53「ホンキートンク」


 

「私は音楽を聴きます」

 と、文乃さんは言う。

「一番好きなジャンルはカントリーミュージックです。竜二君の得意とするハードロックは激しすぎて私にはピタリとこないけど、だけど、竜二君の歌声は好きです。私は彼の人柄を十分すぎる程知っているけど、多分、友達じゃなくても彼の歌声は好きになると思います。日本でもジャズバーやブルースを流す喫茶店をたまに見かけますが、カントリーミュージックにもゆかりのある有名なお店があるそうです。『ホンキートンク』。そう呼ばれています。多くの著名なミュージシャンを輩出したバーの様式として、アメリカで知らない人はいません。ですが意外なことに、何故ホンキートンクと呼ばれているのか、その由来は不明なんだそうです」

 文乃さんはその場に立ったまま、顔だけを動かして僕たち一人一人を見た。

「何故、どうして……。そんな事は、本当は大した意味などないのかもしれません。人の心を動かす音楽に感動以外のこじつけが必要ないように、私が歩くこの道に、大した理由なんて必要ないんです」

 文乃さんが何を言おうとしているのか、その気持ちは僕たち全員が理解していた。理解出来たからこそ、どうしようもなく悲しくて、相槌や、同意の頷きさえも、返す事ができなかった。

 文乃さんは続ける。

「辺見さんに初めてお会いした時、私はただ道案内をお願いするために声を掛けた気でいました。だけどあの日出会った辺見さんが、とても丸みのある素敵な空気を身にまとっていたから、あなたに頼みたいと思ったのかもしれません。あなたが辺見さんで良かった。あなたに連れられた先に立っていた男の人が、新開さんで良かった。あなが新開さんで良かった。三神さん、竜二くん、巻き込んでしまってごめんなさい。私は皆さんに、死んでほしくない」

 辺見先輩は煩わしそうに、雨が降り注ぐ空を見上げていた。

 三神さんは焦りの浮かんだ顔でぬかるんだ地面を見つめ、必死に答えを探しているようだった。

 池脇さんはしっかりとした意志の強い眼差しで、文乃さんを見つめていた。

「新開さん。どこへも行かないというあなたのお言葉は、本当に嬉しく思います。ですが、あなた達を巻き込んだ、これは私の最後のわがままです。どうか一刻も早く、この場から離れてください」

 僕は文乃さんの言葉には答えず、今にも土砂崩れを起こしそうな四十年前の山を見上げた。斜面が、大量の雨水を受けて川のように流れているのが見て取れる。ここまでくればもう、時間の問題だろう。

「皆さん、僕、分かりましたよ」

 と、声を上げた。僕にしては珍しく、雨音に負けない強い口調だった。「僕は文系ですから、計算式とか得意ではないですし、何をどうやったらこんなわけのわかんない自然災害のリプレイを相手に戦えるんだって、そればかりを考えていました。だけど、僕が呼ばれた理由が分かった気がします」

「んんんッ!? して、それは!?」

 芝居がかった口調で三神さんが問う。

「分かった!仲の良いオカルト研究会の連中に助けを求める!」

 青ざめた顔の辺見先輩が、精一杯の空元気で場を和ませる。

「違います、彼らよりもよっぽど、辺見先輩の方が頼りになりますよ」

 笑う僕に、

「分かってるじゃないか!」

 と辺見先輩は言う。彼女の頬に、雨水が伝った。

「池脇さん。時間稼ぎをお願いします」

 僕が見つめてそう言うと、池脇さんは茶化す事なく山肌を一瞥し、

「あんなもんどうしろってんだ。俺にも見えるってこたあ、相当面倒くせえ奴なんじゃねえか?」

 と嘆いた。

「面倒くさいですよ。だけど、あなたならきっと大丈夫です。多少痛いな、多少しんどいな。その程度で済むはずです」

「おいおい無茶を言うな!」

 割って入る三神さんを手で制し、

「ここに立ってるだけでいいのか?」

 と、池脇さんは前向きな指示を求めた。

「出来れば辺見先輩のいる辺りに立って、耐えていただけると」

「耐えるって? 時間稼ぎってなんだよ」

 池脇さんが怪訝な顔で尋ねた質問に僕は答えず、代わりに三神さんと文乃さんを見つめ返した。僅かな間があり、そして二人は僕の背後に視線を走らせた。

「幻子の到着を待ちます。彼女が全ての鍵です」




 ドガッ!! ゴゴゴゴウッ!!

 黄土色の山肌が剥き出しになっていた斜面が、音をたてて崩壊した。

 僕らのいる位置から大分離れた山の頂上付近とはいえ、目測で三十メートルはあるかと思われる断崖の斜面が、土石流となって流れ落ちるのが見えた。心底怯えのくる光景だった。

「来るぞォッ!」

 山の麓に建っていた、半透明化した家々が玩具のように破壊され、押し流されるのが見てとれた。聞こえる筈のない悲鳴が、雨風に乗って僕たちの耳に届いた。家と家の合間にある細い路地を逃げ惑う、かつての住人たちが見えるような気がした。あの日、岡本さんの部屋に迷い込んで来た、子供の姿をした幽霊は、何かから逃げ惑うように両手を上げて走っていた。

 大勢が死んだのだ。

 何故僕たちだったのか、その理由は文乃さんの言葉どおり、大した意味などないのかもしれない。この地で亡くなった多くの人々の魂が、今も眠れずに彷徨っている事を、誰かが知り、そして忘れずにいることが大切なのだろうと思った。


 だけど僕たちは、誰一人道連れになどなる気はない。


 目の前に、濁った水の塊が押し寄せる。

 それは雨水の川などどいった生易しいものではななかった。

 自分達の身の丈よりも遥に大きな、激動する壁に見えた。

「位置が違う。池脇さん、もっと右」

 声が聞こえた。

「……え? 何が」

 反応の鈍い池脇さんを、辺見先輩が突き飛ばして右側に寄せた。

「何だよ、……うおっ!」

 襲い掛かる濁流を背にし、池脇さんが咄嗟に辺見先輩を抱き包んだ。右側に寄った池脇さんのもといた場所の後方、土石流の正面には僕と文乃さんが立っていた。慌てて両腕を前に突き出した文乃さんの肩に手を置き、僕は頭を振って見せた。右足を負傷した彼女を気遣い、腕を取って僕の肩に回して支える。文乃さんはギュッと目を閉じ、ありがとう、そう言った。

 空気と空気が激しくぶつかり合うような、音のない衝撃波が僕たちをなぎ倒した。

 片膝を付いて体を起こし、文乃さんを支えながら顔を上げた僕の目の前を、透明で、なおかつ綺麗に赤色発光する巨大な人魂ひとだまが通り過ぎた。

「なんだ、あれは……」

 立ち上がる僕と文乃さんが見たものは、自分の身体の三倍はある巨大な発光体に包まれた、三神幻子の背中だった。見れば彼女の足は、地面についていなかった。

 幻子は右手を前に突き出して直立のまま前進し、襲い掛かる土石流に真正面からぶつかって行った。

 場所は丁度池脇さんの左側。見れば池脇さんの背負う巨大なエーテル体と、幻子を包む巨大人魂の二つでもって、停まるはずのない土石流を堰き止めていた。

「間に合ったかッ」

 幻子の背後に駆け寄り、三神さんが口走る。

「足が棒のようです」

 幻子はそう冗談を言うと、背後の少し離れた位置に立つ僕の方へ、チラリと視線を向けた。そして彼女は、こう告げたのだ。


「新開さん、あとのことはお任せましたよ」



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