44「岡本さんから聞いた話」

  

 その日、『レジデンス=リベラメンテ』へと向かうバスの車内で、僕と辺見先輩は縦に並んだ席の前後に分かれて、別々に座った。空いていた席がたまたまそうだっただけで、他意はない。僕の前に座る先輩が振り向けば、会話には困らない距離だ。しかし僕たちはバスに揺られて目的地へ到着するまでの間、ついぞ一言も口を利かなかった。何度も言うが、他意はない。ただただ強烈な緊張感に支配されていた、それだけなのだ。



 三神幻子が亡くなった僕の母、『よりこ』をその身に降ろした。

 僕の命と引き換えにこの世を去った母であり、奇しくも、十九年目にして初めて肉体をもった死せる母との対面を果たした。

 信じるか信じないかなど、僕の頭にはなかった。奇跡が起きたのであり、僕には神の子・幻子に対する感謝だけがあった。例えあの時目の前で起きたことが手の込んだ芝居であったとしても、それでも僕は喜んだと思う。母に対して前向きな感情を持てただけでも、やはりひとつの成長であると思うからだ。

 僕が悲鳴とも嗚咽ともつかない号泣の声を上げた時、部屋の外で待機していた池脇さんが、襖を蹴破って助けに入ろうとして下さった事を後になって聞いた。事情が理解出来ない彼をなだめて押しとどめるのは命がけだった、と三神さんは苦笑していた。

 彼らを含め、文乃さんも、辺見先輩も、皆部屋の外にいたそうだ。入室のタイミングを伺っていたそうだが、その機会が訪れぬまま幻子の降霊術が始まってしまった。皆がその時どのような様子であったかは、あえて僕の口から語ることではないように思う。

 彼らはその少し前、別室にて岡本さんから打ち明けられたという、長谷部さんにまつわる話を聞いていた。

 長谷部さんのご実家は代々続く資産家で、ありていに言えば、長谷部さんご自身は死ぬまで遊んで暮らせる身分だったそうだ。だが勤勉家であった長谷部さんのお父様がそれを良しとせず、「業種問わず自分の身を社会の中に置き、責任能力と危機管理を身に付け、リスクの側に己の存在を寄せろ」という資産家ならではの訓言を強く説いた。普通我が子に対して、危険に身を寄せろとは言わないはずだが、

「付き合いが長いもんでね、御父上がそう言いたくなる気持ちは分からんでもないね」

 岡本さんはそう言い、口端を捻り上げた。今はどうだか分からないが、若い頃の長谷部さんはさぞかし怠慢だったのだろうと推測できる。

「実際彼が重い腰を上げて事業に取り組んだのだって、あのマンション経営がはじめてなんだよ。ほとんど社会のことなんて分からないのに、楽そうだって理由でこの業界に飛び込んだもんだからね。目を付けられたってことなんじゃないかなあ」

 目を、付けられた?

 文乃さんが真意を問うと、岡本さんは声を潜めてこう答えた。

「地面師、という輩がいることは、あんたも知ってるんじゃないかね?」

 知っている、と文乃さんは頷いた。地面師とは、偽造書類などを用いて土地の所有者になりすまし、勝手に他人の土地を売りさばいて利益を得ようとする犯罪者たちのことである。

「そう。リフォームされてリベラメンテになる前にも、あの場所には別のマンションがあったんだ。そこの持ち主は、その地面師の被害にあって資産を転売された。全てを失った元の持ち主は必死の抵抗もあえなく、自分のマンションの屋上から飛び降りたというわけさ。問題はその後、ケチのついたその土地を、長谷部さんは破格の値段で手に入れた。金持ちの道楽息子ならば……と、目を付けられていたんじゃないかな。知っての通り立地は決して悪くないからね。不動産会社と結託して言いくるめる方法なんて、犯罪のプロにはいくらでもあっただろう。元のオーナーが自ら命を絶った事までは、長谷部さんも調べて知っていたらしいが、『話がトントンと進むって事はこのまま行けってことだー』なんて、当時はいやに乗り気でね。まあ、御父上の手前もあったんだろうがね」

 三神さんはその話を聞いて愕然としたという。それもそのはず、彼らはそのマンションにて頻発する怪現象解決の為に、文乃さんに調査協力しているのだ。相談者である張本人の長谷部さんが以前あの場所で起きた悲劇について知りながら、何も報告をしていなかったのだから何をかいわんやである。四十年前どころではない。ほんの十年前にも、人が死んでいるではないか……!

「そうは言うがね。非合法な手口で他人の手に渡った土地だよ。そんなこと堂々と言えないよ。それにこの十年、本当に何も起こりはしなかったんだよ。今回の件だって、別に幽霊が出るとか、そういった話でもなかったしね」

 言われてみれば確かにそうなのかもしれない、とも思う。三神さんとて、以前あの場所を襲った『災害』という背景に辿り着きはしたものの、では何故今このような怪異が起きているのかについては、分からないままなのだ。

「長谷部さんにしたって、プライドだけは高い男だから、悔しいだろうとは思うけどね。自然災害に凶悪犯罪、そして自殺、挙句は心霊現象。ここまで負の連鎖に巻き込まれた土地はそうそうないんじゃないかな。実の父親に発破をかけられようやく始めた事業が、これだもの。あなた方に対する態度はそりゃあ褒められたもんじゃないけどね、まあ、そういうわけだよ」




 リベラメンテから最寄りのバス停で下車すると、少し戻ったところに小さな児童公園がある。僕たちの集合場所はその公園で、時刻はまだ夕方の四時だった。特に夜が嫌だと僕たちから指定したわけではないが、やはり日のある内は恐怖心も少しは和らぐ。到着すると、すでに文乃さんと三神さんが並んでブランコをこいでいた。

「幻子さんは?」

 あいさつ代わりそう言いながら、辺見先輩が彼らに歩みよる。僕は彼女の後ろについて歩き、文乃さんと三神さんに向かって会釈した。

「もう間もなく来るよ。最後の仕上げに時間がかかっとるんだ」

 仕上げ?

 首を捻る辺見先輩に向かって、三神さんはニッコリと笑いかけた。


 ……道祖神だ。


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