こっちへおいで

月之 雫

こっちへおいで

 学校を出て徒歩約一分。うちの学生以外の人通りはあまりない道沿いにカントリー調の可愛らしい店があった。ケーキ&カフェの、さほど広くはない店舗である。

 店の雰囲気にはまるで似つかわしくない黒の学生服姿で俺、香川諒太郎かがわりょうたろうは「営業中」の札のかかったドアを押した。

「おつかれさまでーす」

 軽く挨拶をすると、店内の目が一斉にこっちを向く。

 まだ比較的新しい店だが、なかなか繁盛していて、いつも席はほぼ埋まっている状態だった。

 そのほとんどが同じセーラー服姿のうちの高校の女子である。中には別の制服や、たまには男性客の姿もあるけれど。

「やっと来たな、諒ちゃん」

 一人で忙しく働いているウエイター仲間の相田晋平あいだしんぺいが、ほっとした顔で俺を迎えた。

「ごめんね、晋平さん。すぐ着替えてくるから」

 俺はこの店のバイトだ。店長である秋川千紘あきかわちひろにある日突然スカウトされて、今日に至っている。学校内で女子に人気のある俺をダシにして客を集めようという魂胆だったらしい。


 スタッフルームに入ると、この店の店長であり唯一の調理人である千紘がコーヒーを飲みながら休憩していた。

「遅かったな、諒。みなさんお待ちかねのようだぞ」

「晋平さんすごい忙しそうだったのに、何のんびりお茶してんの」

「ホールはあいつの仕事。いいのいいの、どうせみんなお前がくるまでねばってくんだから、少しぐらい出てくるのが遅くたって」

「うわ、こんな店長でよく繁盛するよな、この店」

「諒太郎さまさまかな」

 そんなことを言うけれど、ケーキの味がいいからなのは勿論だし、当の千紘だってかなりの男前だ。32歳という年齢が、一般的な女子高生のストライクゾーンからは外れるかもしれないが、千紘目当ての年上好きの子だって案外いるんじゃないかと俺は思っている。

 実際、この俺だって、この人にはまってしまったのだ。好きだなんて言ったことはないけれど。

 年齢の割におじさんっぽさはまるで感じられないし、けれど大人の魅力をしっかりと持っていて、背も高いし、顔だってかっこいい。きつめの顔立ちはあまりパティシエっぽくは見えないかもしれないけど、営業スマイルは絶品だ。そのギャップがまたたまらなかったりする。 

 そんな風に、俺と同じに思っている人は絶対にいるだろう。

 少なくとも見た目に関しては俺以上に女性を集めると思う。高校の側という立地条件がなければ俺なんてお払い箱だ。

 もっとも、中身には少々難ありかもしれないが。


「出る前に何か食ってく?」

 着替えをしながら俺の腹が鳴っているのを耳聡く千紘が聞き付ける。

「いい。この店甘いものしかないもん」

「甘いの嫌いでよくケーキ屋で働く気になるよな」

「あんたがやれって言ったんじゃん」

 噛み付くように言うと、千紘は楽しそうに笑った。

 俺をからかって楽しんでるんだ、この人は。

 基本的に冷たくて、意地悪で、歪んでいる。

「じゃあ、コーヒーでも飲む?」

「苦いのも嫌いなの。知ってるくせに」

「難しい子だなあ」

「最初から何も食わすつもりないんだろ?育ち盛りの青少年のために何か用意しておいてやろうっていう優しさがないんだ、千紘さんには」

「店のものなら食っていいと言ってるだろう。嫌いなのはそっちの勝手な都合だ。見てみろ、晋平なんて売り物足りなくなるぐらい食いやがって、太っちゃったとかぬかしてる」

「だってあの人甘党だもん、ずるいよ」

「ブタになったらクビだな、あいつ。客が減る」

 そんな会話を交わしているうちに俺の着替えは完了、千紘もコーヒーを飲み干して立ち上がる。

「あんなに選り取りみどりなのに、どうして諒は誰のものにもなんないかな」

 ちらりと店内を覗いて千紘は大げさにため息をつく。

 わかってるくせに。

 俺の気持ちが自分に向いていると気付いているくせに。

 この人は平気でそういうことを言う。

「理想が高いんです」

「贅沢」

 こんなにもハードルの高い恋を、どうして選んでしまったのだろう。

 男で、15も年上で、俺を恋人にする気なんてこれっぽっちもないこの人に。

「三十路で独身な人に言われたくないよ」

「俺、女嫌いだから」

 そんな一言にどこか期待してしまう愚かな自分がいる。

 女の人が嫌いだからといって、自分を選んでくれるわけでもないのに。

 そもそも、女嫌いというのが本当かどうかすらわからない。

 この人の本心なんて、何一つ分からない。

 千紘と話をするのは、楽しいけれど疲れる。

 これ以上ダメージを受けないうちに、出て行こう。

「仕事、行ってきます」

 ウエイターの仕事は好きだ。

 千紘のケーキを美味しいと言ってくれる人を見れるのが嬉しいし、女の子たちと話をするのも好きだ。

 人を集められるのも能力の内だといって人並み以上の給料を貰っているのだから、張り切って働かないと。

 気持ちを切り替えて、店内への扉を押しかけた。

 その時、背後からぐいと腕を引かれる。

「うわ」

 バランスを崩しかけた俺を千紘の手が支える。

「何なの、もう」

 抗議する俺の口に、何かが押し入れられた。

「むぐ?」

「甘くないの、作っておいた」

 多分、材料は甘い焼き菓子と同じなのだろうと思われる食感。けれど、甘ったるい味はなく、バターの風味と塩加減が絶妙に口の中に広がる。

「うまっ!」

 感動する俺を見て、千紘は「大袈裟だな」と肩をすくめた。

 本当に、涙が出そうだった。

 意地悪なくせに、時々こんな風に優しくする。

 だから、駄目なんだ。

 俺の心は揺さぶられて、この人から離れられない。

 その気がないなら突き放してくれればいいのに。

 わざと、なのかな。

 優しい時だって、この人は意地悪なのかもしれない。


 ねえ、俺をどうしたいの?

 俺はどうしたらいいの?


「じゃ、しっかり働け」

 俺の頭をぐしゃりと撫でる大きな手が、とても暖かくて。

 俺は、この気持ちを止められない。




<終>

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