第6話:立った立った、蚊柱が立った!・3

 黒華が衛生管理室のドアを開けると、騒ぎを聞きつけた他の職員が廊下の奥に集まってきていた。十数メートルの距離を置いて、いくつもの視線が白花と黒華と椿の三人に注がれる。

 しかし、皆不安そうな顔で遠巻きに見守るだけだ。こちらに呼びかけたり武器を構えたりはしない。椿が言っていた通り、無駄に接触しない方針は共有されているらしい。

 それならそれで集まっていないで早く避難した方が良いと思うのだが、そうせずに様子を見に来てしまうあたり危機管理が中途半端だ。ここは本当に日常的な襲撃を受けるような施設ではないのだろう。


「誰も聞かないようなので私が聞きますが、あなたの目的は何ですか?」

「気が利くね、椿さん。ベタベタだけど電波ジャックだよ。インタポレーションを受けて緊急用に配備されたけど、一度も使われてない23区内全域放送通信回線があるでしょ。23区内のあらゆる街角のスピーカーに繋がってるやつ、あれ使いたいんだ。そこまで人質になってくれればオッケー」


 黒華が歩き出すと進行方向にいる職員たちは無言で離れていく。常に同じくらいの距離が置かれ、背中からも視線を感じる。モーセというか、従者を付き従える王様にでもなったような気分だ。

 そのままスムーズに三階フロアにある目的の放送室まで到達した。部屋には鍵がかかっていたが、扉の隙間から蚊の群れが入り込むと内側から解錠された。


 放送室内は意外と簡素だった。電源を含めた数個のボタンとボリューム、マイクくらいしかない。せいぜい高校の放送室くらいの設備に見える。黒華が言っていたように緊急事態を想定しているならば、あえて機能を減らすことでいつでも誰でも使えるように頑健に作ってあるのかもしれない。

 黒華は早速主電源を入れた。壁にかけてある使用手引きを見ながらいくつかのボタンを調整したのち、マイクを握ると大きな声で喋りかけた。


「あーあー、皆さんこんにちは。お好きなお寿司は何ですかー」


 それだけ言うと、スカートのポケットからスマートフォンを取り出した。

 黒華のスマホは黒一色で、まるでロールケーキのようにまるまるとした体形のキャラクターのキーホルダーがくっ付いている。黒華が指を素早く上下にスワイプさせると、シュポンというTwitter公式アプリの更新音が部屋に響いた。


「何してんの?」

「放送が本当に届いてるかどーかの確認。この設備がダミーとかだったら嫌だからね。変な放送したら皆がツイートしてくれるから、それで確認できるってわけ。SNSを活用するのは現代型広域犯罪の基本のキだよ。うん、問題なさそうだね、ちなみに一番人気はマグロでした。では改めて」


 黒華は息を吸い込み、マイクを握り直した。


「どーもー、おはこくかー! 蚊柱の黒華です! アンダーグラウンドの皆さん、元気してますか! 今日は色々あって日本の市街放送をジャックしてますけど、Demand and Supplyへの書き込み扱いで依頼をしてみたいと思います! IDはmos_mos、ワンタイムパスワードは……えーと……340255436ですね。さて、気になる依頼内容は……」


 黒華はそこで溜めを作り、数秒待ってから次の言葉を繋ぐ。


「皇白花さん二十三歳女性を殺してください! 報酬は私の『代替命』です! リミットは月末まで、プロトコルは八番。なるべく人道的に殺してくださいね。不必要な拷問とか痛め付けは禁止、別に怨恨とかじゃないんでそんなことしても私の好感度は上がらないですよ。同姓同名がいないことは確認済みなので、詳細は各自で適当に調べてください。細かいとこはこだわらないけど殺害だけはきっちり証拠提出込みでお願いします。それでは皆さん、おつこくか~!」


 黒華は謎の挨拶で放送を終えて電源を切った。

 そのまま息継ぎもせず、白花に向かってマシンガンのように再び喋り始める。


「質問される前に説明すると、今のはいわゆる裏社会への殺人依頼ってやつね。私も依頼サイトに会員登録してるから、IDとパスコードで本人認証、報酬を提示することで達成者を募ったわけ。本当はダークウェブの掲示板に書き込まないといけないんだけど、わりと融通効くから今のでも通ると思うよ。『代替命』っていうのは結構レアアイテムだから、そこそこたくさんの人が参加してくれるはず。一応Twitterでも確認してるけど、今の放送もちゃんと届いてるね。あはは、録音した動画がもう1000RTされてる。バーチャルユーチューバーじゃないって。ま、一般市民に対しては放送の混線とかイタズラってことで後で謝罪して誰かの首が飛ぶだろーけど、伝わる人には完全に伝わったわけ。で、相変わらず動じないねー、お姉ちゃんは」


 一気に喋り、黒華は軽く白花の腹を小突いた。

 確かに、白花は自分でも驚くほど落ち着いている。さっき目の前で人が死ぬのを見た以上、黒華の言葉は嘘ではないと思うのに。

 多分、動じていないというよりは、反応に困っているという方が正しい。こういうときにどういう返答をすればいいのかよくわからないのだ。

 それに意外なわけでもない。黒華は昔からこういう妹だ。再会したときから、とにかく予想外のことをするという予想ができていた。

 特に恨みのない実姉への殺害予告という、限りなく予想不可能な行動をしてくれたことで却って黒華は昔と変わっていないという安心感すらある。


「黒華って前からそういう意味わかんないことするの好きだったしね。動じてもいいけど、すれば助かるわけでもないでしょ。逆に私に逃げまどってほしいとか困惑してほしいとか、何か希望はあるのかな」

「アスペみたいな心配しなくていーよ。そーね、強いて言えば、死なないように頑張ってほしいかな。というか、どっちかと言うと質問を受ける側はこっちだと思うんだけどなー」

「じゃあ一つだけ聞いてもいいですか?」


 手を挙げたのは椿だった。


「どーぞどーぞ。協力してもらったし、一つと言わず何でも答えるよ。ありがとね」


 椿の首元に巻き付いていた蚊の群れが一気に放射状に飛び立った。スカートの裾から黒華の服の中に戻っていく。


「その殺人依頼が通るような裏社会的なやつって、どのくらいの規模なんですか?」

「そりゃーもう、たくさんだよ。この街にも世界中にも、表社会からドロップアウトした無数のブラウが地下で蠢いてる。そんなの当たり前じゃん。インタポレーションで人の在り方がこんなに変わったのに、皆が皆ポリコレワールドでお行儀よく生きてるわけないじゃない。肉体と一緒に精神を変えたやつがアンダーグラウンドにダイブして、着水の衝撃でできた渦巻きは何もかも飲み込んでいくんだ。私のことを特異な外れ値だとか思ってると足元掬われるよ。これは個人の問題じゃない、世界がもう既に二極化してるんだ。管理局が守ろうとしてる平等と配慮に満ちたリベラルな世界と、私たちが飛び回る自由と混沌に満ちたダークな世界にね」

「それは……夢がありますね。堅苦しくて退屈な世界だけじゃなくて良かったです」

「あれ、ひょっとして椿さんってこっちサイド? ま、お姉ちゃんと仲が良い時点で変人寄りか」

「仲良くありません」

「じゃ、これも何かの縁ってことで連絡先とか交換しとこーか。てかLINEやってる?」

「私用で良ければ」

「オッケー。QRコードでピピッとやろー」

「これって捜査に利用してもいいんですか?」

「別にいーよ、どーせ私のことは捕まえられないだろうし。インタポレーション以降はIT分野でも人権派が張り切ったせいでTorが進化した暗号通信が必要以上に普及して、トーク一つ追跡できなくなってるんだよね。そのおかげで殺人依頼だってろくに摘発できないんだから、セキュリティ様様だ……はい、登録完了。何か聞きたくなったら気軽にどーぞ。ウェルカムトゥアンダーグラウンド(笑)」


 椿との友達登録を済ませた黒華は、放送室を出ると廊下の窓を開けて窓枠に足をかけた。


「そんじゃまた! なんかあったらLINEで聞いてね! 友達増えて良かった! 結構色んな人が殺しに来るだろーけど、ちょっとは抵抗する努力してね! 生き残ろうとする気持ちから見えてくるものってあると思う! あと私が家に置き忘れた3DS、まだ持ってたらメルカリで売っていーよ!」


 そう言い残し、黒華は窓から飛び降りた。白花と椿は三階の窓から身を乗り出して下を見るが、黒華の姿は影も形もない。

 辛うじて見えたのは、黒い列を成して飛び去って行く大量の蚊だけだった。

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