第二二話 ぷれぜんと
◆天文十四年(一五四五年)八月中旬 尾張国 那古野城
信長ちゃんの怒りに対応するため、忍びのお奈津に時間ができたら来てほしいと連絡しておいたが、彼女が部屋に来たのは既に夜更けだった。
「左近、久しぶりやね。夜中にウチを呼び出しなんて、もしかしてウチと仲ようしようと思ったん?」
おれに好意を示しているお奈津だけに、案の定の反応だ。現代日本の後輩だった奈津にも、煮え切らない態度をしていたので、心がちくりと痛む。
――だが、信長ちゃんは上司でありおれの生命線。お奈津に対しての態度もはっきりしなくてはいけないぞ。心を鬼にして、お奈津にしっかりと頭を下げる。
「お奈津、申し訳ない。おれはお奈津とそういう関係になるつもりはないんだ」
「なーんや。おもろないなあ。で、なんかあったん?」
お奈津はあからさまに不機嫌だ。やりにくいけれど、彼女しか信長ちゃんの真意はわからないだろう。
「お奈津、すまぬ。殿から文を頂戴したのだが、扱いに困っていてな。それから、なんで殿がツルペタという言葉を知っている?」
再び深々と、お奈津に頭を下げる。頼む!
「あはは、ツルでペタやな。ま、姫様からもらた文を見せやあ」
幸いなことに、お奈津の興味は姫からの手紙に移ったらしい。軽く笑っているお奈津に手紙を渡す。
◇◇◇
『わらわがなんばんわたりのはりせんにてさこんがこうべを……』
【意訳】
ワシがハリセンで左近の頭を叩いたのは、カッとなってしまったからじゃ。
反省しているし、多分もうしないので許せ。
左近のことを嫌いになったわけではないのじゃ。勘違いするでない。
父上も「吉が左近のことを好いてるのは間違いない」と言っているのじゃ。
だから、安心してこれまで通り助けてほしいのじゃ。
ツルでペタなのは、ワシが奥手であるからだろう
だんだんと育っているのだぞ。
だから、ツルでペタを理由に、約束を守らぬことは言語道断で、
左近よ、首を洗って待っておれ! きつより さこんへ。
◇◇◇
お奈津は笑ったり頷いていたりしたが、信長ちゃんの手紙を読み終わると茶化す。
「左近、姫様から恋文もろうたんや。クックック」
恋文ってラブレターだよな。
「恋文!? 首を洗って待っておれ、とあるが?」
「姫様が『わらわ』と使うの、初めて見たわ。それにこの文は、今日もろたんやろ?」
「ああ、夕方ぐらいだ」
「普通やったら、大殿にもろた『三郎』使うやろ」
「確かに三郎という名を使うだろうな」
信長ちゃんの普段の一人称は『ワシ』だ。だが手紙の原文は、確かに女性言葉の『わらわ』になっていて、差出人も『きつ』と平仮名になっている。
この時代、男性が手紙を書くときは漢字で、女性が書くときは平仮名が一般的だ。
だからといって、この内容でラブレターになるのか?
「それはおいといてな。ちょい前にな、姫様が乳の育ちを気にしてはったんや。そん時な、左近のおもろい言い方思い出したんよ。
それでな、『姫様は奥手なので、今はつるでぺたかもしれんけど、数年経てばつるでぺたではなくなりますよ』って言うたんや」
余計なことを――なじる気持ちを抑えて話を促す。
「それで?」
「昨日にな、『左近はどのような女子を好むか。つるでぺたな女子は好むか?』って姫様に聞かれたんよ。だから、『あまり好まないと思う』って答えたんや」
「なるほど……」
「そしたら、姫様が『試し戦に勝ったら、左近はワシのことを、もっと好きになるはずなのに話が違う』ってことになってな。クックック」
なるほど。それで、『ツルペタな信長ちゃんを好きではない』ってことになったわけか。
ともあれ、何とか誤解を解かなくてはいけない。
「笑い事ではないんだが」
「ま、でもな。言語道断とか、三国一の不届きとか、天罰が落ちるてのはな、『とても悲しい』と読むんや。姫様は普通と違うからなあ」
「そう読めるのか? 許さぬ、首を洗って待ってろ、というのは?」
「んなもん分からへんの? 『数年経ったら、左近の好きなつるぺたでない女子になってやる!』やんか」
「まことか?」
「ま、本人やないからなんとも言えへんけど、あの姫様ならなあ」
「父上云々は?」
「大殿に見透かされたんやない? 『わたしは左近のことが好き』の照れ隠しやね、きっと」
お奈津の言葉を元に手紙を読み返してみる。
『カッとなってハリセンで叩いてしまったけれど反省しています。
もうしないから……許してね。
あなたのことを嫌いになったわけではないから、勘違いしないで。
わたしはあなたのことが好きだから、安心してこれまで通り側にいて助けてほしいの。
いまは身体に魅力がないけれど、わたしは奥手だし成長期なんだよ。
いまのわたしを見て「もっと好きになるよ」という約束を、守ってくれないのはとっても悲しい。
きっと数年後は魅力的になるのだから。吉より 左近へ』
確かに、ラブレター以外の何ものでもないな。
しかし、本当にこういう読み方で正しいのか? 原文は首を洗って待っておれ、なんだけど。
女心は難しいのか、信長ちゃんだから難しいのか。いずれにしろ難易度高すぎだ。
とはいえ、信長ちゃんの年齢が小学六年生相当だからといって、軽く流していた部分があるのかもしれない。
「確かに恋文のようだな」
「せやろ? 恋文もろたら、アンタの気持ち返さなあかんやろ」
とっても物騒な恋文だけどな。
「確かにな」
「でも……左近。姫様は幼いし、アンタは家臣やないか。うまくいくわけないんちゃうの?」
「……」
お奈津の言うことは一理ある。家格の見合う婿を取るのが普通の考えだろう。
だが……。
◇◇◇
そろそろだろうか。
どんっどんっどんっ! どんっどんっどんっ!
ほら、予想通り。
「さこん、どうじゃ?」
信長ちゃんは、今日はうす緑色の新しい髪飾りをしている。両手を腰に当てて身体を斜めに構え、少し顎を上げ気味に見上げてくる。モデルポーズってやつだろうか。
幸いなことに、至って落ち着いた表情だ。
「姫様にとてもお似合いですよ。意中の異性へ贈る物を、あちらの国の言葉でプレゼントといいます」
「ぷれぜんとじゃな。ありがたいのじゃ」
「とっても素敵です」
「が、さこんは、つるでぺたな女子は好かぬのではないのか?」
信長ちゃんは不安気で探るような目つきだ。
「試し戦の時も話しましたが、おれの目は未来が見えます。未来の姫様は、つるでぺたではありませんよ」
「で、あるか!」
ここで彼女は、ようやくニコニコっとした笑みを浮かべた。やっぱり、信長ちゃんはこれでなくてはね。
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