第六〇話 未来兵器の威力
◆天文十六年(一五四七年)六月下旬 駿河国 駿府館
交渉を終えて、あてがわれた客間で
「おほほほほ。左近殿、左近殿。おほほほほ」
なにやらすこぶるご機嫌だ。理由は分からないけれど、マロがニコニコと笑っている。だが、男性のおほほ笑いは、申し訳ないが少々気味が悪いぞ。なにを企んでいるんだ?
「やっ! 治部殿ではないですか」
一体全体、マロは何をしに来たのだろう。同盟の件に関する答えを伝えにきたのだろうか。三日検討するので待ってくれ、とのはずだが一瞬じゃないか。
「武田
なるほど。武田家との戦争を真剣に考えはじめたか。手応え充分。
いいぞ。あとひと押しだろうか。ならば、対応策はあるぞ。
「治部殿が勝てぬとは申しません。ですが厳しい戦になるゆえ、尾張から援軍を出します」
「おほほほほ。織田の援軍は頼もしいでおじゃるが、武田の強兵に勝てるでおじゃるか?」
一対一の勝負なら、精強な武田兵に負けるのは仕方がない。だが、合戦の勝敗を決めるのは個人戦ではない。圧倒的な兵力や装備・訓練・規律・統率による組織力で上回れば、武田と合戦になっても勝てるはずだ。
「勝てます。尾張には数年で五〇〇〇の
胸を張って断言する。もちろん、合戦での勝算はあるし、マロとの交渉の手応えもある。
「おほほほほ。なんと、五〇〇〇の種子島とは……尾張は実に富裕でおじゃるな」
マロも鉄砲の有利な点や価格は把握しているのだ。やはり優秀なマロを敵にするのはとても厄介。今川・武田・北条の三者であれば、敵にすると最も危険な男の認識だ。ならば味方につける一択。歴史的に、仮想敵国同士の電撃的な今川・織田同盟交渉の正念場だぞ。
「これまで国を充分に富ませてきましたゆえ。さらに種子島は増やすつもりです」
織田と仲良くすると、経済的にも潤う利点をちらつかせるのも忘れない。
「おほほほほ。さもありなん。おほほほほ。だが、織田の
やったぜ。やはり乗ってきたな。優れた武将ならば、新しい戦術に興味を示すに決まっている。まず間違いなく、今川との同盟は成立するはずだ。内心ほくそ笑む。
「無論、全てをお見せするわけにはいきませんが、織田の戦の技をひとつだけお見せしますゆえ、燃やしてもよい屋敷などありませんか? それから火矢の準備を」
「おほほほほ。不要な屋敷と火矢でおじゃるな。おほほほほ。相分かった」
マロは近習を呼ぶと、なにやら耳打ちをして屋敷から出て行く。ついて来いという意味だろう。おれに向かって
笏の使い方が違うだろう、と突っ込みたくてしょうがない。だが「おほほほ」と笑いながら、盛んに笏を振っているマロに、どうしようもなく可愛さを覚えて、笑いを
マロと二十名ほどのマロ部下と一緒に、駿府館からしばらく歩くと古い廃屋があった。おれは、尾張から持ってきたアレの威力をマロに見せたいんだ。
アレとは丸い
「左近殿、あの屋敷なら燃やしても構わないでおじゃる。織田の戦の技を見せてくれるでおじゃるのだな?」
「はい。某がこの甕を屋敷に投げ込みますので、甕めがけて火矢を一矢射かけてください。これをナパームと申します」
相良油田の原油を利用したナパーム弾もどきである。もちろん未来兵器だ。相良産の原油は世界的にも良質で、ガソリンとナフサ分のみで構成されている。ろ過しただけで、ガソリンエンジンを稼動させることができるほどだ。
その相良原油に、増粘剤として砂糖とある植物油脂を加えて粘り気を出す。可燃性に付着したら、容易に流れ落ちないようにして、消火を困難にすると同時に、より燃焼し易くする効果を出したわけ。
「おほほほほ。なにが始まるでおじゃるか?」と、マロは再び盛んに笏をフリフリしながら興味津々の顔つき。
何ですか? この生き物は? 無性に愛嬌があるんだけど。
腹を抱えて笑いそうだったが、何とかこらえて「えいやっ!」と甕を屋敷に投げ込んだところ、首尾よく狙い通り。カシャンと甕が割れて、中に入っていた燃える水が屋根に降りかかる。
そこに一本の火矢が向かったと思ったら、瞬時に廃屋がオレンジ色の炎に包まれて、盛んに黒煙をあげ始めた。
よしっ! 大成功だ。
「な? なっ!? 左近殿、なにゆえ斯様に燃えあがるでおじゃるか? おほほほほ」
盛んに笏をフリフリしながら、ナパームもどきの威力に大興奮中のマロ。
「これが織田の戦の技のひとつ……ナパームの威力です。ナパームが燃えますと、水を掛けても容易に火は消えません」
「ななななんとっ!? 水を掛けても火が消えぬですと? なぱあむとは実に奇怪面妖であるな。おほほほほ。なぱあむを使えば、城などたやすく燃え落ちるでおじゃるな?」
「はい。城を攻める際にも利用できますが、守る際にも敵兵に投げつけ焼き殺すこともできます」
このナパームもどきを対人攻撃に利用した場合、敵兵の身体に付着して燃え、水で消火できないため
暗澹たる気分になる。核兵器など大量破壊兵器の開発者も、このような思いをしたのだろうか。
もちろん使用しないに越したことはないが、信長ちゃんと目指す覇道の先には、使わざるを得ないときもきっと来るはずだ。
「五〇〇〇の種子島になぱあむか。織田は容赦ないでおじゃるな」
「戦ゆえ、敵を倒すのに容赦は致しません」
「おほほほほ。北条の件はさておき、今川は織田と組もうぞ。織田を敵するのは愚かな行いでおじゃる。左様であろう? 左近殿。おほほほほ」
マロは、再び盛んに笏を振りながらニコニコと微笑む。
やったぞ。目論見どおりの同盟成立だ。これで織田領の東側の安全は確保できるだろう。
「はっ! ありがたき幸せでございます」
ナパームもどきによって完璧に廃屋が焼け落ちた後、マロたちとともに館に戻る。
館に戻ったおれとマロは、
世に言う『
◆天文十六年(一五四七年)七月上旬
今川家との同盟を無事にまとめあげて、本拠の那古野にトンボ帰りの最中だ。
『吉さま。左近です。
無事に今川と盟約を結んだので安心してください。
おれは元気ですよ。すぐに那古野に帰ります。
あいにく駿河のお土産はありませんが、姫が好きそうなお菓子の作り方を覚えましたので、五郎左に作ってもらいましょう。
駿府では、日ノ本一の
富士山は綺麗な形の山です。いつか二人で眺めましょう。
左近より吉へ』
心配するといけないので、那古野に戻る前に信長ちゃん宛にこの手紙を先行して送っておいたんだ。こうした細かいところをケアしておくと、おれの予想以上にすごく喜ぶんだ。彼女の女子らしい部分だよな。
ともあれ、まとめた駿尾同盟がうまく機能すれば、織田家にとって非常に有利になるのは間違いない。
懸案の危険人物――武田信玄は、現在
史実で、織田と武田は長らく同盟関係を結んでいたが、同盟中ですら美濃にちょっかいを掛けてくるなど、厄介で面倒で危険なヤツだ。
甲斐は山がちで平地が少なく、米の生産はさほど期待できない貧しい国。この時期の信玄の出兵の中には、自国の食料生産だけでは食うに困るので、攻め入った先での略奪目的と見えなくもないケースがある。
食い扶持が掛かっているだけにやたら精強。また、金山から豊富に産出する金の恩恵で、出兵するための軍資金があるからなおさら厄介。攻め入られた先はたまったものではない。事実、史実で侵略の矛先になった信濃の民は、信玄と甲斐に対して深く恨みをもったという。
現在の武田信玄に対する方針は、こちらからは手を出さない。もちろん武田にも、こちらに手を出してほしくない。そのうえで、武田が手を出すとしたら、我が美濃ではなく駿河に目を向けさせたい。
妙に憎めないマロには申し訳なくずるいようだけれど、当然ながら自国の直轄領を蹂躙されたくはない。それにあの強かなマロが健在ならば、史実の徳川家康のように、武田信玄に一気に攻め込まれることはないだろう。
だから織田としては、マロの駿河の発展に力を大いに貸す。駿河を富ませ太らせて、信玄が食いつくエサになってもらう。
史実の織田・徳川が武田家を迎え撃った長篠の合戦に相当する合戦を、織田今川同盟によって駿河でおこない、武田家の戦闘力を殺ぐプランだ。
今川領に武田が攻め込めば、ひょっとすると北条の援軍も期待できるかもしれない。北条と友好関係を結べば、相模から甲斐へと裏口を狙ってもらう手もアリだ。
ともあれ、史実の家康くんと組んだ清洲同盟よりも、駿尾同盟はずっと有利なはずだ。
ちなみに、信長ちゃんあての手紙に書いたお菓子とは、お菓子の範疇か微妙だけれども『
きな粉で餅が黄色くなっている様子が、安倍川の上流で取れた砂金をイメージさせたのが、ネーミングの由来らしい。
名付け親が家康くんと伝わっているので、お星様にしてしまった責任を取って、安倍川もちを後世まで広めてあげよう。
安倍川もちに黒糖をかけると、現代の山梨名物として有名な『信玄餅』になるのかな? 信玄餅の方が信長ちゃん好みだと思うのだけれど、黒糖の原料はサトウキビだろうか。この時代、サトウキビは手に入れられるんだっけ? 那古野に帰ったら調べてみよう。
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