第154話 救出
ラピスの手引で、城の下働き達が使っている通用口をくぐる。クレナやソラと比べ物にならない程大きな城だ。出入りする者もかなり多く、誰も異国の二人を見咎めて何か言ってきたりはしない。
ラピスは、慣れた様子でずんずんと城の裏口を目指し、二つ目の城壁を超えた辺りで傾きかけた蔵の中に滑り込んだ。そして、彼の知る限りのコトリの現状を話し始めたのである。
「そんな……酷い」
イチカは、口元を手で覆い、眉をひそめた。くぐもった声からは、彼女の怒りと戸惑いが伝わってくる。
カケルは、何も言葉は発さなかった。ただ、静かに怒っていた。ラピスも、ここまで振り切れた師を見るのは初めてだったらしく、たじたじになっている。
「えっと、そ、そんなわけだから、親方はコトリ様のところへ案内する。で、イチカさんは脱出する時の退路確保のためにも、ここで周囲の状況を見張っててほしい」
「分かったよ。じゃ、早く行ってきな!」
ラピスはイチカに大きく頷き返すと、カケルを仰ぎ見る。カケルは、視線だけで人を殺せそうな空気を纏っていたが、隠密の神具を発動させた。すぐに、彼の気配は薄くなる。
蔵を出ると、先程まで晴れていた空がすっかり曇っていた。遠くの方で雷が落ちたかのような轟も聞こえる。
「一雨来そうだね」
イチカは、駆けていった二人の背中を、祈るような気持ちで見送った。
◇
コトリは、石造りの壁に空いた小さな窓から、外をぼんやりと眺めていた。黒い雲が押し寄せてきて、雨がしとしと降っている。遠くの山脈は、もう白く霞んで見えなくなっていた。湿度はかなり高く、生温い風が頬を撫でる。
「嵐が来るのかしら」
独り言が多くなった。誰とも話さない日々が続いている。
三方が石、残りの一方は頑丈な金属の柵という部屋。寝台と机と椅子。排泄のための箱がある場所だけは、布が垂らされていて、柵側からは見えないようになっている。窓は一つ。そこにも格子がある。そんな大きな鳥籠に入れられて、既に七日が経っていた。
そこがクレナではないと気づいたのは、随分前のことだ。地面が揺れていた。すぐに獣臭さが鼻をかすめて、起き上がると見知らぬ異国の男が見下ろしていた。帝国の馬車の中だったのだ。
棺桶のような荷箱から這い出し、初めて見る果物と水を与えられる。話しかけても、返ってくる言葉は知らないもので、会話にならない。
馬車はいくつもの街に立ち寄ったが、夜を越すのはいつも真っ暗な森か野原。どこへ向かっているのかも分からず、ただただ思考を殺し続けた。
なぜ? 何? どこ? 何のために? 誰が?
そういったことと向き合うと、もはや自分が生きているのか死んでいるのかさえ分からなくなる。
けれど、どうしてか見慣れた紫陽花柄の入ったシェンシャンが傍らにあって、そこだけが現実味のある景色を作っているのだ。
途中、偉そうな若い男に、本当にクレナの姫なのかとコトリの分かる言葉で尋ねられたが、想像していたような尋問には至らなかった。囚人のような扱いを受けているので、覚悟していたというのに。
帝国へ向かっているのだろうことは理解していても、未来が全く見えやしない。こうも気が晴れないのであればシェンシャンを奏でればいいのかもしれないが、そんな気にも全くなれなかった。生まれて初めてのことだ。
コトリは、肌にまとわりつくベトついた空気と、頬に張り付く紅い髪を振り解くように、首を何度か左右に振る。
もう、絶望していた。
初めこそは、誰か助けに来てくれるのではないかと期待していたが、随分と遠くに来てしまったことが体感として分かってしまっている。
このまま皇帝の妃にされてしまうのだろうか。それにしては、この待遇はお粗末すぎやしないか。そもそも、妃とは名ばかりで、やはり人質としての扱いなのだろうか。これに耐えさえすれば、せめてクレナとソラは戦火に巻き込まれずに済むのだろうか。
胸元を探ると、赤い石が出てくる。それを握っている時だけは、少しだけ冷静でいられた。
「何、見る、か?」
柵の向こうに立っている見張りが声をかけてきた。クレナの言葉を話すものの、片言だ。
「街が見えます。そして、この国の人々。クレナよりも栄えています」
やはり、こんな拉致、こんな待遇を受け入れて、クレナが帝国に下れば、クレナもこれぐらいには栄えることができるのだろうか。コトリは、そう思うと、きゅっと腹が痛くなるのを感じた。
「窓、ある牢、よかった」
表情から察するに、見張りはコトリに同情的なようだ。食事を運んでくる他の男は無愛想を通り越した冷たさなので、かなり対称的なのである。
「地下、牢、昔、地面ほる、逃げた。だから、城、高いとこ、牢」
「私は地下であっても逃げないわ。もうどこにいても逃げられないのよ」
王宮も、王のお膝元で窮屈だった。鳴紡殿も、いろいろと思い出すに、ハナという王の手先がいたということになる。そして今は敵地。まだ、自由に羽ばたける場所を知らないのだ。
コトリは、窓の格子に手をやった。もう雨が降り出してきたらしい。指に水滴が絡みついてくる。
「でも、このシェンシャンだけでも手元に残って良かったわ。今後私が何者に何をされようと、私が上に守られしクレナ国の姫であり、奏者であり、変わらずあの方を想っていることを忘れずにいられるのだもの」
そう言った瞬間、大きな音がした。コトリは驚いて振り返る。先ほどまで会話していた男が床に倒れ込んでいた。
そして――――。
「え」
コトリは、目を疑った。何度も瞬きをする。目元を擦る。とにかく、現実離れしていたのだ。
まさか、こんなところで会えるなんて。
「ソウ様?」
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