第三四.五話 美濃の蝮【斎藤道三】

 ◆天文十五年(一五四六年)一月中旬 美濃国みののくに 稲葉山いなばやま(岐阜)城 斎藤道三


「お呼びとのことで」

 目の前に若者が平伏する。彼はわしの奥の縁戚で、ひそかに織田の岡崎攻めを視察させていたのだ。

「楽にせい。して、いかがであった?」


 整った顔立ちの若者が顔を上げた。

「まったく戦にはなりませんでしたね。織田三郎(信長)殿が、大量の矢文を城内に放って終いでした」

「ほう。全く弓矢を交えず矢文のみだと?」

「ええ。三郎殿の城内の離間策が成功しまして、岡崎はほどなく開城しました」


 織田三郎といえば、昨年元服したばかりのまだ若い女子ではないか。備後(織田信秀)はどうしたのだ。病気なのだろうか。

「織田三郎が大将だったのか? 備後は病を得ているのか?」

「ええ。三郎殿が備後殿を含め、すべての将を率いておりました。備後殿はすこぶる健康かと思います。上機嫌で、三郎殿の戦ぶりをご覧になっていました」


「なるほどのう……」

 伝わってきた情報によれば、備後は昨年十月の安城では、苦肉の策で三郎を後詰めに回したと聞いたが。

 いや、違うな。織田三郎はうつけの小娘ではなく、恐るべき戦巧者だったのだ。だからこそ、新九郎(義龍)との縁談を渋ったのだ。どうやら、織田が尾張を席巻した理由が見えてきた。

 しかし、初陣で安祥城を落として松平次郎三郎をほふる鮮やかな手腕。備後の若き娘の三郎だけで、左様な戦運びができるわけがない。

 相当に戦が巧みな男がいるはずだ。

「三郎に知恵を貸していた者がおらなんだか?」若者に重ねて問う。

「そういえば、三郎殿の側に常に付き従うわたしと同じ年回りの若者がおりました」

 ほら見ろ。そいつが恐るべき真の敵だろう。


其奴そやつは何者ぞ」

「確か……滝川左近と。安城で松平次郎三郎(広忠)を撃ち殺し、死神左近と呼ばれているようです」

 決まりだな。織田三郎を操っているのは滝川左近だ。ならば、滝川左近と織田三郎を手の内に入れてやろう。できることなら、彼奴きゃつらを仲違いさせて、女子の三郎を手玉に取る手か。

 所詮小娘。見目よき男をあてがえば、いくらでも自由にできよう。


「死神とはごたいそうだな。とはいえ儂も美濃のまむしと呼ばれた男。小童に遅れをとるわけにはいかないぞ」

「ですとも! 私に役目があるのですよね?」

 この若者は実に賢くて話が早い。

「流石だ。お主には尾張に行ってもらおうか」

「はっ! 尾張にはいつ出立しましょう」

 若者は打った鐘が響くような返事で心地よい。


「来月、三郎の妹の婚儀を理由にして、正徳寺しょうとくじに呼ぶ。その帰りに、三郎とともにお主は尾張に行くのだ」

「承知。して、いかように織田三郎殿と滝川左近殿を料理いたしましょうか」

 この若者は、儂の狙いを察したようで話が早い。

「うむ。尾張でお主はな……」

 端正な顔立ちの若者は、目を輝かせて儂の策を興味深そうに聞いている。


 半刻(一時間)ほどの打ち合わせを終え、若者は快活に返答する。

「委細承知致しました。吉報をお待ちくだされ」

 若いが見どころのある奴よ。この男なら、儂の望みを叶えてくれるかもしれぬ。

「ワハハハ、愉快愉快。備後の泣き顔が見えるようだの」

「御意!」

 いずれ、豊かな尾張も我が手に収めてやろうぞ。

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