第173話 ヨロズ屋のラピス

 コトリを迎えの者に引き渡し、再びヨロズ屋を留守にする準備を始めたカケル。店先に立っていると、紫の者が文を携えて近づいてきた。


「ご苦労様」


 受け取ると、すぐに中身に目を通す。運んで来た者の表情が明るかったので、良い話かもしれない。


「良かった!」


 それは、やっとイチカの行方が知れたという話であった。アダマンタイトへの旅では、大変世話になった女である。現地の言葉が話せないカケルに代わり、様々な店や屋台へ向かっては、コトリに関する情報をかき集めてくれた。紫という大組織の中では新参で、末端である彼女は、身軽で帝国圏での生活経験も長い。そう簡単にはアダマンタイト兵や帝国兵に捕まったりはしないだろうと思うものの、もしや、ということもある。カケルはほっとしながら、先を読み進めていった。


 しかし、文の後半の内容は、一気にカケルを現実の苦境に引き戻してしまう。


「何だって?!」


 イチカからもたらされた情報によると、帝国はコトリを取り逃がした責をとらせるべく、アダマンタイト全土に挙兵を命じたらしい。その数、十二万。もはや、どれだけ多いのか想像がつかない程の規模である。


 アダマンタイトでは、兵という兵が鎧に身を包み、一人ひとりの身体と特性にあった、実践的な良質の武器が支給されているようだった。きっと、カケルが作っていたような黒い筒状の砲台も、最新式のものが備えられて、紫へ照準を合わすこととなるのだろう。


 一方、紫は、神具があるものの、元々戦闘向きのものは、ほぼ存在しない。護身用のものは流通しつつあるが、自ら相手に仕掛けていくような武器としての使い道は想定されていないものばかりだ。


 しかも、それらは国民全てに滞りなく広まっているわけではない。そもそも、兵と呼べる人材は一握りで、かつての兵役で搔き集められていた男共も、皆農民あがりで碌に戦い方も知らない者ばかり。そして、貧相な破れ掛けか、継ぎはぎだらけの白い衣を羽織っただけという、ほぼ裸に近いような丸腰姿。


 ソラとアダマンタイトの国境には長城と呼ばれる砦に近い形式の壁が連なっているが、綻びも多く、飛び道具も出てくることが分かっている今、あまり役には立たないだろう。


 帝国式の訓練を受けた大軍がやって来る。紫に住む者に対して、何の感情も感慨も無く、無差別に残虐なことができるであろう敵。


 カケルの背中に冷たい汗が流れ、武者震いで文の紙がガサリと音を立てた。


「不味い。不味すぎる。時間が、無い!」


 切迫感のあまり、カケルは呼吸も荒くなってきた。コトリが嫌がるアレを使えないとなると、どうすれば良いのだろうか。とりあえず、工房へ向かおう。未だ、工具に居座っているソラ神が、何か力を貸してくれるかもしれない。


 だが、それを阻もうとする者がいた。


「クジャク、道を開けてくれ。急いでるんだ!」


 クジャクは動かない。表情も硬いままだ。


「カケル様。落ち着いて聞いてください。ラピスが、帰ってきました」



 ◇



 ラピスは、店の地下にいた。少し前まで、元正妃だった女が居た場所だ。しかし、彼は拘束の神具をもって、椅子に括りつけられている。先日王宮と共に逝ったクレナ王のようだ。


 クジャクは、帝国に寝返り、カケルを悲しませた彼を決して許してはいない。その表れなのである。


「ラピス、その色、どうしたんだ?」


 カケルがまず驚いたのは、髪だった。帝国由来の金髪はクレナでは目立つというのに、先祖を否定したくないという理由で決して染めることがなかったラピス。なのに、今は見事に真っ黒なのである。


「本当は新国に合わせて紫にしようかと思ったんだけど、染料の分量を間違えちゃって、黒くなったんだよね」


 ラピスは、拘束具が身体に食い込んで痛むのか、やや顔をしかめながらも、明るい声を出そうと努めているようだった。


「そんなことより、お前!」


 カケルが仕切りなおして、沸き出る様々な悲しみと怒りを言葉に滲ませる。けれど、ラピスはすまさそうに眉を下げて、ただただ頭を下げた。


「親方、本当にごめん。殴ってもいい。蹴り倒してもいい。殺してくれてもいい。でも、先に話を聞いてほしい。そのためだけに、俺は今まで生きてきたのだと思うから」


 すると、クジャクがますます目を吊り上げて、ラピスに怒鳴りつける。


「裏切ったお前の言うことなど、何一つ信用なるものか! こうやって、カケル様に会わせてやってるだけでも、感謝しやがれ」

「クジャク、もういい」


 クジャクがあまりに強い口調でまくしたてるので、カケルはかえって少し冷静になれた。


「ラピス、俺は怒っている。なぜだか分かるか?」

「帝国側になったからでしょ」

「それもあるが、それだけじゃない。お前が、師弟の約束を破ったからだ」


 カケルは、クジャクと出会った頃のことを思い出していた。あの頃は、もっと痩せたガキだった。髪だけでなく、顔立ちも心なしかクレナらしくなかった少年は、同世代の子供から虐められたり、近所の大人からも嫌がらせを受けていると話していた。結果、腹を満たせない暮らしをしていた。


 しかし、それ故なのか、人の顔色を窺ったり、気配を消したり、人の目を盗んで何かを成したりするのは得意だった。ついでに言えば、手先も器用な方だった。


 当時のカケルも、まだクレナに来たばかりで知り合いも少なく、同じく周囲から侮られるばかりの少年である。年の近い味方というものを強く欲している時期だった。


「俺には目的がある。この国の王女を娶る。必ずだ。だから、絶対に裏切らない味方が欲しい。お前は、それになれるか?」


 そこで頷いたからこそ、ラピスはカケルに神具師として弟子入りすることになる。以来、ゴスに次いで、いつも隣にいるカケルの良き理解者であり続けた。


「約束は覚えてるよ。忘れるわけがない。それがあるからこそ、俺は帝国に行く必要があった」


 隣では、クジャクがまた「寝言は寝て言え!」と悪態をついているが、カケルは少し興味を引かれたようで、視線だけで続きを促してみせる。


「俺は、この通り帝国に縁故がある。だから、正直、神具師としては不向きだったけど、親方は頑張って育ててくれた。あの時、親方と出会っていなかったら、俺は既に野垂れ死んでたと思う。つまり命の恩人なんだ」


 確かにその通りだろう。ラピスは貴族でもないので、他のクレナの民と同様、命は枯れ葉よりも軽かった。


「だからこそ、俺は命を懸けて恩返しする機会を伺っていた。そしたら、帝国の影が迫ってきたんだ。俺は、今こそ、この金髪を活かせる時だと思った」


 クレナやソラの人間の髪色はさまざまだが、なぜか金だけは居ない。だが、帝国圏に行けば金色が主流であり、特にラピスのような白に近い美しい金は貴族などに多い。そこでラピスは、久方ぶりに母方の親戚筋を辿って、帝国圏の情報を集め、帝国軍の中枢に潜入するきっかけを探し始めた。


「まず分かったのは、神具の力は全く脅威として捉えられていなかったこと。でも、帝国軍の殿を務めるセラフィナイトだけは、それに疑問を抱いているということだった」


 ラピスの調査では、セラフィナイトはソラのアグロと長く関係を築いていたものの、神具に詳しくなる機会が無かったらしい。神具嫌いのアグロが、徹底して神具師と関わらせようとしなかったことが大きいようだ。


「だから、神具に対抗する手段として、帝国の味方をする神具師を秘密裏に探し始めていたんだよ。そこに現れたのが、俺。面白いぐらい、良い食いつきっぷりだったよ。お陰で、そのお仲間もいろいろ喋ってくれたから、報告するね」


 まず、兵の数。これはイチカからの情報と同じく、およそ十二万と言われているらしい。使われる兵器については、ソラとの境界にある壁を破壊するための大型武器が導入されることが分かっている。さらに兵士は、一人一丁ずつ、銃と呼ばれる飛び道具を所持している。さらには、剣や槍も携帯しているということで、大方カケルの予想通りだ。

 しかし、さすが帝国。それだけではない。


「ソラの村で受けた仕打ちが余程堪えたんだろうね。ソラに向かっている川に毒を仕込むって話も上がってたよ。作物を枯らせる特殊な土を、風に乗せて紫側に吹き流す話とか」

「何だって?!」


 カケルとクジャク、同時に叫ぶ。

 確かにソラでの一戦では、帝国からすると常識外れの戦法で悩まされたのだろうが、今計画されているのは、完全に人だけでなく、国、土地、そのものを潰そうとする試みだ。禁じ手に近いものがある。


「アダマンタイト側もなりふり構っていられないんだよ。今度こそ勝たなければ、アダマンタイトは帝国本国にもっと搾取されてしまう。作物や希少な金属だけじゃない。姫も、どこぞの老人の後妻に遣られてしまうって」


 カケルは、厳しい顔のまま、腕を組んで暫し思考にふけった。そして、言うのである。


「分かった、ラピス。俺は、もう一度だけ、お前を信じることにする」


 ラピスの話は、かなり具体的だった。イチカからの情報と合うところもある。後で、裏付けをとるよう急がねばならないが、帝国側が本気を出してきたことは判明した。


 同時に、おそらくは極秘であろう話をこんなにもたくさん集めてきたのには、ラピス自身相当綱渡りを繰り返し、自らの身を危険に晒してきたであろうと想像するのである。


「親方、ありがとう」


 クジャクは一連のやり取りを傍観しながら、未だ煮え切らない様子だったが、暴言を吐くのは止めたらしい。


「ラピス、カケル様の恩情に感謝しろ」

「もちろん」

「もう、心配かけるなよ。後、遺言みたいなのを残して勝手に出ていくのも、やめろ」

「ごめん」


 途端にラピスは、もう任務を終えたとばかりに、気を失ってしまった。クジャクは、溜息をつきつつ、神具による拘束具を外してやる。


「師匠もいろいろこじらせてるが、弟子も弟子だな」


 おそらくは、黒髪こそが紫国、そしてカケルへの恭順の印。もう帝国には行かない、何物にも染まらないという誓いの表れであることは分かっている。だから、もう何心配は要らないと思うのだが、それでも腹いせに何かせねば、憤りは収まりそうにない。


 クジャクはちょっと考えて、見掛け倒しの木枷を、そのお騒がせ者の手につけた。枷に彫られているのは、ヨロズ屋の紋である。


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