第25話


 京都市街より北、貴船神社や鞍馬山の方角から少し西の山間に、コンクリート打ち放しの外観が特徴的な建物が建っている。

 一般高校ぐらいの敷地の中に広い駐車場が設けられて建物近くには黒い高級車が一台止まっている。その駐車場には黒いタイヤの跡が幾筋も走っていて、さながらドリフト大会の後のようになっていた。


 建物正面には金色の箱文字で『宗教法人 常世会』と大きく掲げられ、大手会社の玄関ロビーのような出入り口は白い人工大理石と真鍮で構成された高級感漂う作りだ。

 入口付近に立てたイーゼルに大きな黒板が掲げられて『《本日の講演》高崎司祭による常世の神とその恩恵について 病や死すら遠ざける奇跡の力』と白い筆文字で書き付けられている。


 普段は信者さんや関係者、講談会に連行されてきた人々で賑わっているはずの一階ロビーは、ソファーが転がりテーブルの上には飲みかけのコーヒーやジュースがそのままになっていた。

 そのロビーを受け付けの裏の方に回り込むと二階へ行く階段がある。


 その横の壁面のエレベーターの扉の前に上顎で切断された男の頭部が虚ろな視線を向けて転がっていた。


 階段を上がりきると、木目の綺麗な廊下に障子戸の和風な趣のある二階フロアーが見える。

 ただ、今は階段口に下顎と首が切り離された死体が、自身のポロシャツと木目の床を赤く染めて横たわり、障子戸は強い力に押しつぶされたように崩れて見る影も無い。

 障子戸が吹き飛ばされたその部屋には、筋肉質な長身の男性と長い黒髪をポニーテールに束ねた華奢な女性が、部屋の床の間を睨んで身構えていた。


 視線の先には緑色のぬらぬらと光る皮膚をした、首の長い異形が四股(しこ)を踏むような格好で立っていた。右足から張り出した二本の鉤爪には赤い血糊がこびりついている。

「ケケケ。なかなかスバシッコいニンゲンだな。お前らオンミョウジの鬼狩衆ダナ。」

 カタコトに聞こえる発声でこの異形は、笑いの形に裂け上がった口をニヤリと釣り上げた。

 高く盛り上がった眉骨の下に金色をしたアーモンド形の大きな双眼がぎょろりと光る。

 そのタレ目気味の双眼の下には虚ろな表情をした男性の顔が、その異形の顔下半分を占め、目尻まで裂けた口が空気を漏らしながらカクカクと動いた。

「おい、この司祭様は、お前さんの言うように唯のお人ではないようだな。」

 筋肉質の男性は部屋の隅で震えながら身を縮めているポロシャツの青年に声をかけ、自身の左腕の斑石のブレスレットを手に取った。

「それじゃ、こっちも行くぜ。不知火(しらぬい)!」

 掛け声と共にブレスレットは古代の直剣のような形に変化し、ぼうっとその刀身を赤銅色に輝かせた。

「滝さん。頼むぜ。」

「ええ、黒田さんも気を付けて。」

 滝と呼ばれた女性は右手に二寸程の水晶球を構え、左手の朱墨の呪符を口の前にかざした。


『庭たづみ 流れを穢す あだなえに その威をしめせ 潮満珠(しおみつのたま)』


 呪歌を唱えると室内に霧が立ち込めてきた。

 部屋の窓から差している光が放射線を描く。

「ふん。コノ程度デ目くらましのツモリか?」

 異形は鼻先で笑うと、剣を構えている人影に向かって飛び掛かった。

 右足の鉤爪が唸りを上げて振り抜かれる。

「!」

 捉えたはずの右足には何の手応えも無く影をすり抜け、この異形は大きく態勢を崩した。

 その瞬間、首の後ろに激痛が走り咆哮と共にその身をよじらせた。

「ちっ。変化(へんげ)した後の蟲本体の居場所ってのはアタリが付けにくいな。」

 異形の後方を走り抜けた黒田は血振りをした後、八相に剣を構え直した。

「オノレェ、小癪なぁ。」

 異形は傷から手を離し、黒田を睨みつけた。

 傷口からは絹糸のような繊維が吹き出し、見る間に傷口を塞いでいった。

「切り刻ンで初齢幼虫ノ苗床にシテくれるわっ。」

「うわお、ぐっとくる殺し文句ぅ。」

 黒田はおどけた口調で軽く頭を振って、ふわりとバックステップを踏み距離を取った。

 さらに周りの霧が濃くなってゆく。

 すると剣を構えた人影が五体この異形を取り囲み、銘々が色々な方向に動き回った。


 異形は古い戸がきしむような雄叫びを上げると、影の一つに殴り掛かった。


 拳がその影の頭部を素通りすると同時に右脇腹が切り裂かれた。

 その態勢で右足の鉤爪を大きく振り抜く。

 影は捉えたものの、その鉤爪は空を切った。

「やぁ、こっちだよ。」

 左からの声に、その長い首を向けた瞬間、その視界の真正面に立っている黒田の剣が、左の首の付け根から右胸までを深々と切裂いた。

 傷口を押さえてうずくまる異形は、裂け上がった口から赤黒い体液をごぽりと吐き出してうめいた。

「つ、強イ。お前は何者ナンダ?」

「あんたが言ったように鬼狩だよ。それより質問に答えろ。雄体のお前が人間に卵を産み付けられる訳がない。お前に卵や幼虫を渡している雌体がいるはずだ。雌体の居場所を教えろ。そうすれば今回は見逃してやる。」

 傷口を押さえて小刻みに震えていたこの異形は、ゆらりと立ち上がった。

「ナメるなぁ、人間風情がっ。」

 左足の鉤爪を振り上げ、大きく前に出る。

 黒田はひょいと身をかわし、再び霧の中に紛れた。

 異形はそのまま光が差す窓に向かって突進する。


 どん、と鈍い音がして異形は部屋に弾き返された。


「水の結界を張ったのよ。逃げられないわ。」

 ふっと霧が流れて、水晶球をかざしている滝の姿が垣間見えた。

「ならば術者ヲ潰シテ術を解イテやる!」

 滝に向かって突進する異形の体のあちこちに、刀傷が口を開けた。

「おいおい、俺と遊んでくれるんじゃなかったのかい?」

「この程度の傷などスグに癒着するわ。まずコノ女を潰シタ後でキサマも引き裂イテやるぅ!」

 剣を振る黒田を尻目に異形は滝に向かって跳躍した。

 滝は左手の朱墨の呪符を口元に持って来ると、ぽそりとつぶやいた。


『・・・あつまりて、こごれ・・・』


 黒田が付けた刀傷に向かって部屋中を埋めていた霧が流れ込んで行く。

 床を砕いた異形から距離を取った滝は冷たい笑いを放った。

「おのれ、チョコマカと・・・」


『・・・はぜよ・・・』


 鎌首をもたげた異形の長い首が突然はち切れんばかりに膨らんだ。

「ア・・・が。」

 首長竜のような首に幾筋もの裂け目が走り、赤黒い体液を派手に撒き散らせてその皮膚と肉が弾け飛んだ。

 鶏ガラのような剥き出しの延髄部分に、大きなカブト虫の幼虫のようなものがへばりついている。

 間髪を入れず黒田は剣をその乳白色の塊に突き刺した。

「げぁ。」

 嫌な声を上げて異形は倒れ伏した。

 剣先でうねうねとうごめいていたそれは、やがてだらりと動かなくなった。

「お見事。」

「いやぁ、噂には聞いていたが『水使い』の技、見せてもらったよ。滝さん、あんたと戦いたくは無いもんだな。」

 黒田はびゅんと血振りを行って、刺さっている芋虫を床に叩きつけた。

「あ、退治の証拠をぞんざいに扱わないでくれる? 貴船の上司に提出しなきゃならないのに。」

 滝は懐から呪符のプリントされたビニール袋を取り出し、ひょいとその芋虫の骸を放り込んで口を縛った。

「へぇ、近頃は便利なものがあるんだな。」

「時短よ。いちいち結界の儀式を敷いていたら、早く帰られないじゃない。」

『すごいわね。もう蟲を倒しちゃったの?』

 突然に天井付近から女性の声が響き、滝は驚いて朱墨の呪符を身構えた。

「ああ、滝さん。心配しなくて良いよ。その声は露さんだな。」

「え、誰?」

「兄貴の知り合いだ。」

 きょろきょろと辺りを見回すが人影はおろか、人の気配も感じられない。

 強いて言えば天井に立派な蜘蛛の巣が張られ、それが微妙に揺れている。

『博通さん。崇弘から伝言よ。今、鞍馬寺に居る鞍馬鬼狩衆の玄昭と言う人物に接触して助勢を求めてくれって。彼の追っている事件に《東の門番・デーゲンハルト》が関わっている可能性があるそうよ。』

「なに、あのマザコン・ジジイが? まだ生きてたのか。」

『玄昭って人の顔は社務所の防犯カメラのメモリーにアクセスして確認してくれって。それで、その事件に今、柳町の教会で頼光くんも関わってるのよ。』

「何? やばいじゃないか。分かった、貴船への報告が終わり次第すぐに向かう。」

『それじゃ、伝えたわよ。』

 そう声が響くと、はっきりとしていた天井の蜘蛛の巣が次第に薄くなり、やがて消えてしまった。

「こ、これは?」

「ま、世の中には色々な術者が居るってことさ。さあ、急ごう。早く貴船に報告を入れて、俺の用事に取り掛かりたい。」

 黒田博通は手にしていた直剣を斑石のブレスレットに変化させて左腕に装着した。

「ちょっと待って。私の憶え違いでなければ、さっきの頼光君て・・・」

「ああ。『雷帝』皆本義晃さんの息子の頼光くんだ。少し前、貴船で彼の封印の修復を施術してもらったんだったっけ?」

「・・・禁忌の子・・・」

 ぼそりと漏らした滝のセリフに博通は眉をしかめた。

「俺はそういう物言いは嫌いだな。義晃さんと紅葉(くれは)さんが惹かれ合ったのも、その二人の間に頼くんが生まれたのも、どれも悪いことじゃないだろ?」

「でも、妖族と人間とは元々異質なもの。必要以上に干渉するべきではないわ。それが自然の摂理ってものよ。この摂理の調和を守るのが私たちの役目であり存在理由なのではなくて?」

 博通は首をぐりぐりと回して大きく伸びをした。

「信念があるってことは立派だが、それを他人に押し付けるのは感心しないな・・・あんた本気で人を好きになったことが無いね。」

「そっ、それとこれとは関係無いでしょ。」

 滝はすっくと立ちあがって博通を見上げた。

「ん、まぁ、こんな所で哲学ぶってても仕方がない。早く蟲退治の報告に行こうぜ。もたもたしてると通報を受けた下鴨署の警官に捕まっちまう。」

 二人は足早に、気絶しているポロシャツの青年の横を通り過ぎて行った。

 

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