第六三話 プロポーズ

 ◆天文十六年(一五四七年)七月中旬 京 二条城


 勝利に沸きあがる二条城だが、今後の近江情勢など考えながら早めにおれは横になっていた。文字通り強行軍の疲れもあったのだろう。

 ここ二条城には、既に三河木綿使用のふとんが、贈答品用も含めて那古野から大量に送られている。そのため、間借りしている客間にも、木綿ふとんが用意されており、寝心地が良く疲労した身体に心地いい。

 さすが光秀。気配り上手で用意の良さに舌を巻く。


 ふと、人の息遣いを感じたので見やる。一瞬、不審者かと思えば、行灯あんどんの薄暗いオレンジ色に照らされて、ふとんの脇にちょこんと座って微笑んでいるのは、愛しの信長ちゃんだった。

「さこん、入るぞ!」と彼女はニマニマと笑っている。

 いつもは、入るもなにも返事すら構わず、盛大な物音を立てておれの屋敷に入ってくる信長ちゃんなのに、どうしたんだろう。

「姫は既に部屋に入ってきているではないですか」

 詰問するつもりもなく、彼女の予想外の訪問を嬉しく感じて、ふわっとした調子で返答する。


いなッ! 入るのは部屋ではないわ! さこんとらぶらぶしながら話をしたかったのじゃ」

 すっと掛け布団をめくり上げると、信長ちゃんが仰向けのおれに覆い被さり、微笑んでいる。

「姫……いかがされました?」

「日向(明智光秀)は実に頼りになる。なれど以前にも申し伝えたが、さこんは日向とは違うのだぞ。ワシはさこんと斯様にらぶらぶしたいのじゃ」

 そう信長ちゃんは甘えた声を出して、しっかりと抱きついてくる。


 信長ちゃんは、一見粗野な行動をしているように見えるが、驚くべき細やかな心遣いをすることがある。さきほどの光秀に対するおれの視線に、何かを感じたのだろうか。

「ええ、おれもとても嬉しいです」

 そんな彼女の心遣いが嬉しくて愛しくて、力強く抱きしめ返す。

「二年前にさこんと会ったばかりの頃に、ワシが話したことは覚えているか?」

 記憶力も信長ちゃんは相当なもの。おれも記憶力には自信はあるけれど、さっぱり見当がつかない。何を言い出すんだ?


「斎藤新九郎(義龍)との縁談が取り沙汰されていた頃に、ワシは好きでもない男に抱かれるのは嫌で、嫁に行きたくないと言ったのじゃ」

「ああ、そんなこともありましたね」

「その折に、さこんは好きな男になら抱かれたいかと、ワシに問うた」

 くっ。なんて記憶力だよ。すっかり忘れていたけれど、そんな話の流れになった気もする。

「はあ、そういった覚えもありますね」とでも言うしかない。記憶力の高い彼女(仮)を持つと苦労するぜ。

「ワシは抱かれるのは多少興味あるが、好きになったことがないゆえ分からぬ、と答えたのじゃ」

 一字一句覚えてるのかよ。まったく恐ろしいよな。


「そのような話でしたね」と、返答するしかないぞ。

 それで結局、彼女は何を言いたいんだろう。

「ワシはその後、さこんのことを好きになったのじゃ。ゆえに、さこんになら抱かれても、嫁にいってもよいと思っているのじゃ」

 信長ちゃんは静かに微笑んで、おれを見下ろしている。ド直球の告白で嬉しいけれど、少し対応に困ってしまう。

「おれも、姫のことを好いておりますから、姫を抱きたいですし嫁にしたいと思ってます。が、しかし……」

「うむ。『しかし』はなしじゃ。それ以上言わずともよい。あれから二年、ワシも尽力して尾張、三河、美濃の三国を治めておるな。そして今、近江・伊勢・伊賀(滋賀県・三重県)を平らげる目途がついたのじゃ」

 今回の二条合戦で、六角氏・浅井氏・北畠きたばたけ氏を討伐する名分が立つ。武家の頭領でもある室町幕府将軍が、援軍を要請したものの彼ら三大名は黙殺したからだ。

「ええ。六角、浅井、北畠を攻められますね」

 彼女の頭をやさしく撫でながら答える。


「ふう。討っても討ってもきりがないものであるな。さすがに戦続きも気が滅入るのじゃ」

「ええ。まだまだ長き道のりです。大丈夫。姫の側にはおれがいますよ」

「うむ。まだまだ世は落ち着かぬな。だが、落ち着いたらワシを抱いてくれ。嫁にしてほしいのじゃ」

 どう考えてもプロポーズだよな。上目づかいのすがるような信長ちゃんに、否の答えがあるわけがない。


「おれの方こそ、お願いしたいです。約束します」

「で、あるか。さこんが約してくれて嬉しいのじゃ」

 そう信長ちゃんは呟いて満面の笑みを浮かべている。幸せな気分だ。こんな素晴らしい女性おんなはめったにいないぞ。誰かに自慢したいくらいだ。


「おれも嬉しくて最高の気分ですよ」

「斯様なことをしても、男の欲が収まらぬことは知っておるのじゃ。だが、少しはさこんが喜ぶかと思ってな。婚約の手付代わりのワシの気持ちじゃ。受け取れ!」

 信長ちゃんは少し乱暴に言い放つと、髪をすっと解いて、白い下着の襦袢じゅばんを脱ぎ捨てる。そして、おれの肌に自分の身体を密着させるように、おれの寝巻きをはだけつつ抱きついてきた。

 暖かくて柔らかくて、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

 そっくりさんの祥姫でなく、おれと裸で抱き合っているのは愛しの信長ちゃんなのだ。

「姫……」

 最高だ。最高に幸せな気分だ。この時代に来て本当に良かった。優しく彼女を抱きしめてキスをする。


「つるでぺたではなくなったと思うのじゃが……手付は気にいってもらえたか? 今宵はさこんと斯様にしていたいのじゃ……」

 彼女が耳打ちしてきた。確かに信長ちゃんの身体は、若干細身だが既に大人の女性だ。彼女の身体は充分魅力的で、温もりや柔らかさを堪能していると、理性が決壊しそう。

「気に入るも何も姫は最高です。とても綺麗です。おれの好みで天にも昇る気分です」

「で、あるか。最高で綺麗で好みであるとは嬉しいのじゃ」

 満足気に微笑んでいる信長ちゃんだが、髪を下ろした彼女の様子は、祥姫との関係を連想させてしまう。


 もちろん祥姫ではない証拠に、彼女は「この有様ありようを誰かが見たらどう思うだろうな。ワハハ」と、いたずらっ子のようにキラキラワクワクした目で笑っている。

 この様子を誰かに見られるのは明らかにまずい気がするけれど、なんで笑ってるんだろう?

「…………」

「構わぬッ! 父上も、爺も、修理しゅり(柴田勝家)も、五郎左ごろうざ(丹羽長秀)も、みなワシとさこんが斯様かようなことをするほど親しき仲ぐらいは知っておるわっ!」

 他人にそう思われていても仕方ない、と思ってはいる。だがいくら親しくても、表向きは殿と家臣だから引け目を感じてしまうのは事実。ただ、いまは裸の信長ちゃんと布団の中で抱き合っている状態なので、ここに至ってはどうにでもなれの気分だ。


「は、はあ……左様かもしれませんね。ところで、髪を結びあげてほしいのです……おれの好みですから」

 先ほどからどうしても、髪を下ろした信長ちゃんは、祥姫を思い出して気が引けてしまう。いつものポニーテールにしてもらおうと頼む。


「ワハハ。さちを抱いたことを思い出すのであろうな。これでよいか?」

 すると、信長ちゃんは、しゅしゅっと手早くポニテを結びあげる。やはり、信長ちゃんはこの髪型でなくては。

 だが、ぼかしていた祥姫との関係が完全にバレていて、まずい展開ではないか?

「おれはその方が好みです。おれは、祥姫とは……」

 まずい、口ごもってしまったぞ。

「フン! ワシがさこんの考えていることを、分からぬはずないであろう?」

「あ、はいっ。申し訳ありません。が、おれは……祥姫と……」

 あーあ。完璧に自白させられた格好になってしまった。やっぱり祥姫との一件を、誤魔化し続けるのは勘の鋭い信長ちゃんには無理だったか。


「ワシを抱きたくも抱けぬゆえ、影武者の祥を抱いたのであろう? そのぐらい分かっておるわ。これからも今宵のような気分の時にらぶらぶさせるのじゃ。ならば許すっ!」

 信長ちゃんはおれを抱き締めて、再度口付けをしてくる。彼女の表情はいたって平穏。

「ええ、その時は姫を抱いているつもりでしたし、姫ともっともっとラブラブしたいと思っています」


 本当に心が広くて、頭もよく最高の女性おんなだと思う。信長ちゃんと恋愛関係になれて最高の気分だ。

「で、あるか」

 ニコニコと微笑む信長ちゃん。機嫌は悪くないというよりは、かなりご機嫌の表情。ぎゅっと彼女を力強く抱き締め返す。


「ワシもさこんの男の欲を満足させられぬのは、心苦しいのじゃ。すまぬが、こらえてくれ」

「ええ。姫を斯様に抱きしめているだけで気分は最高ですよ」

 正直な気持ちだった。信長ちゃんとは身体の関係はなくても、抱き合って肌の温もりを感じるだけで気分は最高だ。

 当然いつかは、という気持ちはある。だが、焦って状況を悪くする必要はない。

 子ができたりすると予測不能になって、状況が悪くなる可能性も充分ある。彼女もまだまだ若いし、今のところはこの関係で充分だと思う。


 信長ちゃんと抱き合いながら、おれはずっと気になっていた件を切り出すことにした。

「姫、おれをかどわかした曲者についてなのですが……」

 彼女は一瞬眉をひそめたかと思うと「身内の問題でもあるので、今のところはこれ以上は藪蛇なのじゃ」と天井を見上げた。

 なるほど。やはりあの拉致軟禁事件の首謀者は、三河安城の信広兄だったのか?

 身内に甘い信長ちゃんだから、不問にするつもりなのかもしれない。

 だが、やはり気になる。

「なれど……姫」と言いかけた。

「うむ。既にあの件の仕置しおきは終わっているゆえ、さこんが気にせずとも良い。さこんやワシが危うくなる事態は金輪際起こらぬ」と信長ちゃんはきっぱり断言する。

 史実の信長は、信広兄と弟の信行に裏切られてるだけに、犯人が身内というのがどうしても気になってしまう。既に信長ちゃんがケリを付けたようだし、身内のデリケートな問題だけに反論はできない。

「はっ……承知いたしました」


「それよりな。ひとつ、さこんにお願いがあるのじゃ」

 不穏な気分を振り払うように、そう信長ちゃんがにっこり微笑んで囁くように言った。彼女は何を言い出すのだろうか。

「はっ! なんなりと」

「ワシの身体を凝視したり、いろいろと触れられるのは嬉しくもある。なれどワシも恥を感じるし、妙な気分が昂じて歯止めが効かなくなると困るゆえ、いまは相済まぬが手加減をするのじゃ。さこん、よいな?」

 ぽんっ、と信長ちゃんはおれの軽く頬を叩く。

「ははーっ!」

 おれも冗談めかして、大げさに答える。彼女もおれとこうした関係は心地よく、いつかはという気持ちもあると知って嬉しくなった。


「で、あるか!」

 信長ちゃんはこの上なく満足そうな笑顔。

 おれも戦国時代の真っ最中にはありえないほど、幸せで最高に素晴らしい気分だ。早く戦をなくしたい。身内の争いもなくしてあげたい。この素晴らしい女性との幸せを、もっともっと大きく広げたい。切実にそう願って、強く信長ちゃんを抱き寄せた。

「お任せあれ!」

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