定休日

 俺が働く店の定休日は月曜日。

 当然その日は俺のバイトも休みである。

 けれど俺はそれでも学校帰りに店に寄り、定休日の札がかけられたドアを少し押してみる。

 鍵がかかっていればおとなしくそのまま家路につくのだが、時々開いている時がある。そんな時は、ラッキーと小さくガッツポーズなんかして、店の中に体を滑り込ませるのだ。


「ちーひーろさんっ」

 一番奥まったテーブルでいろんなものを広げて事務仕事をしている千紘にそっと近付いて声をかける。

「なんだ、また来たのか」

 俺の方を見ることもなく、千紘はあからさまにため息を吐いた。

 店長でありパティシエである千紘。パティシエ仕事が忙しいと事務処理が追い付かず、こうしてたまに休日出勤をしているのだと気付いたのはわりと最近の事である。

 たまたま曜日を勘違いして月曜日に来てしまった時に、それをみつけたのだ。

 それからずっと、定休日には千紘がいるかどうかを確認するようになっていた。


 定休日のこの一時が、俺は結構気にいっている。

 当然客はいないし、定休日なので晋平も来ないし、仕事中とは違う私服で素の千紘の姿が見られるし、という、これ以上ない好条件が揃っているのだ。

「家に帰っても暇だもん。別にいいでしょ?邪魔しないからさ」

 俺は鞄を置いて千紘の正面に座る。

「いい若いもんが、何か他にしたいこととかないわけ?」

 俺が定休日にここにくると千紘はあれこれ文句を言うけれど、帰れとか来るなとか言われたことはない。

 だから多分千紘的にはオッケーなのだと勝手に解釈しているのだが、どうなのだろうか。聞いてみる勇気はない。


「なに、そのオジサン発言は」

「だって俺オジサンだし。おまえの倍生きてんだぜ?」

「うわっ、数字にすると怖いからやめて」

 千紘からしたら、俺なんてただの子供だという現実を突き付けられる。

 だって、今おぎゃーと産まれた赤ん坊を見て俺が恋心を抱くわけがない。

 そんな年の差が俺たちにはあるのだ。


「いや、それはオジサン側の発言だろ?」

「だって、ヤなんだもん。お前なんてただのクソガキだーとか思ってんでしょ?」

 俺が拗ねると千紘は手を休め、ぐりぐりと俺の頭を撫でた。

「大人に憧れる年頃か。今になれば学生時代が花だと思うんだけどなあ」

 だって俺は、もっと千紘に近付きたい。

 せめて恋愛の対象年齢に入るぐらいに。

「背伸びなんかする必要無いし、今をしっかり楽しんどけよ」

「楽しんでるよ」

 背伸びしたって追いつけないのはわかっている。

 年の差だけは一生埋まることはない。

「そうか。ならいい」

 千紘は再びペンを手にし、電卓で帳簿の計算を始める。

 計算中は声をかけるべきじゃないなと黙って見ていると、ふと思い出したように千紘が呟いた。

「クソガキだなんて思ってねえよ」

「へ?」

「お子ちゃまだとは思ってるけどな」

 意地悪くニッと笑う千紘が憎らしく、一瞬でもときめいた自分を激しく呪った。

「むっかつくー」

 腹いせとばかりに計算機のクリアボタンを押してやった。

「わ、ばか、おまえ、消えただろうが」

「ねえ、帳簿とかって今時パソコン使った方がいろいろ便利なんじゃない?」

 ちらりとその手元を覗き見て、既に計算の答えがそこに書き込まれているのを見つけた。ダメージなんてないくせに、慌てた振りをしたのだ、憎らしい。

「オジサン、パソコンも使えないの?とか言うんだろ?違うよ、好き好んで手作業にしてんの。便利だからいいってもんでもないんだよ」

 言おうと思ったセリフを先に言われて、俺は言いかけた言葉を飲み込んだ。

 いつだってかなわない。やられるのは俺の方だ。

「どんな利点?面倒くさいのに?」

「この方が金の重みが身にしみる」

「要するに、やっぱり金の亡者だって事?カードより現金が好き、みたいな?」

「あったり前だろ、カードなんてこの世からなくなればいいのに!」

「うっわ~」

 あまりにも徹底した考えに、突っ込む言葉もない。

 俺が呆れている間にさっさか仕事を終わらせた千紘は、テーブルの上を片付けて立ち上がる。

「茶でも飲んでくか?」

「うん」


 多分千紘はケーキ作りだけでなく、何でも器用にそつなくこなす人なのだろう。事務仕事をしている時でもすごいなあと思う。

 面倒そうなこともさっさとやってのけ、俺の会話に相手をしてくれながらも手が遅れることはない。

 千紘が何かに苦心している様を、俺は今まで見たことがない。

 何か、苦手なものとかはないのだろうか。

 そんなことを思っていると、千紘が湯気の立つカップを2つ持って戻ってきた。

「もうお仕事終わり?」

「いや、ちょっと休憩。後は仕入れの手配と器具のメンテだな。俺はあっちにこもるから、飲んだら帰りな」

「はーい」

 俺はのんびりと紅茶を啜る。

 少しでも長く、ここにいたい。

「ねえ、定休日もこんなに仕事して、千紘さんこそ他にすることないの?」

「別にないな。息抜きぐらいいつでもできるし」

「デートとかしないの?」

「そういう面倒な相手は今いないから」

「面倒って…」

「仕事と俺とどっちが大事?とか言われたらたまんねえじゃん。俺、仕事って答えそうだし」

「うわ、最低」

「今は仕事が楽しいからさ」

「ふーん」

 仕事の側にいる人間としては、少し嬉しい。

 けれど本当は向こう側に行きたい俺には少し複雑だ。

「大人の恋愛なんてそんなもんだ。おまえらみたいに純粋に気持ちだけで突っ走れないわけよ」

「千紘さんだけじゃないの?晋平さんなんて突っ走ってると思うけど?」

「ま、多かれ少なかれしがらみがあるってことだ」

「千紘さんの恋愛観が屈折してるって事はわかったよ」

「あっそ」

 自覚はあるのか、反論はされなかった。

 俺が恋人になれる日なんて多分一生こないけれど、なったらなったで大変そうだな、なんて想像してみたりする。

「さて、俺はもう一仕事するよ」

 奥へ入っていく千紘の背中を見送って、俺は頬を緩めた。

 俺の勝手な妄想は、予想以上に幸せだった。




<終>

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