第171話 神々の理由
『茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流』
額田王
『紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾戀目八方』
大海人皇子
万葉集より
元々コトリは、香山へ移動する前に、社へ立ち寄りたいと考えていた。スバルやヤエの顔が見たいのもあるが、何より琴姫としての仕事をするためだ。
シェンシャンの演奏。それは神との語らいでもある。楽士団の首席であり、ルリ神とクレナが宿りしシェンシャンをもつコトリは、直々に神々へ紫建国の報告をせねばなるまい。
さらには、新たな国でも民の拠り所となり続けるであろう各地の社へも、その旨を、れいの炎を通じて伝えるべきだ。琴姫の立場でそれを行えば、紫国の権威を固めることにもなるであろう。
社総本山では、急な訪問にも関わらず、すぐさまヤエとスバルが出迎えてくれた。ヤエは一時脚を負傷していたと聞いていたが、すっかり良くなって普通に歩けていると言う。なのに、なぜかスバルがかいがいしく世話を焼こうとしていて、コトリは二人の関係性の変化に気づくことになるのである。
「えぇ。国の礎に関することでしたら、神々のお立ち会いがある方がよろしいでしょう」
事情を説明すると、すぐにスバルが本殿の火を持って寄越して、社務所にある広間の燭台に灯してみせた。それを囲むようにして、コトリ、カケル、サヨ、ヤエ、スバルが集う。
さて、早速ルリ神を呼び出してみようか。それとも先に、社総本山の御神体の神に挨拶すべきだろうか。と、コトリが考えあぐねていると、突然視界が白に染まったではないか。
何度か瞬きをして見回してみると、隣にはカケル。向かい側には、あのニ柱が、やや疲れた顔で佇んでいた。
「あなた、いろいろ大変だったわね」
「でも、ようやく二人の恋が成就して嬉しいわ」
前者はウズメ、後者はククリ。音の神と恋の神のお出ましである。
「お久しぶりにございます」
ひとまず頭を下げたコトリだが、そこからのニ柱の勢いは凄かった。
「あのね、こっちもけっこう大変だったんだから! お願いだから、もう帝国なんて行かないで? 本当にひやひやしたわ。あそこは神気が希薄だから、さすがの私達も手出しができないのよ」
ウズメは、やれやれと言う風に首を振る。神気は、基本的に神への信仰が根付いた土地にしか無いものだからだ。
「それだけではないわ。また、あの父親が出しゃばってきたりして危なかったですし」
いつも温厚そうなククリまで、声を固くしている。これで、春の園遊会で当時の父王が突然苦しみ出したのは、やはり神罰の一種だったのだと判明した。
「でも何より、ルリ様がまだ十分な状態でもないのに張り切りすぎて、力尽きてしまわれましたから……」
「え、私何かしましたか?」
コトリがククリに尋ねると、代わりにカケルが返事した。
「流民の村のことですか?」
ニ柱は頷く。確かにあれは、シェンシャンに呼応した神気が奇跡を引き起こした。あそこまで大規模なものは、コトリも初めてで心底驚いたのを記憶している。
「そうですか。では、ルリ神にもお詫びとお礼をお伝えしないと」
しかし、事はそう簡単ではないと、ウズメは言う。
「本来ならば、この場でルリ様とお会いしていただくべきだったわ。けれど、今はまだ二つの岩が離れ離れで、お力がまだ完全ではないの」
「あまのいわたて、のことですね」
「そうよ。岩は神気、つまり元を辿れば信仰心やあなたがた先祖の想いでできているの。国に恵みをもたらす根幹で、礎の石とも呼ばれているわね。我々神々が、そういった神気を様々な可能性や自然現象、加護として昇華し、神具と呼ばれる道具を通してこの世に何かを発現させているの」
コトリとカケルは、改めての説明で、自分達の知識や推察が正しかったことを確認する。
「けれど、クレナは王の信仰心が著しく低いこともあって、礎の石は小さくなるばかりだったわ。だから、ソラの石の近く、かつシェンシャンの音がなければ姿を現せなくなっていたのよ」
コトリは、正月の出来事を思い返していた。確かに、あの時の条件と当て嵌まるのだ。
「では、なおさらルリ神のためにも、早く『あまのいわたて』を一つせねばなりませんね」
「実は、礎の石に浮かび上がる詩歌の完全体が、ようやく揃ったのです」
カケルとコトリが報告すると、ククリは満足そうに笑った。
「やっとね。これで我々神々の実家とも言える『
ウズメによると、元々和の国には天磐盾と呼ばれる大岩があり、国を二つに分ける際に神の恵みも半分ずつ分けるという話になったらしい。その際、天磐盾を司る大神という最頂点の神が、ルリ神とキキョウ神を創り出し、それぞれクレナの石とソラの石の守り神とした。けれど、このニ柱は常に生みの親である大神の元への帰還を悲願としている。
一方、神に無理を言って天磐盾を二つに割ったことから、クレナとソラ、直系の子孫が合言葉を突き合わせない限り、再び一つにすることはしないという約束を大神と取り交わされていたのだ。さらには、神になったクレナやソラが、この事に関して直接的に子孫へ働きかけるのも禁じられていたと言う。
「ですからクレナ様は、あまり話しかけてくださらないばかりか、大切なことを教えてくださらなかったのですね」
コトリの中で、辻褄があってきた。そこへ投げかけられたのは、カケルの素朴な疑問だ。
「でも、どうしてルリ様はここまで私達に肩入れしてくれたのでしょうか?」
本来神々は自由で、特定の人の子を贔屓にすることは少ない。しかも相手は、クレナの守り神なのである。
「おそらく、あなた方の二人の名を並べてみれば、答えは見つかるんじゃない?」
「あ」
コトリとカケル、二人同時に声を上げる。二人が揃うと、「瑠璃」、つまりルリ神の名が現れるのだ。
様々な疑問が解決した。コトリとカケルは随分とすっきりした表情である。
そうとなれば、早速、儀式とも呼べるものを始めねばなるまい。カケルとコトリは、少し緊張しながらも、向かい合って立った。必要な詩歌はお互いに
まず、コトリが口を開く。胸元に下がる紅い勾玉の形をした石がふわりと浮いた。
続いてカケルも口を開く。同じく、懐に仕舞ってあった青い石が表に出てきて、宙に浮く。
切ない恋の詩だ。男女としても仲睦まじかった姉弟が別々の人と連れ沿い、新たな国の主となるも、未だに互いを恋い焦がれている。まさしく、初代王であるクレナとソラ、縁の歌である。
コトリは目を閉じ、心の内でシェンシャンを奏で始める。頭の中で跳ねるきらびやかな音が、何かを引き寄せ始めたのを感じていた。
カケルは、ニシミズホ村での出来事を思い出す。あそこは、唯一クレナではなく、大神を祀っている場所だった。実際、石の守り神がルリ神だったにも関わらず、そうしていたのは、きっといずれ今日の日がやって来るのを心待ちにしていたルリ神、キキョウ神、引いてはクレナやソラの願いの現れだったのかもしれない。
そうこうしているうちに、二人の胸元の石が明るい光線を四方八方に放ち始めた。石の中は揺らめく炎を抱えているかのように、赤と青を行ったり来たりとしながら、目まぐるしく色を変化させていく。時折、光の粒がどこかへ飛散し、星のように流れていった。
それも、少しずつ収まっていく。ついには石が紫に染まってしまった。石がたたえていた熱も冷めはじめ、二人の胸元へ、ゆるやかに戻っていく。二つの勾玉は、完全にお揃いになってしまった。
その時である。
「よくぞ、成してくれた」
どこからか、声が降ってきた。
【補足】
いつもお読みくださっている皆様、どうもありがとうございます。
さて、早速ですが、今回は少しだけ解説を挟ませてください。
冒頭に出てきた詩歌は、言わすとしれた有名な歌集「万葉集」からの引用です。原文の通り、漢字(物語の中では古語と呼ばれておりますが)での記載となりました。物語の中に記載したかったのですが、著作権が切れているのは分かっているものの、本作は和風ファンタジーの創作物であり、正しい作者や出典を同時に本文へ記載することができないので、このような形となっております。
参考に、現代語訳などをご紹介。
コトリが詠んだクレナの詩歌とするものは、こちら。
●額田王(ぬかたのおおきみ)の歌
あかねさす 紫野(むらさきの)ゆき 漂野(しめの)ゆき 野守(のもり)は見ずや 君が袖(そで)振る
(現代語訳)
御料地の番人が見ないかしら。
あなたが私に袖を振って、恋心を露わにしているのを。
カケルが詠んだとソラの詩歌とするものは、こちら。
●大海人皇子(おおあまのおうじ)の返し歌
紫草(むらさき)の にほえる妹(いも)を 憎くあらば 人妻ゆえに われ恋ひめやも
(現代語訳)
紫草のように美しいあなた。
あなたが人妻であっても、私はまだあなたに恋をしているのです。
額田王は以前大海人皇子と子をなす程の仲だったのですが、別の方と恋仲になります。そして、現恋人である天智天皇の前にも関わらず、余興で詠んだ詩らしいです。元恋人のお兄さんと付き合う額田王。さらには、こんな詩を冗談的な感じで詠むなんて、なかなかに凄い人です。
この辺りの事情と訳は、こちらのサイトから引用させていただきました。ご興味がある方は、ぜひ覗いてみてください。
https://manapedia.jp/m/text/2071
最後に、天磐盾の元ネタはこちらです。日本書紀にも出てくる場所ですね。
https://www.wakayama-kanko.or.jp/marutabi/kikinotabi/map/s-kamikura.html
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