第六五話 夜のデート?

 ◆天文十六年(一五四七年)七月中旬 近江国 箕作みつくり城付近


「物音を立てるなよッ」

 声色低く命令する。

 夜の闇にまぎれて箕作みつくり山を登山中だ。


 史実の信長の観音寺城攻めの際には、秀吉が夜襲でこの箕作城を攻め落としている。だからこそ今回の夜襲を提案したんだ。

 秀吉くんの活躍を奪うようで申し訳ないけれど、彼は日本随一の商人になれるはずだしノープロブレムだよな。


 ともあれ、夜襲部隊を率いるおれに付き従うのはごく少数。信長ちゃんの馬廻りの佐々さっさ内蔵助くらのすけ成政なりまさ、先ごろ召し抱えた岩室いわむろ長門守ながとのかみ重休しげやす、太田牛一。そして強引に付いてきてしまった愛しの信長ちゃん。その他には、諜報衆の多羅尾光俊と信長ちゃんのボディーガードのお奈津程度。総勢十名にも満たない。


 目的の箕作山は、六角定頼さだよりの本拠地――観音寺城がそびえる山の隣に位置している。標高三〇〇メートルほどの小山だが、斜面はかなり急で夜間の登山は非常に難儀だ。

 点火していない松明たいまつの柄で、進むべき足場を確認して、次に足をその足場へ移動することを延々と繰り返す。月明かりはあるものの、遅々としてつらい登山だ。


「城より二〇間(三六メートル)まで近づくぞッ」

「オウッ」

 おれの命令に応える声も、予め厳命してあるので短く低い。

 重い鎧を装着した登山は相当な重労働なので、周囲から「ハアア、ハアア」という荒い息遣いも聞こえてくる。そろそろ一息入れないと、城攻めまで体力が保たないな。


「総員、四半刻(三〇分)静かに休め。まだ先は長いぞッ」

「オウッ!」

 低く命令するとそこかしこで、ふーう といった安堵の深い息が聞こえる。

 いいぞ。今はしっかり休んでおいてくれ。道のりはまだ長いので、休憩を適度に入れないと後できつくなる。

 信長ちゃんはどんな様子だろうか。


「フーッ! さこん! なかなか難儀ではあるが、夜討ちは楽しみなのじゃ」

 常日ごろから鍛えていて、体力のある信長ちゃんでさえも荒い息をしている。

「姫! 大丈夫ですか? 厳しいようなら、下で修理しゅり(柴田勝家)たちと待機してもらった方が……」

「何をこれしき。ワシなら大丈夫なのじゃ」

 気丈きじょうにもはっきりとした返事をする信長ちゃんである。

「左様ですか。ならば安心しました。今はしっかり休んでくださいね」


 那古野から京都へ、そして一夜明けての近江の観音寺へ。強行軍の繰り返しをしたうえ、夜襲のために、困難な夜間登山を総大将自ら行なっている。未来のヨメの信長ちゃんは、驚異的な行動力を見せて、頼もしいことこのうえない。

 冷静に考えれば、信長ちゃんは有力な戦国大名織田信秀の娘だからお嬢さんと言っていい。なのに史実の信長の同等以上の実行力を見せて、天下布武を目指している。

「うむ! ワシの戦ぶりを公方くぼう(将軍)殿に見せつけねばなっ。弱音など吐いていられぬのじゃ」

 飽きれるほどの力強さの信長ちゃん。主君としても婚約者としても、誰彼かまわずに誇りたくなるほどだ。


「よしっ! 行軍再開。一気に城まで取り付くぞッ!」

「オウッ」

 低く命令して、再び闇夜の登山が始まる。

 暗闇に目は慣れるとはいえ、足が滑って斜面に這いつくばることも数え切れない。まるで拷問のよう。

 山の麓から上り始めて、二刻(四時間)ほど登っただろうか。ようやく城壁のような塀が見てとれた。


 若干の満足感を覚えるが、これからが本番だぞ。

 仮に敵に気取られて反撃されたら、少人数のおれたちはひとたまりもない。気を引き締めなければな。

 城内を覗うと、しーんと静まり返っていて物音一つない。幸いにして敵兵に気づかれている心配は、全くなさそうだ。

 この箕作城の隣に位置する和田山城が織田軍の目標だと思っているのか、強行軍の末の夜襲を想定していないのか、理由は定かではないけれど僥倖なのは間違いない。


「あと、十間(一八メートル)近づくぞ。十間近づいたら勝ちだ!」

「オウッ!」

 応える低い声にも安堵感がにじみ出ている。

 みんなよくやったぞ。心の中でねぎらう。


 十間ほど城壁への距離を詰めた。いよいよ城攻めだ。何ともいえない高揚感がある。

「和泉(太田牛一)、火矢の準備は?」

「準備万端、大丈夫です。うっふっふっ」

 牛一はいつもの調子とまったく変わりない。そこが頼もしいヤツだ。


内蔵助くらのすけ(佐々成政)! おまえが頼りだぞ。やれっ!」

「オウッ!」

 低く応えた若手の成政が、エイヤっと短く声を発して、ナパームもどきをいくつも城内に投げ込む。カシャン、カシャンといった、甕の割れた音もしている。

 よし。うまいぞ!


「和泉! 頼むッ」

「オウッ」

 合図に牛一が火矢を城内に射かけると、瞬時に紅蓮の炎が上がって、盛んに黒煙も巻き上げはじる。

 素晴らしい。目論見通りの大成功だ。

 山の麓を見ると、打ち合わせどおりに数えきれないほどの松明たいまつが点火されていた。箕作城に火の手が上がったら、五千の松明に一斉に点火するよう柴田勝家に依頼してあったのだ。



「内蔵助、見事だったな。我らの勝ちだ。残りのナパームも投げ込んでやれッ!」

「オーッ!」

 成政は今度は声を低くせず力強く応えて、二個のナパームもどきを投げ込むと、城内にさらに火の手が上がる。


 ――夜襲だァア!

 ――火を消せェエイ!

 ――熱い熱い熱いッ!

 など怒号や悲鳴も聞こえて、城内は大混乱の様相を示し始めている。


「敵兵に注意しつつ、我らも下山する。松明に点火しろ」

「おおおおおーっ!」

 城攻めの成功もあり、応える声にも歓喜が混じる。暗闇の登山の往路と違い、松明の明かりもあるため、下山は非常に楽だ。

 背後を見ると、城は盛大なオレンジ色の炎と黒煙に包まれている。すでに箕作城の防御施設としての機能は、ほぼ失われているだろう。

 そして山麓からは、数百の松明の列が箕作山へ登り来る。はっと息を飲むほどの美しい。

 隣で作戦成功の様子を眺めていた信長ちゃんも、満足そうな笑顔でしきりにうなずいている。

 

 こうして箕作城の奇襲部隊は、高揚感とともに、山麓で別働隊を指揮している勝家や可成のもとに下山した。


「さすが、殿! 見事な城攻めでありましたな。ワッハッハ」

 麓で待機していた勝家が上機嫌で迎えてくれる。

「うむっ。なぱあむで城に火をかけてやったのじゃ」

「和田山も既に兵が逃げ出している模様ですぞ。ワッハッハ」


「修理も見事であったな。勝どきをあげるぞ! えい! えいっ!」

「おおおおおおおおーーーーっ!!」

 信長ちゃんの音頭で織田勢は、観音寺城に届けとばかり盛大な勝どきをあげる。

「えいっ! えいっ!」

「おおおおおおおおーーーーっ!!」


 ひとしきり勝どきをあげた信長ちゃんが、おれの元に小走りに駆け寄ってくる。

 かがり火によりオレンジ色に照らされた表情は、満面の笑顔で神々しいまでに美しい。

「さこんの策、見事じゃったなあ」

「みなの尽力の賜物ですよ」

「うふふ……我が織田勢の松明行列も格別であったし、夜のでえとは実に気分が良いのじゃ」

 そっと彼女が耳打ちしてきた。

 信長ちゃんは大きな目をキラキラさせている。デートではなく夜襲ですよ、と突っ込みを入れたかったけれど、野暮なことはしない。

「おれも、姫と夜のデートができて楽しかったです」

 こうして、箕作城の夜襲は成功裏に終わった。となれば、やはり史実どおりに、観音寺城もたやすく落ちるだろうな。達成感と充実感を充分に覚える夜だ。

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