第174話 チグサの覚悟

 それから数日後。サヨ夫婦、そしてコトリ達は、新たな都となる場所、香山を目指していた。そこには、紫の主たる者達も付き添っている。ミズキから新国の官吏として任命された彼らは、都の開発のために各地の人を集めながら向かうのだ。


 列を成した馬車が、開きっぱなしの大門を次々にくぐりぬけて、西へと街道を進んでいく。残されたのは、もはや古都となってしまった元クレナの都だ。


 コトリの奏でによって浄化され、ハナ達がばら撒いていた怨念の籠もった悪しき神気は、すっかり一掃されている。都としての役目は終えるものの、これで今後も東の主要都市として、健全に栄えることができるであろう。


 さて、その頃。香山の離宮では、チグサが与えられた自室で機嫌の悪い猫のように唸っていた。卓の上にあるのは、部下からもたらされた、この辺りの地図である。


 香山は、元々、和の国が都としていた場所だ。今はほとんどが荒野に覆われているものの、少し堀り起こせば、かつての遺構などがすぐに見つかる。綿密に計算された街の区画や道などが、次々と明らかになってくのを目の当たりにするのは、存外楽しいものだ。


 しかし、判明した事を地図に書き込んでいくと、もっと良くすることはできないか、問題が潜んでいるのではないかと考え込んでしまう。それは、やりがい故の、生みの苦しみとも言えた。


 より良く。それは、神具の改良を得意とする彼女の性が、ここでも発揮されているのである。


「少しは休憩を挟んではどうだ」


 クロガが、やってきた。チグサは驚いたようにして顔を上げる。


「あら、兄上。どうかなさいました?」

「どうもこうもない」


 クロガは苦笑する。単に、真面目な妹のことを慮っているだけだ。


「根を詰めすぎではないか? 確かに、地中に眠った古都の再開発は、お前に任せたけれど、寝る間も惜しんで励めとまてでは言っていない」

「いえ、この程度」


 チグサは、つとクロガから目を逸らす。


「同じ元姫でも、コトリ様は奏者として励んでいらっしゃるのに、私が怠けてなどいては」

「チグサ」


 クロガは、チグサにうっかり大仕事を与えてしまったことを、後悔し始めていた。新王ミズキから何らかの指示が下るまで暇だからとせがまれて一任したものの、きっもと彼女が意識しているのはコトリだけではない。カツに対してもそうだ。


 彼は、チグサにとって同い年の兄弟である。これまでも何かと張り合ってきた仲なのだが、今のカツの眼中にチグサはいない。建国間もないからこそと言って、今も影を率い、忙しく国の各地を飛びまわっているのだ。


 混乱期は、それに乗じて悪巧みする者が必ず現れる。要人の暗殺の危険も心配されていた。急な世の移り変わりについていけぬ者の憤りが、新たな国の中枢に向いて、かつての紫や暁のような組織ができてしまっても面白くない。


 それを阻止する役目を買って出た兄弟に、やはりチグサは負けたくないのだろう、とクロガは予想する。しかし、何事も程々が肝要だ。功を焦って、倒れてしまっては元も子もない。


 やはり、こんな時はこれしかないだろう。

 

「たまには工房へ入っては工具を握ってはどうだ? 落ち着くかもしれない」


 そういえば、とチグサは握っていた筆を置いた。こんなにも長く工房に入らずに過ごすことなんて、かつてあっただろうか。どこか気持ちが不安定で落ち着かないのは、そのせいかもしれないと思いあたり、チグサは小さく笑う。兄達程ではないと高を括っていたが、自らの神具馬鹿ぶりも酷いらしい。


「そう言えば、カケル兄上は、またアレを作っているのかしら」

「そうだね。アレは、クレナへ運んでいったから、また手を加えてるんじゃないかな。何せ、帝国への切り札にしたいようだから」


 アレとは、人を殺すことを目的とした、黒い筒状の大きな神具のことだ。年末の処刑で活躍したものである。そこから醸し出されている雰囲気は、神具であるのに、神具ではないような、薄ら恐ろしいものがあった。チグサはそれを思い出して、一瞬身震いをする。


 確かに、アレがあれば、帝国に一矢は報うことができるかもしれない。だが、あくまで一矢で終わるのでなかろうか。


 先だってのクレナとソラの歴史的な会議。その場でミズキやサヨからもたらされた情報は、決して楽観的には捉えることができなかった。


 神具の勝利。神具師としては誇らしい話だが、それはあくまで、相手が神具を侮り、ソラやクレナの民を愚物と見下してかかった故の結果だ。帝国も馬鹿ではない。次も同じ手が通じるとは思い難いのだ。


 おそらく、チグサ自らが指揮したソラ辺境での小競り合いも、良い偶然が重なったのだろう。もし、もっと大軍だったら。もっと相手の武器が強力で、飛び道具が多かったら、どうなっていたことか。


「私、神具を信頼していないわけではありませんけど、神具で勝てるとは思えませんの」

「カケル兄上渾身の神具でも?」


 チグサは、クロガ以外、誰も見ていないのを確認してから、そっと頷く。


「だいたい、勝てたとしても、また次の大軍が押し寄せてくる。帝国にはそれだけの力があり、人がいます。でも、こちらはまだ建ったばかりの貧弱な国。万が一連勝したとしても、戦続きでは、民も疲弊してしまいますわ」

「そうだよね」


 それは、クロガも薄々気づいていたことだった。今は目の前の十二万という兵だけを見るしかない。けれど、元を辿れば、皇帝という簒奪者を葬らない限り、この国はずっと危険に晒され続けるのだ。


「ですから、兄上。もしもの時は、私が皇帝に嫁ぎます」

「お前、正気か? もはや完全に敵国なんだぞ?」

「分かっております」

「全然分かってない。だから、この前も言ったじゃないか。お前もカケル兄上のように……」

「私も言いましたよね? だからこそ、です。女に生まれて後悔したことは数知れませんが、こればかりは女であることを武器にできますもの。私にしか成せないお役目です」


 チグサの声からは、一歩も引かないという信念のようなものさえ感じられた。クロガは、その気迫に負けて押し黙る。


「でも、紫を他の属国のようにしたくはありません。できるだけ良い条件を引き出し、停戦と不干渉へ導くのです。そのためにも、此度の戦の指揮官を捕まえておきたいところですわね」

「セラフィナイト、だったか」


 クロガは、サヨから聞いた名前を思い出した。アグロと繋がっていたと思われる男も同じ名前を名乗っていたようだが、おそらくは同一人物であろうと推測する。


「ですから、影の一部を私にお貸しくださいません? いくら大きな軍でも、大将を取り押さえれば、身動きは取りづらくなりますでしょうし」

「それは一理あるな」

「サヨ様をいたぶったとかいう男だもの。徹底的に我が国、紫の恐ろしさを叩き込んで差し上げますわ」


 チグサの目が獰猛な獣のように細められる。クロガは、自分が食われるわけでもないのに、背中をゾクリと震わせた。


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