3.たいへんな事情。
がらがらがら。
「ぎゃ!」
その戸の端に頭をぶつけた。
勢いが良すぎて、力が入りすぎたのだ。戸車の調子が良すぎるのよ!
「何だ?」
高い、よく通る声の女教師が、あたしに鋭い声で問いかける。
「遅れましたあ。転入生の、森岡さつきですう」
あえて明るく言ってみせる。こうなったら笑いを取れ、だ。
あたたたたた。ぶつけたほっぺたを思わず手でさする。まったく、こんなとこあざになったらどうするのよ!
視界は見事に男ばかりだった。同じくらいの、短い頭の群れ!
坊主と言ってしまうにはちょっと長い。まあ慣れたけれど、やっぱり何か変。決まりなのかな。指ですいて、そこから毛が出たらだめ、とかさ。
今までも色んな学校を見たけれど、ここ程皆同じくらいの刈り込み方をしてるとこは見たことがない。
それでもって、やっぱり、だとは思うけど、こっちを見てびっくりしてる。
期待が半分裏切られた、と言うような。
そんなに珍しいかしらね。赤茶の髪は。
伸ばしているのに編んでもいない、あちこちが跳ね回っている、狼みたいな髪型は。
確かに今までの学校のどこでも見なかったけどね。あ、でもあの窓際の奴は結構長めだ。耳に髪を掛けてる。
「森岡、初日からずいぶんな時間だな」
「すみません、ちょっと途中で」
「まあいい、とにかく遅くなりはしたが、紹介せねばならん。来なさい」
女教師――― 戸の上の板には生田、と書いてあった――― は、仕方ないな、という口調で手招きする。
「えーと、その遅れた原因があるんですが」
「遅れた原因?」
あたしはぐい、と「原因」を引っ張った。やん、と「原因」はとっさに口にする。可愛らしい声だ。そのままぐい、と彼らの前に押し出す。
「人を捜してるんですって。えーと」
がたん、とその時席を立つ音がした。
「
「原因」こと、
「お前の知り合いか?
「は、はい」
ちょっと来い、と生田は松崎と呼ばれた生徒を手招きする。五分間自習してろ、と言い放つと、そのままあたし達は廊下へと出た。
「五分で話せる理由、か? 森岡さつき」
「あたしの方は話せますけどね」
首を少し傾けると、ざらりと後ろの長い髪が流れるのが判る。
「ここに来る道の途中でこのひとを拾ったんだけど、彼女の自転車がパンクしてたんで、直してたんです。でちょっと時間が。あ、ここに来たのは時間少し過ぎたくらいだったんですけど、自転車置き場に手間取って」
「なるほどそれは納得の行く説明だ。くどくどしいのに一分も掛からない」
妙な感心のされ方だ。
生田は腕を組むと、頭半分小さいあたしの顔をのぞき込む。
「おお、あざができてるぞ、森岡さつき。松崎、彼女達を保健室に連れていけ。伊庭先生に診てもらえ。そうしたらそのまましばらくついていろ」
「は、はい」
行こう、と松崎はあたし達をうながした。
生田は再び教室へと戻っていく。なるほど、この知り合い同士に話す時間を与えてくれたって訳ね。
無言のまま、あたし達は廊下を歩いていく。
木造の校舎は歩くたびにぎしぎしと音がする。
いつまで経っても慣れない音だ。こんなのであの教室の男子が走り回れば、ずいぶんうるさいだろう。や、うるさいどころか、踏み抜きはしないか?
それにしても長い廊下だ。
外側から見たところ、この校舎は二階建てだった。焼き板を張りつめたような外壁に、窓枠だけが白かった。
工法のせいか、上に伸ばせないなら、確かに廊下は長くなる。十ばかりの教室と特別教室を越えたところに、ようやく目指す保健室はあった。
「失礼します」
「失礼だったら来るなあ」
のんびりしたその声に、何だ何だ、とあたしと若葉は目を丸くした。首のあたりでふわふわした髪が妙に質量がありそうな白衣の女が、机に突っ伏している。
「今私は空腹でしかも疲れているのだよ。察してくれるなら君、その扉を閉じて、即刻教室に帰るがいい」
「お言葉ですが
「何」
ぱっ、と松崎の言葉に伊庭と呼ばれた保健医は姿勢を正した。
同じ女教師でも、さっきの生田とはずいぶんと違う。顔もずいぶんと童顔だ。その上に黒ぶちの大きな眼鏡を掛けていて、似合うのか似合わないのか微妙なところだ。
「患者はどこだ?」
つかつかと近寄ってきた伊庭は、あたし達の前まで来ると、三人の顔を交互に見渡した。小柄だ。見渡す顔が心持ち上向きになっている。
「あ、あたしですが」
「君か? おお、ずいぶんと赤い髪! これはここでは直せないぞ」
「違いますって、さっき戸に顔をぶつけて」
そうなのだ。さっきはあえて笑いにしようと思ったが、実は結構痛かった。
「あざになってませんか?」
湿布をしてくれる彼女に問いかける。
「あざ? あざの一つ二つは学生の勲章だ」
「あたし女の子なんですよっ」
「お?」
そしてあらためて、彼女はまじまじとあたしの顔と、その下へと視線を這わす。
「そう言えば、その胸の膨らみは女だな。と言うと、君が噂の越境生か」
「噂ですか?」
「そうだろう?」
今度は黙って様子を見ていた松崎にふった。
松崎はああ、とかええ、とかあいまいな発音を返す。心ここにあらず、という感じだ。それとも若葉の出現がそんなに驚きだったのか。
「で、こっちの君もよく見れば女だな。越境生は実は二人だったのか? それとも君が分裂したのか?」
「違います!」
どういう反応だ、と返す言葉を見失ってたら、若葉が口をはさんだ。
「じゃあ何だ。君は部外者か。部外者が高等学校に足を踏み入れるのは基本的にはまずいのだぞ」
「え……」
あたし達は顔を見合わせる。そう言えばそうだったような、気がする。
だけど彼女の用事は、ここに通う幼なじみにあった訳だから、仕方がない。人を捜すなら、人の集まっているところの方が都合がいい。
ミキさんはそう教えてくれた。
「でもまあ、生田が君等をここによこしたなら、事情があるのだろう。ま、しばし居るがいい。松崎は―――」
「あ…… 俺は」
「松崎くんに用があるんですよ、この子は! ねっ!」
ここぞとばかりにあたしは声を張り上げた。
「用…… って」
松崎は戸惑う。
「あたしが知るものか! 直接聞きなよ」
ほらちゃんと相手の方向く、とあたしは彼の肩をぐい、と掴んで若葉の方を向かす。
「えー…… と。なあ、何があったんだよ、若葉…… 兄貴か? 兄貴に何かあったのか?」
「
その名前はどうも彼女の涙腺を刺激したらしい。大きな目に、じわ、と涙がたまった。みるみる間にその涙は大きな粒になって、ぽろぽろとその頬を転がり落ちる。
「お、おい若葉」
「規ちゃん…… 雄生さんが……」
「本当に、兄貴に何かあったって言うのか?!」
彼女は首を横に振る。
「ううん違うの」
「じゃ」
少しばかり松崎は安心したように息をつく。
だが甘かった。
「雄生さんだけじゃないの。村が」
村が?
思わずあたしは身を乗り出した。
「雄生さんだけじゃないの。村のみんなが、消えちゃったの」
ああ! とあたしは思わず右目の下がびく、と震えるのを感じた。
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