第1話 二人の少女 壱

うららかな春の陽気。

澄んだ青空を見上げるには、

最高の天気である、はずだった。


とある山中。


道などなく、申し訳程度の獣道、

それすらも外れた傾斜に、

その少女は仰向けに倒れていた。


木々の隙間から、青空が見える。


少女はそれを、半開きの瞳で、

じっと眺めていた。


決して、そうしたかった訳ではない。


そうせざるを得ない状況。

決して望まぬ状況。


彼女は動けなかったのだ。


ここに倒れ込んで、ずいぶん経つ。


上体を起こすことも、

手足を動かすことも、

口を開くこともせず、


透き通るように青い空を

ただ眺めていたのである。


歳の頃、十四、五くらいだろうか。


青色の動きやすそうな装束で、

細い身体を包み、


今は体の下となっているが、

長く黒いつややかな髪を、

一つの三つ編みにして腰へと流している。


笑顔を見せれば、

可愛らしく魅力的な顔立ちであろうが、

残念ながら、

今は顔色も悪く、うつろな瞳を空に向け、

半開きの口で浅く息をするばかりだ。


少女は思う。


このまま、動けないでいると、

どうなっちゃうのかな?


答えは明白であるが、

それが浮かばないほどに、

意識は朦朧もうろうとした霧の中にあった。


見上げる空。

光る太陽。


望まぬ眩しいほどの視界が、

ふと、大きく陰った。


「……?」


雲?


いや、違う。


誰かが頭の上から、

自分の顔を覗き込んでいるのだ。


影となり、その顔立ちは見えない。


髪の毛、だろうか?

細く柔らかなものが、頬に触れている。


柔らかな香の香りが、

少女の鼻をくすぐった。


「お主!大丈夫か?

どこか怪我をしておるのか?

具合が悪いのか?

しっかりしてたも!」


…たも?


肩を小さく揺さぶられながら、

変な言葉の方に気が向く。


聞こえてきたのは、

聞き慣れない妙な言葉と、

自分のような女の子の声。


とりあえず、一つ気がつく。


自分が倒れている理由を聞いているのか、と。


少女は微かに唇を動かすと、


「…ぉ…」


と、呻き声にも満たない小さな声を発した。


「ん?なんじゃ?お?お腹が痛いのかや?」


少し頑張って息を吸う。


そして、


「お…」


「お?」


「おなか…へっ…た」


と、自らが倒れている理由を伝えた。


「…は?」


「お腹、へった、の」


勢いがついてきたのだろうか。

先ほどより、少しはっきりとした口調で話す。



少女を覗き込んだ者。


彼女もまた同じような年頃の少女であった。


話し方は聞いての通りだが、

その風体もまた、少し特徴的だ。



身を起こして、少しため息をつく彼女。


赤みがかった長い髪。

顔の両側を細く結び、

風や動きと共にそれを揺らしている。


まだ幼さを感じさせる美しい顔立ちの中で、

どこか神秘的な光を感じさせる瞳。


「…なんじゃ、腹が空いておっただけか」


花弁のような可愛らしい唇が、

ホッとした安堵の言葉を紡ぐ。



身にまとう彩りは、

清らかな純白に、鮮やかな朱。


大概の者は、一目見て、

彼女がどういった人物なのか、

はっきりとわかるはず。


神に仕える巫の者たち。


巫女の装束だ。


少し変わっているのが、

その袴というべきところ。

その丈が非常に短く、

裾が大腿の辺りでヒラリと舞うほど。


膝まである長い脚絆きゃはんと裾の間、

色白な肌が惜しげもなくさらされている。


大分、かぶいた格好であるが、

とても彼女にお似合いだ。


所々に金色の刺繍ししゅうがあしらわれているあたり

上質な代物であることがわかる。




さて、二人のやりとりへと戻ろうか。


まだ、こんな状況だ。

自己紹介どころではないだろう。


もうしばらくは、

『少女』と『巫女の少女』にて、

お付き合いいただきたい。


巫女の少女は立ち上がると、

腰に結えた袋から何かを取り出した。


竹皮の包み、か。

それを開くと中のものを取り出して、

今度は少女の足元にしゃがみ声をかける。


「姫のお弁当じゃが、食べるかや?」


両のお手手に一つづつ、

白い三角のおにぎりを握り、

倒れたままの少女へと差し出した。


「…あ」


最初、先ほど同様に生気のない目を向けていた少女であったが、突然、


「おにぎりっ!!」


と、弾かれるように身体を起こし叫んだ。


「ふふっ、どうぞ召し上が…れ?」


少女は、微笑む巫女の少女の両手首を

ガシッと掴むと、


「いただきますっ!!」


と、

『そのまま』おにぎりへとかぶりついた。


「えっ?!ええ?!」


手首を掴まれたまま、

驚きの表情を見せる巫女の少女。


おにぎりを離すわけにも、

手を振り解くわけにもいかず、

顔を紅くして、困惑の声を上げるのみだ。


「ちょ、ちょっと待っ…」


そんなことはお構いなしに、

夢中でおにぎりを頬ばる少女。


偶然か、たまたまか、

指をかじることなく、食べ進めているのだが


「ダメっ!ダメじゃって!

んっ、指なめちゃ…くすぐった、い、

あっ、ふ、あぅ、や、や、

いやあぁぁぁっ!!」


という、叫び声が山中に響いた。



「ほんとにほんとにごめんなさい!!」


土下座して謝る少女。


その前に座り込み、

涙目でよだれまみれ

ヌルヌルの両手を見つめる巫女の少女。


結局はされるがまま、おにぎりを食べ終わり

指の米粒さえなくなるまで、

しゃぶられ、ねぶられ、

指先を蹂躙じゅうりんされたらしい。


「…まったく。いくら、お腹が空いておったとはいえ、取り乱しすぎじゃろ」


頬を膨らませて言う巫女の少女の前、


「ごめんなさい…」


少女は肩をすぼめながら、

小さな声で、もう一度謝った。


まるで、怒られた仔犬のような振る舞いに、

巫女の少女は小さく微笑むと、


「ふふふっ、そんなに恐縮せんでも良い。

ちょっとビックリしただけじゃからの。

どうか、顔を上げてたもれ」


おずおずと顔を上げる少女と、

ニコニコした巫女の少女の目とが合う。


「とにかく、

元気になったようで良かったのじゃ。

姫の名前は姫巫女ひめみこ

見ての通り、巫女さんじゃ」


「わ、私のまなえ…じゃない、

名前は真白真白


「みしろ?」


「うん。真っ白ってかくの」


「真白か、素敵なお名前じゃの」


「へへ、ありが、とう」


真白は照れくさそうに笑って言った。


「姫のことは、ひめと呼んでたもれ」


「姫…ちゃん?」


「うんっ、これでお友だちじゃの」


姫巫女は、そう言って右手を差し出した。


その手と、姫巫女の笑顔を見比べる美白。


おずおずと出された真白の手を、

姫巫女はパッと両手で握る。


「あっ」


「よろしくなのじゃ、真白っ!」


「う、うん!よろし…うあっ?!」


「んふふふふ…真白のよだれさん、

お返しするのじゃあ!」


「きゃあ!や、やめて!」


「何を言うか!お主自身のものであろ?

ほれほれほれほれ!」


「ちょ、姫ちゃ…!待って!いやだぁ!」


「諦めるのじゃ、真白!」


笑いまじりのやりとり。

戯れあう二人の声。


真白と姫巫女、最初の出会いは、

こんな感じで始まったのである。


《続》

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