祭の夜に

「ねえ、千紘さん」

 営業時間が終了し、モップで床を拭いていた俺は、その手を休めてモップの柄の上に顎を乗っけた。

「なんだ?」

 テーブルを拭いていた千紘は手を休める事なく耳を傾ける。

「今度の定休日にうちの学校の裏の神社でお祭りがあるんだって。知ってた?」

「ふぅん」

 興味無さげな生返事が返ってくる。

「店休みだし、行かない?」

 俺は勇気を出してそんな事を言ってみた。祭といえば好きな人とデート、みたいなものに憧れるお年頃なのだ。

 もちろん、デートに誘おうなんていう雰囲気ではなく、友人を誘うように自然にさらりと疑われないように、であるが。

「行かない。興味ない」

 返ってくるのは予想通りの冷たい反応。

 あの千紘がそんな簡単に乗ってくれるとは初めから思っていないけれど、もしかしたら意外にも祭と聞くと血が騒ぐタイプだったりするかもしれない、なんて儚い希望を抱いてみたりしたのだ。

 けれどやっぱり撃沈。俺はがっくりと肩を落とした。

「けちー」

 ぷぅっと頬を膨らませてわざとらしく拗ねる俺を、千紘はちらりと横目で流し見る。

「どうせ俺にたかろうって腹だろう?荒稼ぎしてる癖に、意地汚いなあ」

「そんなんじゃないよ。守銭奴はそっちでしょ」

 二人で一緒にいたいだけだなんて、そんな事言えるわけがない。

 仕事とは関係の無い所で、一緒の時間を過ごしてみたいだなんて。

 そんなのは、好きですと告白しているのと同じようなものだ。

「ガキのお守りなんてごめんだね」

 相手にされていない事なんて、最初から分かっている。

 わかっているけれど、冷たい言葉でばっさりと切り捨てられると、さすがに痛い。心が痛い。

 千紘にとって俺はガキの一言で片付けられてしまうような小さな存在なのだ。

 それでも、傷付いた顔なんてできない。

 ガキ扱いするなよとふくれてみせる事ぐらいしかできない。

 そんな俺の傷心なんて気にも止めずに、千紘はふと手を止めて、何を思い付いたのか企み顔で笑った。

 なんとなく、嫌な予感がする。

「それより、あれだな。祭の時間、店開けるか。お前、バイト入れ。俺を祭に誘うぐらいだから暇なんだろう?」

「えーっ」

 予感的中、それではデートどころか単純に祭を楽しむ事すら出来ない。仕事は嫌いではないけれど、遊びモードだった所に突然仕事が入るのはやっぱりあまり歓迎できるものではない。

「えーじゃない!うちの顧客連中もたくさん祭に来るんだろう?そりゃあ祭に便乗するべきだろう」

「うわ、金の亡者だ、この人」

 最初の無関心はどこへやら、うきうきしだした千紘を俺は恨めしそうに睨み付けた。

 もう既に決定事項。断るという選択肢が俺にはなかった。

 溜息を一つこぼし、俺はウエイター仲間の晋平にちらりと視線を送る。

 すると、晋平は慌てて顔の前で手を振り、拒絶のポーズをとった。

「俺は駄目だよ、約束あるから」

 甘いマスクを更に甘く緩ませたところを見ると、どうやら恋人とデートらしい。お相手は同性だということだが、こんなふうに普通に公言して、表を歩く事もできてしまえる晋平を、時々とてもうらやましく思う。好きな人に好きとも言えずにいる俺とは大違いだ。

「じゃあ、俺と諒と二人で店番だな」

 うじうじ思っていた俺は千紘の一言でハッとなる。

 場所こそ違えど、二人だけでいられるということだ。もちろん客はいるだろうけれど。

 もしかしたらこれはとてもラッキーな展開になっているのではないだろうか。

 祭に行く事よりも、千紘と一緒にいる事の方が重要なのだから、願いは叶っている。

「なあに、祭デートな晋平が綿菓子ぐらい買ってきてくれるさ。ん?りんご飴か?チョコバナナか?」

「甘いの嫌いだっつーの!」

 落ち込んでいた気分が一気に浮上する。千紘の意地悪も楽しめる。

「なんだ、せっかくおごってやろうと思ったのにな」

「じゃあ、たこやきっ」

「却下」

「なんで?」

「俺、タコ嫌いだから」

「俺が食べるんだからいいじゃん」

「ダメだ。一人で食おうなんて百年早い」

「なんだ、千紘さんも食べたいんじゃん。祭行こうよ」

「金の亡者だから行かない」

 俺のことをガキだガキだと言う癖に、自分だって子供みたいな事を言う。

 そんな千紘にときめきを抱きながら、俺は鼻歌まじりに床を磨いた。



<終>

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