第13話 継続するアイデンティティ

 その人物は、まるで春を告げにくるように、毎年三月になると家に訪れた。

「イースターで来やすいのはいいんだけどねえ。空港もそこかしも観光客ばっかりで嫌になるよ」

「君だって傍から見たら同じだろ」

「一緒にしないでほしいね。どいつもこいつもサクラサクラってうるさくて」

 ほかの季節は決まっていないが、この時期だけは必ずやってくる。

 キッズサークルの中にいた少女は、父と話しながら近づいてくる客人を迎えようと、持っていたブロックを放り出して駆け寄った。少女にとって三度目の春、客人と会うのは九度目である。

「やあ嬢ちゃん。元気だったかい?」

 屈んで顔をくしゃくしゃに緩めた彼女に笑い返し、こっくりと頷く。父親譲りの黒髪が、顔の横でさらさらと揺れた。

「あっという間に大きくなってまあ。見違えるよ」

「でしょ? 相変わらずあんまり喋らないんだけどね」

「口数が少ないだけで、理解してないわけじゃないんだろ?」

「うん。知能は多分凄く高い。ブロックとか、前に作ったものをそのまま再現したり、英英辞典読んでたり、機械とか好きだったりしてさ」

「へーえ。まあ、生んだのがアレだしなぁ……」

「その内家のものも分解されそうだ」

 きっと『アンリ』の話題だと少女は察し、客人を見上げる。しかし期待とは裏腹に、話は終わってしまった。

 その者が一体誰なのか。時折聞こえてくる話だけでは、知ることができずにいる。父たちはいつも『生んだ』と表すが、なぜか『母』とは言わない。しかも『母』はまた別にいるらしい。

 キッチンへ引っ込んだ父から目を離し、客人は少女に向き直った。

「おみやげがあるよ、嬢ちゃん」

 頭をひと撫でした手がキャリーケースを開け、ビビッドカラーのぬいぐるみや袋菓子を次々と出していく。その中から、スマホのような画面がついたリストレットが転がった。

 少女は目ざとくそれを見つけて拾い上げる。すると客人は悪戯そうな顔で「あ」と声を出した。

「こいつはねえ、私の友達から預かったちょいとフシギな端末なんだ」

 フシギ、を強調されて、少女は画面に手を伸ばした。

 触れただけで突然飛び出したディスプレイ。驚いて少女は後ずさり、そのまま床に尻もちをついた。客人はそれを見てケラケラと笑った。

「な、フシギだろう? 今までうんともすんとも言わなかったんだが、こいつがこないだ突然0と1を表示させてね」

 言いながらそれを表示させ、端末を再び少女に持たせた。

 黒い画面に白く浮かんだ0と1の羅列に、少女はしばらく見入った。数字の規則性とこれまでの記憶が、手を取り合うようにつながっていく。これにはきっと意味があると直感する。

「エマー。ケーキ持ってってくれる? お茶にしよう」

「あいよ。嬢ちゃん。なんかわかったら教えておくれ」

 立ち上がる客人に少女は返事もせず、床にぺたりと座り込んだまま操作を始めた。まだつたない指先で、表示されたものと同じように0と1を打ち込んでいく。

 いつか読んだ本の中に、これに当たるであろう表を見たことがあった。内容は理解できなかったが、そういうものがあることを知った。

 この数字は、『Hi Lady』と書かれている。レディ。女性、婦人、あるいは令嬢。しかもこれは、『アンリ』が持っていたものらしい。

 客人の友。自分を生んだ者。それはつまり、自分にとって――。

 01001000011010010010110000100000010011010110111101101101011011010111100100100001

「……Hi Mommy」

 彼女は文字列をそっとなぞるように、小さな声で囁いた。


 了

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