45「児童公園」

 

 道祖神……。

 確かに幻子本人も、僕に対してそう説明していた。

 三神さんが言うには、都内A市のとある街道沿いに有名な地蔵堂が存在するそうだ。その場所は小さな林に隣接していて、赤い前垂れをかけた四体のお地蔵さんが並んで立っているという。

「あまり知られておらんのだがねえ、実はその林の奥に、もう一体の地蔵様がおられる。これがまた、凄い」

 三神さん曰くその一体のお地蔵様だけで、他四体を合わせたよりも災厄を退ける力に関しては上なのだという。

「幻子さんの言っていた、力を借り受ける、というやつですか」

 僕の中にはもう既に、彼女に対する猜疑心はない。だがしかし、今もって『力を借り受ける』という事象の原理が理解出来ない。

「あの子から聞いたんだね、その通りだよ」

 頷く三神さんに、辺見先輩が尋ねた。

「道祖神って、全国的に有名な街道沿いのお守りですよね。その土地に厄災が侵入してこないように守る土地神様。……神様ですよねェ?」

 半信半疑で確認する先輩に、三神さんは笑みを浮かべてウンウンと頷き、履いていた靴を脱ぐと身軽にブランコに飛び乗った。

「その土地や集落によって伝えられ方はまちまちだが、もとは民間信仰から出た祈りの神だ。名のある誰それがおわすわけではない。だが、それがいい」

 祈りの神……。

 人々の思いが形となって奉られる。それが路傍の神としての、本来の存在理由というわけか。

 三神さんは器用に立ち漕ぎでブランコを前後させ、「お嬢、もうちっと離れろ」と、自分を愉快そうに見上げる文乃さんに注意した。

「ワシらがあの子を『神の子』なんて呼ぶのは、霊力を借り受ける力があってこそだよ。言葉にして神様なんて言うと、壮大な日本神話なんかを思い浮かべるかもしれんがね。それとは違う」

 三神さんの漕ぐブランコの振り幅が、どんどんと大きくなって行く。

「あの子がやっているのはその場所に潜在する人々の祈りという霊力を、自分の身体を通して別の場所で発現しているだけなんだ。ある意味、電話でいうところの、親機と子機だな」

 全然分かんない!

 辺見先輩が悲鳴を上げ、助けを求めるように僕を見やる。

 僕は下唇を噛んで、思考したままを口にする。

「電話の話で言うと、どういう理屈か分かりませんけど、彼女、電波に強制干渉できますよね。……てことはまさか、つまりは自分の身体を媒介にして、遠く離れた場所同士をつなげることができるんじゃないでしょうか!?」

 とおっ!

 突然、三神さんが飛んだ。

 文乃さんが両手で口を押え、辺見先輩が「わー!」と叫んだ。

 三神さんは両手を広げて空高く舞い上がると、そのまま着地した。舞い上がり……そして舞い降りたのだ。

「え。え。……え?」

 辺見先輩は自分の目で見た光景が信じられず、僕の頬をペシっと叩いた。

「どうぞご自分のほっぺたを」

 怒る僕などお構いなしに、辺見先輩の目は三神さんに釘付けだった。実際僕だってそうだ。三神さんは勢いよくブランコから飛び立つと、重力に逆らうようにゆっくりと両足から着地した。常識的に考えれば、僕たちの身長より高く飛びあがればそれなりの速さと強さで地面に落下するはずなのに。彼はあくまでもふんわりと、羽毛のような軽やかさで地面に降り立った。

「いよーし、ワシの調子も良いぞー。新開の、お前さんもなかなか冴えとるじゃないか」

「え? 何がです?」

「あの子は凄いぞー」

 幻子の話らしい。

「……あ、ああ」

「新開の、ワシに何かあったら、あの子のことはお前さんに任せて良いかな?」

 その時、興奮冷めやらぬ四人だけの児童公園に、突如暗闇を乗せた突風が吹き込んで来た。時刻は夕方の四時だ。空はまだ明るい。だのにこの公園内だけが何故か、仄暗く、薄気味悪く、そしてなんだか……。


 ……臭い。


「待って、待って待って。ねえ、待ってよ」

 辺見先輩が取り乱して周囲を見回す。

 まだ日が暮れかかってもいない時間である。

 そしてここはまだ、マンションの敷地ですらない。

「落ち着きなさい、辺見嬢。大丈夫だ、漂っているにすぎんよ」

 そう諭す三神さんから僕は視線を外す事が出来ない。

「どういう意味ですか。僕に任せるって」

「ああ? 深い意味はないよ。西荻のお嬢や辺見嬢にすがるより、男である君に声をかけた。それだけの事じゃないか」

「何かって何ですか。あなたに何が起こると……」

 んん?

 三神さんと文乃さんが揃って児童公園の入り口を睨んだ。

 そこに、二体の黒い人影が立っていた。

 だが動かずにじっとしているそれですら、僕には影としか認識できなかった。本来なら僕は、動かない霊体であれば人間と見間違えるほどの解像度で視認出来る。……はずなのだ。


 なんだ……あれは一体なんだ。


「ねえ、ねえ。なんで池脇さんいないの? あの人来ないの? 文乃さん!」

 公園の入り口を見ないよう体を反転させるも、文乃さんへ詰問する辺見先輩の声は恐怖に上擦っていた。文乃さんは冷静な顔で二体の影を注視しながら、

「仕事で少し、遅れているだけです。彼はきっと来ますよ。大丈夫です」

「きっとって何、きっとって絶対じゃないじゃん。なんでこんな時に仕事してんのよ、あの人の仕事って何!?」

「先輩、落ち着きましょう」

「バンドマンです」

 と、文乃さんが言った。その瞬間、不思議と恐怖が和らいだ。文乃さんは僕たちの空気の変化を感じ取り、公園入口の二体の影から僕らの方へと視線を移した。とても優しい目をしていた。

「意外ですか?」

 バンドマン? ……池脇さんて、バンドマンなのか。

「共に同じ苦労を重ねて来た幼馴染達と、音楽活動にいそしんでいます。素敵ですよー、彼の歌は」

「もしかしてボーカルですか。なんとなく、わかる気がします。声がとても大きいし、芯があって、よく通る声をされてますよね」

 場違いな話題に笑って答える僕を、文乃さんは嬉しそうな眼差しで見つめて頷いた。僕はなんだか少し、褒められた気がして嬉しかった。

「辺見さん、私が抑えているので大丈夫です。あれらがあの場所から近付いて来る事はありません。それよりも……」

 文乃さんは再び公園の入り口に視線をやり、ぐっと目を細めた。

「私には何か黒いモヤが蠢いているようにしか感じ取れませんが、新開さんや辺見さんには、どのように見えているのですか?」


 う・ご・め・い・て・い・る?


 僕は驚き目を凝らした。青ざめた顔で口を押えながら、僕同様辺見先輩も公園の入り口を振り返った。

「え」

 思わず僕が声を発するのと、弾かれたように辺見先輩が身体を反転させるのは同時だった。わちゃあー、と三神さんが溜息のような声を漏らした。

「文乃さん。実に言いにくいのですが、あれは……」

 声を落として、僕は答えた。「……あれは、全部」


 ……蠅です。



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