第199話 チグサの助言
紫国で最も高貴な場所は王宮、または、都にて未だ増築が続いている大社だ。では、最も快適な場所と言えば、どこだろうか。
答えは、チグサの屋敷である。
おそらく、女神具師で改造の腕の高さとなると、チグサの右に出る者はいない。女らしく気配りの届いた清潔感のある彼女の屋敷では、家屋の中や、外の庭、至るところに特殊な神具が仕込まれていると言われていた。
まだ肌寒い時期だというのに、手足はかじかまないし、空気は乾燥しすぎているわけでもない。近くには商店が多く軒を連ねているにも関わらず、なぜだか喧騒は耳に届かず、静謐で穏やかな空気が漂っている。
一方では、悪しき者を迎撃する神具すら隠されているので、日夜衛士が周回せずとも、敷地内は安全に守られていた。神具は、住む者、訪れる者の快適さや便利さのためだけではなく、防犯という観点においても優秀なのである。
ここまで、生活に密着するような神具の活用法を編み出して実践しているのは、歴史を紐解いてもチグサぐらいのものではなかろうか。
彼女は、ソラにいた頃からこういった神具の使いこなしは上手かったが、香山に越してきてからというもの、良い意味で拍車がかかったようである。今では、そういった知識を駆使し、カケルの弟子であるラピスが切り盛りするヨロズ屋とも提携して、庶民でも購える安価で高品質な神具まで開発していた。
そんな、この国の最先端の場所だからこそ、王の妃であるサヨが身を寄せて、ゆるやかに過ごすには、ぴったりなのだ。
季節は、本格的な春に向かおうとしていた。
いつの間にか年が明けて、年始の儀式には王宮へ戻って妃の役目を果たしたものの、またここへ舞い戻ってきてしまったサヨ。ただ気鬱で俯きがちな彼女の手元には、最近チグサが手掛けた遠耳の神具があった。これは、遠くの声や音を拾って届けるための神具である。
楽師団時代に培った神気を見る力を使えば、神具が風を操って遠くの音を拾い集めているのが視認できる。しかし、棚引く虹色の霞が、サヨの思いに応えてくれることはなかった。
「サヨ様。そうやって待ってらしても、王の訪れはありませんよ」
見るに見かねたチグサが、冷たく言う。サヨは神具を通して、王宮からこの屋敷にやってくる馬車や行列がいないか探していたのだが、早速見抜かれてしまったようだ。
「王の動向は、私の方でも掴んでおります。なかなかお迎えにいらしてくださいませんが、彼自身は多忙で他のことにかまけている余裕はないようですよ」
「他のこと?」
「えぇ。サヨ様の元へ戻ってらっしゃらないだけでなく、あの女の元へ通っている様子も無いということです」
これは、安心していいのか、何とも判断のつかぬ情報だ。
「とは言え、いつまでも離れ離れというのは好ましくありません。このままでは、あの異国の女の思うつぼです。サヨ様自身が王を避けていると騒ぎ立てられ、もはや婚姻関係が破綻していると言われてしまえば最後。本当に王宮で居場所がなくなってしまいますよ? そもそも、こういったことにも耐えるのが王妃の仕事です」
さすがは元王族だな、とサヨは思う。しかし、どれも分かりきった話だ。どうすれば良いかなんて分かっている。だが、理性と感情が行き違うのが世の常だ。成さねばならぬことを成せないからこそ、ここに居着いているというのに。
チグサは、サヨの素っ気ない反応に肩を落とした。
「では、カケル兄上のことを思い出してください」
チグサがカケルのことを語ることは少ない。サヨは、どことなく柔らかくなったチグサの口調に目を丸くした。
「兄は、コトリ様と長く離れ離れでしたし、あれだけ亡きクレナ王に阻まれ、翻弄されても、食らいつく勢いで想いを貫きました。何度すれ違っても、何度苦境に立たされても、身内ですら呆れるぐらいの忍耐と鈍感さをもって、悲願を果たしに邁進していたのです」
サヨはハッとして顔を上げる。これでは褒めてるのか貶しているのか微妙なところだが、身近な人物の具体例は心に響くものがあった。
「立場や生まれを捨てる覚悟で好き勝手していた兄は、見方によっては無責任であり、格好が悪いものかもしれません。ですが、コトリ様や、コトリ様との縁を信じる気持ち、そして自分の想いに正直でいる潔さには、私も尊敬するところがあります」
きっとカケルのことだ。これまで妹であるチグサにも相当の心配や迷惑をかけてきたにちがいない、とサヨは思う。それでも、身内にここまで言わしめるだけの行動力、そして周囲を惹き付けるものをカケルは持っていたのだ。
「正直なところを言いますと、カケル様は我が主、コトリ様を奪っていったお方。何も含むところが無いわけではございませんが、私も見習うべきところがありそうですね」
「えぇ。失礼ながら申し上げますが、少しの間、想い人と疎遠になったからと言って、自分からは何もせずにこんな所へ引き篭もり、いつまでも拗ねてらっしゃるのは、まるで子供のようです。それとも、ミズキ様の心が本当に離れてしまったとお思いなのですか?」
「そんなこと!」
サヨが必死で打ち消そうと、声を荒げる。チグサは、安心したかのように微笑んだ。
「でしたら、何も怖いものなんてありませんでしょう? 異国の女一人現れたぐらいで、揺らぐ愛情ならば、いっそ捨てておしまいなさい」
「チグサ様」
元々、高貴な姫ということもあり、思ったことは容赦なく言い放つきらいがある人物だ。しかし、ここまで凛々しく、物を申す者だったであろうか。サヨは、厳しい声を受けたにも関わらず、何か別の胸騒ぎがしていた。
その時だ。部屋の外に文を携えた女官が現れる。チグサは無言でそれを受け取ると、送り主を見るなり中身をあらためた。
「サヨ様、朗報ですよ」
まさか、王からの連絡かと、サヨは浮足立つ。
「コトリ様が間もなく都へお戻りになるそうです。どうやら、お子を授かったそうですよ」
サヨは一瞬顔を強張らせたが、すぐ、たおやかに微笑んだ。
「それは、おめでたいわ。とても」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます