第3話 謎の村へ

 そんな少女が、敵意剥き出しの刺すような視線で自分を見ている。怖い。

「あ、あの」

 思わず声を掛けると、少女がじどっと睨んでくる。あ、明らかに敵と認識されている。しかしなぜ。自分の格好を確認するが、動きやすい一般的な服装だ。自転車競技用の派手な服というわけでもない。

「禍」

「え?」

「禍だ」

「――」

 ようやく少女が口を開いたかと思えば、そんなことを言い出す。あまりに怖くて、文人はフリーズしてしまう。少女はさらにじどっとこちらを睨み、そしてひらっとスカートを翻して藪の中に入った。

「え?ええっ?」

 そっちに道なんてないぞと、文人は思わず追い掛けた。見ると、少女はものすごい勢いで斜面を下っている。あれって、自力では止められなくなっているのでは。転がっていないのが奇跡と思うほどの速度で駆ける少女に、文人は躊躇っていられなかった。

「よっ、って、ああああっ」

 しかし、無情にも文人は転んだ。初めの一歩で藪に足を取られて、それはもう見事に転んだ。するとそのままざああっと、恐ろしい勢いで身体は斜面を転がり始める。

「あああああ」

 重力、重力って恐ろしい。ごろんごろん転がりながら、文人は為す術なく下へと落っこちていく。

 せめて少女を巻き込んでいませんように。それだけが願いだ。まさか助けに行っておいて、相手に怪我を負わせましたでは笑い話にもならない。

「がっ」

 が、そんなめくるめく思考をしながらの斜面ごろごろは唐突に終わった。どうやら木にぶつかったらしい。背中にリュックを背負っていて良かった。それがクッションになったのだろう。かすり傷程度で済んだ。

「いったあ」

 しかし、最後の衝撃の木にぶつかった以外に大きなものにぶつからなくてよかった。立ち上がって改めて斜面を見ると、ところどころに大きな岩が顔を覗かせている。

「って、あの子は」

「禍」

「ひっ」

 すぐ傍からあの子の声がして、文人はみっともなく悲鳴を上げた。声の方を見ると、少女は無事であるばかりか、服には一切の乱れがなかった。文人なんて葉っぱまみれで汚れまくっているというのに。

「禍を呼んでやった」

 しかも、少女はそんな文人の驚きなんて完全無視で、そんなことを言って妖艶に笑う。こ、怖すぎる。まだ年端のいかない少女の笑みだというのに、それはあまりに禍々しかった。

「――」

 が、少女がまた進み始めたので、文人は慌てて追い掛けることになる。一体今、比叡山のどの辺りなのか。それを考えるとますます怖いが、ともかく、あの少女を追い掛けるしかない。

「それにしても、禍。しかも呼ぶ」

 何だか引っ掛かる単語だなと思いながらも、夢中で少女を追い掛けた。道なき道を進んでいるというのに、少女は早い。学校のグラウンドを駆けるかのような早さで進んでいく。一方、文人はもたもた。あっさりと引き離される。

「ああ、もう。ここはどこだ」

 そんなこを思いながら走ること十五分ほど。急に木々が開けた場所へと抜けた。

「――」

 立ち止まって見渡した文人は驚いた。そこには村が広がっている。田んぼがあって、人家があってと、本当に村。ただ、どこか現代から置いて行かれたかのような村だった。

「あっ」

 しかし、白いシャツに黒いズボンという、学校の制服を着ている男子を発見。これ幸いと、文人はそいつ目指して走った。

「すみません」

 そう声を掛けると、男子生徒は振り返った。が、一瞬見えたその顔に驚いて文人は次の言葉が出ない。

 めっちゃ美形なのだ。しかも、男子の制服を着ているが、どこか女子っぽくもある。不思議なその子に、文人は呆然としてしまう。よく見ると髪も真っ黒ではなく、ちょっと赤みがかっている。そして長めだった。前髪はとても長く、米津玄師かとツッコミを入れたくなるほどだ。しかし、それでもなお美形だと解る顔をしている。

「おや、珍しい。お客さんですね」

 その少年だと思う生徒は、男子にしては高い声でそう言って笑う。先ほどの少女のような禍々しさはないが、こちらも妖艶な笑みだ。

「客、ではないんだけど」

 少年の持つ独特の雰囲気に飲まれそうになりながらも、文人はそう主張してみる。しかし、少年は違うとばかりに、人差し指を唇の前に翳し、左右に振ってみせる。

「いいえ。ここには案内なしに来ることは出来ないはずですけど」

「え?」

「誰かに導かれたんでしょ?」

「あっ」

 導かれたというか、勝手に付いて来ただけだが、少女がここを目指していた。ということは、あの少女はこの村の出身なのか。

「あの、ここって」

「滋賀県大津市坂本本町ですよ。住所的には」

「あ、そう」

 あっさりと先ほどまでいたのと変わらない住所が述べられ、ほっとしてしまう。しかし、何だか引っ掛かる言い方だ。

「住所的には」

「ええ。広いですからねえ」

「――」

 何だか嫌な予感のする言い方だな。さっきの少女の禍を呼ぶにしてもそうだが、何だろう、落ち着かない。

「あの」

 もっと何か情報を引き出さないとと、声を掛けようとした時

「日向。何をしている?」

 鋭い声が飛んできて、文人の言葉を遮ってしまう。振り向いて見ると、中年の男性がこちらを睨み付けていた。肩幅はがっちりしていて日焼けをしている。服は作業着。その姿はいかにも農家の人だった。

「申し訳ございません。旅の方が迷っておられるようです」

 そんな男性に対し、日向と呼ばれた少年は深々と頭を下げる。な、何だろう、一体。それはまるで、この男性の方が身分が高いみたいな、そういう印象を与える頭の下げ方だった。

「旅の方?ああ、たしかに見たことのない顔だが」

 そこで男性はようやくじろっと文人を見る。正直、怖い。ビビる。それだけの気迫があった。

「その、山の中で見かけた少女を追い掛けていたら、いつの間にかここに」

 何も言わないと気まずいので、文人は取り敢えず状況を説明する。しかし、男性の目がますます鋭くなった。

「山の中というのは?」

「あ、はい。紀貫之の墓の前です」

「ほう。そこで君は何を?」

「え?歴史学者を志してますので、紀貫之に挨拶を」

 何だか尋問されているみたいだな。そう思いつつも、嘘を吐くと状況を悪化させそうで、文人は正直に答えていた。

「なるほど。では、あなたは我が主人の客人でしょうな」

「え?」

 我が主人。その言い方に、文人はきょとんとしてしまう。あまりに時代錯誤な言い方だというのに、日向の態度からか、そういう人がいてもおかしくないなと思ってしまうから怖い。

「導いた少女というのは、ひょっとして高校生ですか?」

「いえ。中学生くらいだと」

「ふむ。では、繭様でしょうな。これは不思議なことですが、よいでしょう。あの方も本家の自覚が出たということで」

「――」

 色々と疑問が湧き出てくるが、本家。そしてこの現代から取り残されたような村。それらを総合的に考えると、ここは昔ながらのしがらみが息づく場所ということか。

 今でも地方の、それも親族がメインのような村や町では、まるで横溝正史の世界かとツッコみたくなることが罷り通っていたりする。それは文人の大好きな高田崇史だって扱っていたりするのだが、しかし、現実にそのような場所に巡り会おうとは。

「では、参られよ。日向、貴様はさっさと家に帰れ」

「はい」

 あまりに日向に冷たい態度にびっくりしてしまうが、こういう因習たっぷりの村で他人の、しかも数分前に出会ったばかりの自分が何か言えることはない。文人はこっそりありがとうと言うに止めた。取り敢えず、あこれこ教えてもらって帰り道を聞かなければ。

 一方、日向は文人の礼ににこっと笑って、男性のことは気にしていないという態度だった。つまりは、日常茶飯事なのだろう。何だかそれに胸が締め付けられる文人だが、男性に従って歩き出した。

 村の中はまさしく昔ながらの田舎の村だった。田んぼがあって、かなり距離を開けて民家が建っていて、という感じ。電線があることから、こんな山の中でもちゃんと電気が通っているのだと解る。こそっとスマホを確認すると、電波も来ていた。

 つまりは、山の中にある小さな村に、知らないうちに迷い込んでいたというわけだ。しかし、色々と引っ掛かるところがあるのだが。

「あの」

「何でしょう?」

 付いて来いと言われて歩いているわけだが、色々と解らない。そこで質問しようとしたのだが、名を知らないおじさんが怖い。

「あの、どこへ?それに、おじさんは?」

 しかし、勇気を振り絞って訊ねると、そうだったと男性は頷く。

「私は杉岡伸郎と申します。ここを束ねる早乙女家の使用人をしております」

「さ、早乙女家」

「左様。ここは昔は早乙女家の所領でした。明治を過ぎ、ここは滋賀県の一部となりましたがね、それでも、ここは早乙女が治める土地なのです」

「――」

 よ、予想に違わぬ因習たっぷりだ。文人は若干引きつつも、これは想像の世界でしか知らなかったしがらみを知るいい機会だと思い直す。

 というのも、文人は都会っ子だ。そもそも田舎というものを知らない。だから、小説で読むような閉鎖的な村というのが、本当にあるのかと疑っていたほどだ。

 それがどうだ。今、ここの村は早乙女という一族に支配された土地だという。もう、ぞくぞくしてしまう。今ここで高田崇史の本を読み返したいくらいだ。QEDシーリズではなくカンナシリーズかな。もしくは、横溝正史の『八つ墓村』や『犬神家の一族』でもいい。ともかく、不謹慎にも胸が高鳴る。

「その、早乙女さんのところのお嬢さんが」

「ええ。あなたをお招きしたのだと思います。この村の標の一つが、紀貫之公の墓です。あの方も、なかなかに不思議な方ですからな」

 不思議。まあ、『土佐日記』を読む限りには不思議だけどと、文人は首を傾げる。なんせまあ、あの本だけでも色々と深読みが出来てしまう。それにだ。どうして彼は土佐守になったのか。さらにはさほど身分が高くなかったのに歌の選者に選ばれているのはなぜか。あれこれと疑問が湧き起こる人物でもある。

 そうしているうちに、村で一番大きな家へと到着した。奥まった場所にでーんと構えられたその家は、さながら武家屋敷だった。大きい。

「さすがという感じですね」

 ここを治めるということは、一大地主だったのだろう。となれば、家がこれだけ大きいのも納得か。

「それほどでもありません。どうぞ」

 しかし、杉岡はもっと凄かったのだとばかりに首を振り、文人を正面玄関へと案内した。門だけでも凄い。江戸時代から変わらずにあるのだろう。そう思わせられる。

「あら」

 そして、門を潜って庭を進んでいると、一人の和服姿の女性が向こうからやって来た。その顔は、あの二人の少女にどことなく似ている。ということは、母親か。

「雪様。どちらへお出かけですか?」

 杉岡は恭しく腰を曲げるとそう訊ねた。

「ええ。お買い物にね。そちらの方は」

「はっ。繭様に導かれ、この村にやって来た客人です」

「まあ」

 そんな会話を、文人は目を丸くして聞いた。もはや時代劇じゃないか。そんなレベルだ。戦後もう七十年以上の時間が流れているというのに、完全にその時間軸から取り残されている。

「それはそれは。繭はお転婆の盛りで困ってるのよ。たぶん、珍しかったのね」

「――」

 お、俺は珍獣ですか。そんなツッコミが出かかったが、何とか飲み込んだ。いやいや、珍しくないでしょう。一般的な大学生ですけど。

「でしたら、ごちそうを買って来ねばなりませんね」

「い、いえ、そんな」

「いいのよ。えっとお名前は」

「あ、古関文人です」

 そういえば名乗ってなかったと、慌ててぺこりと頭を下げた。

「私は早乙女雪と申します。いいのよ、ゆっくりなさって。せめて今晩はお泊まりになって。ここを出るには、色々と慣れていないと難しいのよ」

「――」

 な、なんか今、怖いことを言わなかったか。文人は恐怖を感じたが、しかし、繭という少女は出入りしている。それにあのそっくりな女の子だって、そうだろう。ここから大津市の高校に通っているはずだ。

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