい儀式ではなく、リラックスして享受するもので御座います」


 ジュリエットが差し出したティッシュに蛆虫とマカロンを吐きだす。蛆の半分は既に噛み殺されて身体が千切れたり潰れたりしているが、もう半分はまだ生きていてティッシュの上を元気に這う。

 ジュリエットはキャビネットから新たにクッキーをスタンドへ補充し、話を再開した。


「さて、お菓子のストックを常に備えているように、余裕を持って仕事に取り組みたいというのは事実です。しかし、わざわざ白花様を拘束しているのはまた別の事情で御座います。今回の依頼は白花様の首を刎ねれば終わりという単純なものではありません。殺害にも色々ルールがあるのです。詳しく説明致しましょう、食べながらで結構ですのでお付き合い下さいませ。まず、昨日の放送で黒華様が指定されたプロトコルを覚えていますか?」

「プロトコル? そんなこと言ってたような気もするけど、あんま覚えてない」

「今回、黒華様は白花様の殺害依頼にプロトコル八番を指定されました。そのためには、誰にも邪魔されない場所で落ち着いて作業する必要があるのです」

「そもそもプロトコルって何?」

「殺害を代表とする、各種依頼の遂行手順や条件を示した一連のルールのことで御座います。保管方法や本人認証も含めたルールが無数に含まれているのですが、大雑把にルールブックのようなものと考えて頂いて結構です。例えば、プロトコルの三番を実際にお見せしましょう」


 ジュリエットは白花の椅子の後ろに回り込んだ。白花からは大きな椅子の背もたれが死角となってジュリエットの姿が見えなくなる。

 しばらくすると、ジュリエットは小さなベッドを転がしてきた。足が付いた簡素な作りの病床で、病院でよく見る担架と言った方が近いかもしれない。

 ベッドには男性が仰向けに横たわっており、手足を枷で拘束されていた。目が開いてはいるが、視線は虚ろで天井をぼんやり見上げたまま反応がない。

 ジュリエットは背後のキャビネットからナイフを手に取ると、躊躇なく男の指を切りつけた。ぶどうを房からもぐように滑らかな手つきで男の小指を切り取る。男の絶叫が響き渡るが、ジュリエットが何かの薬品を口の中に垂らすと男は意識を失って静かになった。

 ジュリエットは切り取った小指を小瓶に入れる。小瓶には黄ばんだ液体が満たされており、小指はその中に浮いた。小瓶に貼られたラベルには男の名前らしきものが大きく書いてあるが、他の文字は小さくて読めなかった。


「今遂行した依頼は、この男が金を着服して逃走したことに対する報復です。プロトコルは三番である小指の切断が指定されておりましたので、依頼主にこの小指を提出することで依頼が完了致します」

「要するに、やってほしいことをプロトコルの番号で取り決めておくってことかな」

「仰る通りで御座います。最大のポイントは、依頼は完全にプロトコルによって規定されているということです。この依頼も一応は殺害依頼で出されておりますが、小指が無くなった程度でこの男は死にません。しかしプロトコルに指定された通りの手続きを完了したため、今回の殺害依頼も完了したと見做すのです」

「なんでそんな回りくどいことするの?」

「今回の依頼について言えば、依頼主は一応殺害依頼と銘打って脅しをかけてみただけだったのでしょう。殺害でも無い依頼というのはどうにも格好が付きませんので、それはよくあることで御座います。回りくどいプロトコルが定められている理由について言えば、死の定義が曖昧だからです。何を以て人を死亡状態と見做すかは医学界でも未だに議論の対象であり、必要十分条件は定かではありません。よって、殺したと思ったのに死んでいなかったという混乱が生じないよう、厳格なプロトコルベースで合意を取るのが殺害依頼の作法なので御座います」

「じゃあ、私もプロトコルに従って手続きされるだけだから、必ずしも死ぬ必要はないってことかな」

「仰る通りで御座います」


 白花は胸を撫で下ろした。

 絶望的な状況かと思っていたが生きて帰る道が見えてきた。小指を切断されるのは痛そうだが、もっと軽いもので済んだりするかもしれない。

 何せ、あの道化師のような妹のことだ。殺害依頼はプロトコルのシステムを悪用した悪ノリで、実際の内容は無いに等しいという可能性も十分に考えられる。

 白花はすっかり気の抜けた声でジュリエットに尋ねた。


「それで、プロトコル八番の内容って?」

「心臓の摘出で御座います」


 前言撤回。それは絶対に死ぬ。

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