第170話 一歩前へ

 マツリは、サヨの王妃としての出で立ちに目を細めていた。とにかく、美しい。高位貴族の三女として、以前からも麗しい女子であったが、今は内から発せられる気品と自信、輝きで、マツリの目は潰れてしまいそうだ。


 一方で、胸にじわりと悪しき病が広がっていくかのような、制御のきかぬやるせなさに打ち飲めされている。


「いくら元王妃の弔いとは言え、わざわざ、あなたのようなお方が我が屋敷にお越しになるなんて。噂好きで、口さがない貴族連中が、邪推するかもしれません。不用意に、よからぬ隙は作らぬ方がよろしいかと存じます」


 素直に、忙しい間を縫っての弔問に感謝を述べればいいものを。気づけば、口をついて出てきたのは嫌味の応酬である。


 実際、元々サヨはマツリと婚約者的関係にあったのに、いつの間にか紫のミズキと夫婦の契を交わしていたという話は、傍目からすると不思議なこととなる。事情の知らぬ者からすれば、ミズキとは政略的な婚姻であり、未だにサヨがマツリへ未練があって、関係してるとも取られかれぬ事態だ。早速、王夫婦仲を疑われた挙句、王の甲斐性の無さが取り沙汰されて、妙な揚げ足取りに発展するのもつまらない。


 しかも新国、紫は建ったばかり。そして、王、ミズキは元庶民だ。これが意味するところ。それすなわち、動乱の今ならば、誰しもが王の玉座を狙える機会とも取られかねないのである。


 幸い、ザクロやサトリがあらゆる伝手と金、策略をもって貴族達を押さえにかかっているので、良からぬことを考える者は今のところ見当たらない。だが、政局の潮目、革命が起きるのは、いつも突然のことである。この先、いつ貴族達が取り上げられた既得権益の奪還を求めて反旗を翻すか、分かったものではない。


 サヨ夫婦も、緊張の糸を途切らせることは、当分叶わないことであろう。


 しかし、そんなこと、サヨとて分かった上でマツリの屋敷を訪れているのである。


「ですが王は、このままマツリ様との間で、未だにわだかまりがあるのでは、今後別の火種になりかねないと考えておいでですわ。それに、私達は元々、何もありませんでしたでしょう? ですから、それを改めて確認しに参りましたの」


 サヨは涼しい顔で語る。マツリは、喉に言葉が詰まったかのように、何も言えなくなってしまった。


 先だってミズキから紫の布を託された際、正式にサヨが彼のものになったことを理解し、それを受け入れた。けれどサヨだけは、未だに幾ばくかは心の中でマツリの居場所を作ってくれていると思っていたのに。全ては、願望がなす妄想だったのだと知るのである。


 落胆した顔を見せても、サヨは弔事故のものだという認識らしく、マツリの本音には完全に素知らぬ顔。けれど、ここまで潔くフラれてしまっては、むしろ清々しくすらある。そして、ある種の優しさをサヨから感じるのだ。


 以前は、王族であるマツリに対し、おどおどとした話し方しかできなかった娘だが、今は女にしておくのが勿体ない程に凛々しくさえある。けれど、最後の最後で、ボロを出してしまうのが、サヨの良いところであり、悪いところだ。


「私、敢えて詫びなどはいたしません。きっと父は、王家から離れて一役人となるマツリ様に、新たなる縁談などを持ってくることでしょう。しかし、心沿わぬお相手ならば、私の力を持って排除いたしますから」

「いえ、私のような薬にも毒にもならぬ、中途半端な者に嫁いでくれるような奇特な方はそういらっしゃらないはず。もし、そんな機会がありましたら、受け入れるのみです」

「ですが、私が人を想う意味を知ったのは、琴姫コトリ様、そして……」


 さすがに、その続きを言わせてはならない。マツリは、慌てて咳払いすると、何も聞こえないフリをした。もう、十分だった。何も届いていないと思っていた一方通行の何かは、実は届いていたということ。それが知れただけで、大きな収穫である。その上で、あのミズキにとられたのならば、今度こそ踏ん切りが尽きそうだと思うのだ。


「何はともあれ、両親を亡くし、ただの武人になった私は身軽だ。対帝国のクレナ陣営の指揮は、大船に乗ったつもりで任せてほしい。ソラのカツ様や神具師集団の面々との、良き連携も約束する」

「ありがとう存じます。今後も、良き仲間であれることを祈っておりますわ」


 その後、マツリはミズキと意気投合して軍議をする様子を貴族達に見せつけ、時に元クレナの兵士の調練で鬼と化して、あらゆる悪しき噂を否定してみせた。そして、生涯紫国に忠誠を誓いつつ、独身を貫くこととなる。



 ◇



 マツリの屋敷を出たサヨは、すぐさまコトリの行方を把握した。未だに侍女であった頃の癖が抜けないらしい。特に用もないのだが、無性にコトリの顔が見たくなって、馬車を鳴紡殿近くの紫が管轄する屋敷へ馬車を走らせることとなる。しかし、やはりと言おうか。そこには、カケルの姿もあるのであった。


「素晴らしい演奏だった。辺りが完全に澄み渡っている」


 彼もまだコトリの元に着いたばかりらしく、卓の上の茶はほとんど減っていない。サヨは、コトリを奪った彼を若干目障りだと思いつつ、彼女も美しいシェンシャンの音色が聞こえていたと頷く。コトリは、二人を前に楽師団の新曲の話を語って聞かせ、琴姫としての戦い方が見えてきたと嬉しそうにした。


 そうして、話が一区切りした時、カケルは侍従の一人に合図を送り、おもむろに一つの木箱を運ばせてくる。


「これは以前、ユカリ様が正妃様から預かったものだそうです」

「もしかして、私達に?」


 サヨが尋ねると、そうだと言う風に蓋を開け、コトリとサヨの前へ差し出してみせた。二人とも、それぞれに驚いた様子で中を覗き込んでいる。


 カケルは、先程まで共にいた、死に損ねた正妃との会話を思い出していた。


「なぜ助けた? なぜ死なせてくれなかった? 私には、死ぬ権利すらないというのか?」


 それはそれは、凄まじい怒りだった。けれど、アヤネとの記憶を引き継ぐ者が必要だと話すと、そんな勢いも萎んでしまう。やはり、コトリにアヤネのことを語らずに逝くのは心残りだったらしい。


「あの子は……」


 アヤネのことは、本当に友だと思っていたらしい。語りの雰囲気が常とまるで違っていて、カケルには別人のように思えた。


「確か、元々ソラのものを扱う商店で働いていたのよ。出入りのソラの職人と恋仲になってね。でも、国を行き来する人だから、そう滅多にも会えないし。それでも、いつか一緒になるって約束していたらしいのだけれど」


 しかしアヤネは、たまたま王の目に留まって妃として召し上げられてしまう。それも、異例中の異例、五番目の妃としてだ。当時、既に三人の男子と一人の女子の子どもがおり、後継者に困っていたわけでもないというのに。ただの気の迷いで一人の女の人生を歪めるなど、アヤネ本人も王に対しては怒りを通り越した恨みすら抱いていたという。


「でも、さすがは庶民。逞しいのよ。せめて、自分の子には自由に恋愛させてあげたい。王宮の外の暮らしも教えてあげたいって。もっと大きくなれば、衛士の目を盗んで、二人で王宮を抜けるんだって計画までしていたわ。その時は、私のことも誘ってくれるとまで言ってくれて」


 離すアヤネの目からは、絶え間なく涙が流れていた。人目も憚らず、ここまで感情を露わにするなんて。かつての彼女では、考えられないこと。それ程に大切な思い出、大切な人物であったのだろうと、カケルは理解するのである。そして、やはり、まだ死なせてはいけない人だと確信するのだ。


 アヤネは、クジャクの計らいで、紫が所有する別の屋敷へ移すことになった。幸い、高貴な彼女の顔はいつも被り布で覆われていたので、知っている人などほぼいない。しばらくは、紫と懇意にしている、どこかの貴族の奥方を装って暮らさせることになっている。


「これは、楽師団首席の証ですね。一時、他の者の手に渡っていたようですが、取り返してくださったようです」


 コトリは、二つある中身のうち、一つを手に取った。これは、春の園遊会の日に得た大切なもの。衣の胸元にしまっていたはずが、帝国の者に連れ去られた時には無くなっていたので、どこかで奪われたか、落としたのだと半ば諦めていたのだ。


「見つかってよかったですね」


 サヨは、コトリの笑顔を見て嬉しそうにする。


「では、こちらは?」


 一つがコトリのものならば、もう一つは自分に宛てたものだろうか、と推察しているのである。


「ユカリ様によると、クレナ王家の妃に代々伝わっている特別な鏡だそうですよ」


 カケルは、円形をした鏡を手にとると、その側面の淵に刻まれた古語をコトリとサヨに見えるようにした。


「ここに、文字があるのが見えますか?」

「はい」

「そして、首席の証の側面にも、同じように文字が刻まれています」


 コトリは、手の中にある証を横にして、確認した。


「本当だわ」

「この二つの文は、実は繋がっていて、クレナ王家秘伝の詩歌となるそうです」


 というのは、カケルが正妃から聞き出した話だ。


「実は、ソラにも同じように王家に伝わる詩歌がありまして、国の礎の石と深い関係があります。あの石は大きく、岩と言っても差し支えありません」


 ここまでくると、コトリもカケルが言わんとすることが分かったらしい。かつては一つだったニ国の礎の石。その名こそが、「あまのいわたて」にちがいない。


「つまり、クレナとソラ、二国の詩歌があれば、ルリ神の願いを叶えられるかもしれないということですね!」

「はい。おそらくは、神がかった事が起きることになります。詩歌を詠む場所は、選んだ方が良いでしょう」


 そしてコトリは、早速社総本山へ向かう支度をするのである。


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