第209話 決別と共存

 コトリとサヨが、アイラを介抱している。それを横目に、ミズキは先に話を進めることにした。


「セラフィナイト。お前の下に、これをつける」

「これとはなんだ。失礼な」


 エンジュは不機嫌そうな声色だが、目だけは好奇心に満ちて、生き生きとしている。


「俺はエンジュだ」

「期待しているぞ」


 セラフィナイトは、目の前の男が明らかに自らよりも年上で、しかもみすぼらしい格好をしているというのに、全く気にかけていないようだった。


 それぞれが、事前にミズキから話を通されていたらしく、子供たちとアイラ以外、特段驚いたような反応する者はいない。


 アイラは、相当の衝撃を受けたようだが、ミズキは総合的に見て、事が良い方向へ転がり始めているのを実感していた。


 セラフィナイトを次期皇帝に推挙する。


 一見、無謀であるかもしれないが、そういう形で帝国と繋がっていくのも、国を守る方法の一つであると思えた。チグサも嫌々セラフィナイトについていくわけではないらしい。そして、チグサだけでは心許無いところを補助するのが、エンジュという男の役目になる。


 エンジュは、自由な男だ。おそらく、国を追われて、人っ子一人いない深い森の奥でも自給自足で寿命まで生き延びれそうな、しぶとさが見て取れる。さらに、彼自身は国というものに固執していない。見ているのは、シャオという笛の価値と、その未来だけだ。


 弟子のハクアの笛を聞いただけでも、エンジュの持つ力はシェンシャンに匹敵することは伺い知れる。捨て置くのは、あまりに勿体ない。


 故に、どうやって紫国に繋げて、いかに飼い慣らしていくか、悩んでいたところだった。


 酒を酌み交わして個人的な誼を結ぶにしても、王という地位が邪魔して、どうしても薄っぺらくなってしまう。しかしここにきて、強力な縁が生まれた。


 ダヤンとハクア。二人の少年の師弟関係である。


 アイラは、どうしてもダヤンを紫国に留めおき、あらゆる諍いから遠ざけておきたい様子。ハクアも紫国という神の地における役目、神苑の笛吹きを担っていることから、ここから離れることはできないだろう。そして、エンジュの見せたあの相好。ハクアの可愛がりようは、どう見ても親子のそれだった。


 つまり、ハクアがダヤンの師である限り、ハクアはエンジュにとって、ある種の人質となりうる。もちろん、紫国を出て、シャオを使い、その価値を外へ広める機会を与えることは、エンジュにとっても歓迎すべきことだろう。


 今は意識を失っているアイラも、セラフィナイトと間接的に繋がりをもつことで、他の皇帝候補の情報を得て、ダヤンを守りやすくなるのは間違いない。


 皆にとって、悪くない話になるはずだ。


「エンジュ、セラフィナイトを皇帝にする。先立っても話した通り、今は平穏な紫国も、放っておけば大国である帝国に侵されてしまうだろう。ならば、こちらから先に食らうまでだ」

「この男がねぇ」


 エンジュは、若干訝しげにセラフィナイトの全身を見渡す。


「本当に、そんなことできるのか?」

「それは、お前の、シャオの働き次第だろうな」


 ミズキにそう言われると、エンジュも悪い気はしない。笛を高く買われている、という意味なのだから。


「おそらく、皇帝の座の奪い合いは、陽のあたる表舞台だけではなく、闇にも戦いの場が生じるだろう。そういった場面で、帝国の者共が見たこともない術、つまりシャオを操り、獣を従えた作戦をとれば、度肝を抜くこともできるだろう」

「まぁ、上手くやるよ。シャオの力を見せつけてやる」


 エンジュは、緊張感が足りないのか、分かったという風にひらひらと手を振る。


「そして、セラフィナイト。くれぐれも、こいつやチグサが死ぬようなことにはするなよ? 言った限りはやり通せ。それが、戦犯であるお前に課す罰だ」


 甘いな、とセラフィナイトは心の中で呟いた。お膳立てされて、笑顔で送り出してくれるなんて、あまりに温い。だが、悪くない。帝国では、一切感じることのなかった、柔らかくて心地の良い連帯感がここにある。


 これは、潮時かもしれない。道化を演じて、のらりくらり生きるのも、もう止めだ。妻となるチグサの故郷というだけでなく、欲しいものがここにある。もう裏切ることはできない、と腹をくくるのだった。


「俺は、ここ、紫国が好きだ。恩には報いるつもりだ」


 ミズキと、その背後のサヨは、その日一番の笑顔で、祈るように頷いてみせる。


「ぜひ、そうあってほしい。さすれば、全ては水に流そう。それぞれの土地で、それぞれの故郷で、共に栄えることを我々は望んでいる」


 決別でもあり、共存でもあった。ミズキの出した答えと、セラフィナイトの約束が実を結ぶのは、ここから三年後のことである。



 ◇



 その頃、ひっそりと紫国を出て、アダマンタイトに入ろうとしている者達がいた。


「正妃様、こちらです」


 森の中の一本道。足元が悪い中、見るからに妓女と分かる女が連れの者に手招きしていた。


「その呼び名は止めよ。既に私はそのような立場ではない。むしろ、一度死んだ身なのだというのに」


 毅然とした声は、やはり隠し切れない高貴さが漂っている。


「では、なんとお呼びすれば」

「ヨミと呼びなさい。人が神の世界へ行く前に通るという黄泉の国の住人という意味だ。あの馬鹿息子も、死者が蘇って警告しにくれば、多少は肝を冷やして行いを正すかもしれぬ」

「ぜひ、そうあってほしいものです」


 カンナは微かにほほ笑むと、ヨミの手を引いて先を急いだ。女二人旅。それも、クレナ国の元正妃を遠く帝都まで連れて行くことになっている。


 あの琴姫、コトリが懐妊した。出来損ない王子として知られるセラフィナイトも紫国から次期皇帝として名乗りを上げることになった。世の中がまた、大きなうねりをもって動き出していく。そんな前兆を肌で感じて、カンナはふるりと武者震いした。


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