第四九話 勝家のヨメ

 ◆天文十六年(一五四七年)三月上旬 尾張国 那古野


 やっと戻って来れたよ。懐かしの那古野だ。

 拉致軟禁されている一年間に、随分と城下町の様子が変わっていて、浦島太郎のよう。

 おれがこの時代に来てから、信長ちゃんや仲間たちと富国強兵策を推進した結果が、この那古野の城下町の賑わいだ。誰よりも丹羽にわ五郎左ごろうざ長秀ながひでが尽力したのだろう。若いのに本当に優秀なやつだよ。


 もう少しで夕暮れになるのに、那古野の町には人通りも多く、様々な店舗や食堂などが軒を並べている。城下町の一等地に、織田家直営の雑貨を売る織田屋。そして、併設して織田屋食堂があった。


 食堂の様子をうかがうと、若い男女の客が多い。

 丹羽長秀が彼女らしき女性とよく訪れている、との情報を太田牛一から聞いたが、人気のあるデートコースなのかもしれないな。繁盛ぶりが素晴らしいぞ。

 一方雑貨売場には、もこもこっとした掛け布団が見える。三河産木綿を使ったのだろうか。

 きっと、かなりの人気商品のはずだ。おれも、これまで使っていた真綿の布団からグレードアップしたいぞ。


 那古野の町の変貌ぶりに興味はあるけれど、まずは城に戻って信長ちゃんに会いたい。織田屋食堂でおれの帰還パーティー用のひつまぶしの出前を頼む。

「那古野城の滝川左近あて、半刻(一時間)後にひつまぶしを十食届けてくれ」

「はい、まいどっ」


 拉致された際に金子きんすを取られてしまって、おれは全くの文無し状態。だが、さすが織田家直営店の良さで、伝票のような紙に署名をすると、後で給料から注文した金額を、差し引いてくれるシステムらしい。実に便利だぞ。さすがだぜ、長秀。


「又助、飯は出前を頼んだから早く城に戻ろう」

 夢にまで見た、那古野城の左近屋敷の湯殿へまっしぐらだ。


 城に入ると顔見知りが「左近殿、よくぞご無事で」など声を掛けてくるのが、嬉しくてくすぐったい気分。だけどまずは風呂だ。湯殿に浸からせてほしい。

 急いで風呂を準備して、旅の汚れならぬとらわれの汚れを流す。実に快適で生き返る思いがする。これでなくてはいけない。


「おおーい、左近! 無事でよかったなあ。ワッハッハッ!」

 部屋から、一際大きな声が聞こえてきた。柴田権六ごんろく勝家だ。無駄に大きい友の声。懐かしくもあり那古野に戻ってきた実感がする。

「さこん、よくぞ無事で戻ったのじゃ。安城からの戻りを心待ちにしておったぞ」

 弾んだ声を掛けてくる愛しの信長ちゃん。このちょっと高くて甘えた声を再び聞けて嬉しい。

「姫! 今しがた戻ったばかりです」

 思わず、ホロっとしてしまったじゃないか。


 湯船に浸かりながら、帰還の喜びを噛み締めていたら、信長ちゃんが顔を覗かせた。

「又助(太田牛一)から話しは聞いてはいたが、元気に戻ってきてくれて嬉しいのじゃ」

 満面の笑みである。戻って来れて本当によかった。

「ええ。心配をお掛けましたが、おれは無事です」

「さこーん! 久し振りなのじゃ。実に会いたかったぞ。ワシもともに湯殿に入りたいのじゃ」

 いきなり大胆なお誘いだ。信長ちゃんの好意は嬉しいし、一緒に入りたい気も正直いえばかなりあるけれど、権六や牛一の前で激甘な言葉はさすがに照れる。

「さこーん! 久しぶりでござらんか。会いたいことこの上なかったわ。わしも、ともに湯殿に入りたいぞ。ワッハッハ!」

「さこーん! 拙者もともに湯殿にに入りたいものですな。うっふっふ」

 ほら、調子に乗って勝家や牛一が茶化してくるだろ。


「姫、その儀は照れくさいゆえ……」

 信長ちゃんとのらぶらぶいちゃいちゃを、久しぶりに堪能したかったけれど、戻ってすぐに親友の目の前だと、気が引けるので名残惜しくも断る。

「フン! 照れくさいか……ワシも少々恥ずかしいので特別に許してやるのじゃ」

 湯殿で疲れと汚れを洗い落とし、すっきりとした気分で居間へ戻る。

 すると信長ちゃんが、満面の笑みを浮かべながら、子犬のように小走りに駆け寄ってくるや、飛びつき抱きついてきた。

「さこーん! さこーん! よく無事で戻ったのじゃ。よう戻ってきてくれた」

 信長ちゃんの表情を窺えば、目が若干濡れているような……嬉し泣きなのか。おれも彼女をしっかりと抱きしめ返す。懐かしい匂いがする。

 那古野に戻ってきた実感をひしひしと感じた。


「おれは毎晩、姫のこと考えていましたよ」

「さこんは、ワシのことを考えて、諦めずに戻ってきたのじゃな」

「ええ。姫のそばに戻りたい一心でしたよ」

「そうして、ワシのもとに戻ってきたのじゃな。斯様かように嬉しいことはないぞ。無体な扱いはなかったか? 具合は悪くないか?」

 信長ちゃんは満面の笑顔で抱きしめてくる。第六天魔王だとか、残虐だとか後世の信長のイメージなんて全てウソだろう。

 おれの知っている信長は、とっても心があったかくて優しい人間だ。


「食事を充分与えられて畳の部屋でしたから、調子の悪いところはありません。ただ、曲者に姫から頂いた刀を、奪われる失態を演じてしまいました」

「刀など、さこんの無事に比べれば取るに足りぬ。それにほらっ! さこんをかどわかしたあかしにと、那古野に届けられたのじゃ」


 信長ちゃんが刀掛けを指差す。よかった。牛一から聞いてはいたが、信長ちゃんにプレゼントされた刀がまったくの無事だった。

 おれの身長に合わせてこしらえてもらっただけあって、身体になじんでしっくりと使いやすい。それになによりも、彼女の気持ちが篭ったプレゼントだ。


「湯殿もこたつもなく、寒くはなかったか?」

「さすがに湯殿は無理でしたが、ねだったところこたつは与えられました」

「で、あるか。さこんに難儀な思いをさせてすまなかったな」

 信長ちゃんは、神妙で申し訳なさそうな顔をする。

「姫が謝ることはないです。おれが無様だったので囚われの身となったんですから」

「ワシの力が足りぬばかりに……さこんが囚われる羽目になったのじゃ」

「曲者の知略がおれを上回っただけです。それに、おれはこのように無事ですから。左様さような顔をせずに、笑顔を見せてくださいよ」

「そうだな。まずはさこんが無事だったことを祝おう」

 彼女はようやく微笑む。

 信長ちゃんといえばこの笑顔。この笑顔を見たかったんだ。しかし、何かが前と違うような気がする。あれれっ? 身長がかなり伸びてる!

 違和感は、信長ちゃんの顔の位置が以前と違っていたのが原因だ。


「姫、だいぶ背が伸びましたね?」

「うむ! 五尺一寸(一五三センチ)まで育ったのであるぞ。これで、さこんにつるでぺたと言われずにすむのじゃ」と少々誇らしげな様子。

 そういえば、彼女を抱きしめたときに感じたウエストラインは滑らかで、女性 おんなを強く感じさせるものだった。

 中学生だから、という言い訳はもう通用しない。おれは目の前で、微笑ほほえむ少女に、これまでよりさらなる女性の魅力を感じてしまう。


今宵こよいは左近の戻った祝いだ。みなで楽しもうぞ。ワッハッハ」

 おれと信長ちゃんの様子を、生温かい目で見守ってくれていた勝家の音頭で、ひつまぶしパーティーが始まった。

 この声、この面子。戻って来れた。嬉しさをまざまざと実感する。


 森三左可成と丹羽五郎左長秀もやってきた。


「左近、よく戻りましたね。ほう、ひつまぶしとは豪勢ですね。みなで、左近の戻りを祝いましょう」

 可成はこんな時でも物腰丁寧だ。

「左近殿。よくぞ戻ってきていただけました。ひつまぶしは左近殿の指示通り作ってみました。味が左近殿が考えた通りかは分かりませんが、織田屋食堂で、とても売れ行きが良いそうです」

 信長ちゃんと同様に、背が少し伸びた長秀が誇らしげだ

「五郎左のことだから、問題ないはずだぞ。相変わらず、すごいヤツだな」


 賑やかなひつまぶしパーティーに、佐々さっさ与左衛門よざえもん成政も乱入してくる。

「あ! 左近殿、戻ったんすね。おれっちもひつまぶしを食べたいっす」

「お。与左衛門、よく参ったな。量はあるゆえ、しっかり食べてワシより早く大きくなるのじゃ」


「左近はとらわれてござったから知らぬと思うが、実は今年初めに嫁を貰ったので、ここに呼んであるんじゃ。ワッハッハ」

 顔をほころばせながら勝家が話しかけてきた。

「なんと、権六の嫁だとっ!? めでたいことこの上ないな。構わないぞ。早く紹介してくれ」


 史実で、勝家の嫁といえば信長妹のお市の方だ。しかし、まるで心中するための結婚のように、一年後には勝家とお市は秀吉に居城を攻められて、自害する運命を辿る。

 この世界で勝家は、今年三歳のお市ちゃんと年の差婚をするのか、と思っていたのだが、どうも違うようだな。

 勝家のお相手は誰だろう。おれの知っている女性だろうか。


「しばし待っておれ。今呼んでくるでな」

屋敷の入り口に既に勝家の嫁がいたのだろう。すぐに二人で戻ってきて、仲良く座る。様相はまさに美女と野獣。驚いたなんてものではないぞ。

 勝家の新妻は、おれがとてもよく知っている女性。


「左近、連れてきたぞ。驚いただろう? ワッハッハ。ヌシも知っておろう。さちじゃ」

 まったくの予想外で、想像すらできなかった。勝家の嫁が信長ちゃんのそっくりさんの、妹ちゃんこと祥姫とは……。

 この状況をなんというのだろう。元カノがいつの間にか、親友と結婚していたような衝撃だ。


「なんと、祥姫様。お久しゅうございます。権六との事、大変めでたき儀ですね」

 彼女には目を合わせられず、月並みの挨拶をするのがやっとだった。

「おお、祥もよく参ったな。今宵は左近の戻り祝いゆえ、ひつまぶしで楽しむのじゃ」

「ええ、左近殿、姉上。お言葉に甘えさせていただきますわ。うふふ」

 祥姫はおれが知っているままの顔立ちで、信長ちゃんの丁寧でお淑やかなバージョン。


「権六殿が、こんなに美しい嫁御よめごを貰えるなんて、世の中何か間違ってるっすよねぇ」と成政が軽口を叩けば「たわけっ! 男は見かけではなく、心なんじゃっ! ワッハッハ」勝家はどんっと自分の胸を叩く。


「祥が『自分を片腕で軽々と持ち上げるほど強力ごうりきで、頼もしき権六殿に是非にとつぎたい』と言うし、権六もワシの大切な部下であるから、強引に父上を説得したのじゃ。今だからいえるが、なかなか難儀であったぞ」とは信長ちゃんの弁。

義姉あね上、いや殿のご恩決して忘れませんぞ。ワッハッハ」


 しかし女って怖いよな。

『姉妹だからでしょうか。わたしも左近殿のこと大変好ましく思っているのですよ。うふふ』と祥姫は耳元で囁いていたのにな。祥姫から勝家との結婚を望んだというわけか。驚愕の事実だ。


 祥姫は見かけによらず、マッチョ好きで『胸毛上等!』女子なんだな。勝家が嬉しそうに豪快に笑っている。祥姫に相当惚れ込んでいるのだろう。

 勝家はきっと祥姫を大事にするはずだ。

 大丈夫。この世界では本能寺の変も、秀吉に勝家が破れた賤ヶ岳しずがたけの合戦も、絶対に起こさせないようにしてやるからな。


 勝家よ、おれの嫁になる可能性もあった、そっくりさんの祥姫を幸せにしてくれ。祥姫とは性的な関係もあったので、少々気まずいのは事実。

 けれど勝家が、それを気にするような男ではないのが救いだ。


 しかし、信長ちゃんの義弟おとうとはキャラ的に濃いよな。美濃の蝮――斎藤道三は妹の桜姫をめとっているから義弟にあたる。そして、目の前ですこぶるご機嫌な野獣も、信長ちゃんの義弟だ。

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