第142話 ハナの復讐

 嫁入り前の娘が見るも無残な姿になるなど、それだけでも非常事態。さらに、早速その惨状を見られたとあっては、どこの誰に漏れてどんな噂をされるか分かったものではない。仲間であった楽師達をそのまま野放しにすることなど、できようもなかったのだ。


 ハナ自身も、見られたという羞恥、そして怒りで気が狂い始めている。侍女と目配せして共に茨の道を歩むことを確かめ合うと、怯えて動けない楽師達に無理やり神具を使わせて、同じ苦しみを与えたのであった。


 唯一無傷で済んだ侍女は、すぐに部屋の荷物をまとめ、女達には頭から豪華な衣を被せると、馬車に乗って外へ出る。門を守る衛士には、園遊会を無事に終えたので、羽を伸ばすためにお忍びで歓楽街へ行くのだと告げ、堂々と鳴紡殿を後にした。


 その後は信頼のおける者をかき集めて、女達を馬車に乗せ、都のはずれにある、あばら家のような屋敷へ直行。まさかこんな所に人が住んでいるとは思えないだろう場所だ。


 ところが、コトリを捜索し、ハナの行方を追う兵の足音がすぐに近づいてくる。危険を察知した侍女は、最終手段として王宮へ逃げ込むことにした。もちろん、楽師や貴族としての身分に相応しい入り方はできない。顔を晒すわけにはいかないからだ。


 慌てて下働きのような格好に着替えると、またもや女達を連れて馬車を走らせる。今度は、辺境から園遊会に招かれていた踊り子達が、不慮の事故で遅れて到着したという体を取り、ひとまず無理やり敷地内へ上がりこむ。そして、王へ助けを求めたのだった。


 しかし、そんな最後の頼みの綱でさえ、けんもほろろな扱いを受けることになる。王から届いた返事には、こうあった。


「ハナという楽師の名は聞いたことがあるが、よく知らぬ。住む場所を失ったのならば、園遊会の労をねぎらうとして、地下壕ならば使用を許可する」


 地下壕。それは、王宮の敷地の北西の端に存在する。今は誰も近寄らぬ井戸の隣に、下り階段の入り口があるのだ。ここは、先日コトリ達のシェンシャンが一時保管されていた場所でもある。


 確かにここならば、人が潜んでいても、なかなか見つかることはないだろう。ただ、地上からの光はほぼ入らない暗がり。罪人を放り込んでおく牢屋の方がマシかもしれない環境の悪さだ。


 けれど、今更王宮を出て、別の隠れ家を探す余裕は無い。何より、ハナの状態が不味かった。急ぎ、実家にあった癒やしの神具と呼ばれるものを取り寄せ、使ってみても、ハナは病に侵されたように苦しんでいる。もちほん他の女達も、ハナ程ではないが、放っておけば死んでしまいそうな有り体だ。


 そこで侍女はシェンシャンを手に取り、昔から怪我や病気の治癒に効くと言われている曲を、下手くそながら奏でてみる。すると、彼女の祈りに神が応えてくれたのか、瀕死の女達が幾分回復を始めたのだ。


 中でもハナは、自らも血涙を流しながら必死に奏で始めたことで、見目は相変わらずだが、随分と人心地がつけるようになったのである。


「ハナ様、悲観なさらないでください。このように、治癒の奇跡まで引き起こせるような弾き手は、貴方様しかいらっしゃいません。遠からず完治し、再起することができるはずです」


 侍女は励まそうとするが、ハナは小さく首を振る。彼女は目でこそ神気を見ることはできないが、長年の経験で、その流れや働きを肌で感じることはできる。治癒の奏では、体の内面を死なない程度に復活させることはできても、外面的なものを修復するような働きは、どう考えても起きていないようなのだ。


 そこへ、何者かの気配が近づいてきた。地下壕は一度隠れると、もうそれ以上の逃げ場はない。もはや、死あるのみかと、女達が覚悟を決めたその瞬間。やや切羽詰まった少女の声が、地下空間によく響いた。


「ハナ様、いらっしゃいますか? カヤです」


 カヤは、目を覆いたくなるような姿になってしまった女達を前に、息を呑む。すぐに、かける言葉を見つけることができなかったのだ。


「見たわね」


 ハナが、地の底から這い出た巨人のような凄みで言う。カヤは、こわごわと頷いた。


「ご実家、石楠花殿の方から話を伺って、この場所を教えてもらいました。実は、火傷に効くという薬を持ってきたのです」

「それは、ご苦労様」


 ハナは、カヤの実家が薬師の系統であったことを思い出し、さっと態度を改める。


「癒やしと言えば、神具か奏でというのが我が国の相場ですが、薬も捨てたものではありません。実家にあったとっておきですから、必ずやハナ様のお役に立つはずです」


 カヤはそう言いながら、風呂敷を解いて薬箱を取り出した。


 クレナでも、庶民はもっぱら薬派だ。しかし貴族は、ソラ産の癒やしの神具か、シェンシャンの奏でを持って治癒を試みる。カヤは、もしかしたらハナは薬を自身に使うのは初めてかもしれないと思いつつ、分量を計った粉薬を紙の上に置き、隣に白湯を並べた。


 ハナは、それに食らいつく勢いで手を伸ばす。


「ハナ様。元通りになれば、あの姫をぎゃふんと言わせましょう!」


 正直言って、悲惨なばかりの火傷は、薬があっても元通りにはならないだろう。もしかしたら、良い神具を使ったとしても無理かもしれない。カヤは薄々そう思いながらも、ひとまずハナの機嫌をとりたくて、励ましの言葉を囁くのである。


 ハナは、薬の苦さに顔をしかめながらも、白湯まで全て飲み干した。


「ねぇ、カヤ」

「はい、ハナ様」


 ハナは、湯呑を見つめてはいるが、目には何も映っていないかのように濁っている。


「本当に、そんなことができると思っているの?」

「えっと」


 ここで、すぐに何か気の利いたことが言えたら良いのだが、カヤにそこまでの器量はない。


「あの子はもう帝国へ行ったわ。どの道、私なんて手が届かないような、華やかな舞台へ」


 ハナにとって帝国行きは、この上なく幸せなことだと考えている。元々クレナ王贔屓の実家は帝国文化にかぶれていて、ハナは幼少期より憧れを募らせていた。いつか行ってみたい。けれど、叶わない夢。


 なのに、あのコトリは夢の大国の地を踏むことを拒んでいるという。そもそも、そこから理解し難いのだ。何より、あの皇帝の妃になれるというのに。女として、これ以上の栄誉があろうか、とハナは苛立って仕方がない。


「では、せめて、ハナ様をここまで追い込んだ菖蒲殿や紫を潰しましょう。私は、決して彼らを許しはいたしません」


 拳を握って力説するカヤ。ハナは、一瞬久方ぶりに自然な笑みを浮かべたが、すぐ自嘲気味に肩を落とす。


「馬鹿じゃないの? 本当にそんなことができると思って?」


 もはや紫は、都の内外だけでなく、王宮の奥深くにまでその触手を伸ばし、あらゆる所に不穏分子の種を植え付けては、味方へ取り込んでいる様子。もう、王の完全な配下は石楠花殿ぐらいのものだ。もはや、滅ぼされるのを待つばかりである。


 カヤは悔しげに唇を歪ませていたが、何かを思いついたらしい。ハナへ詰め寄って、その変わり果てた手を、そっと握った。


「諦めるのは早いですよ、ハナ様。まだできることがあります。私達は、楽師なのですから」


 カヤは、運んできた荷物の中から、紙と筆を出してきた。


「まずは、作曲からです。恨み、辛みを旋律に乗せて、都の空へ響かせましょう。私達と同じ苦しみを、皆へ味合わせてやるのです」


 今や、ハナ達も自らの体を犠牲にして、神気を見る神具が使えるようになっている。そして、神気というものは、使いようによっては、悪しきことにも応用することが可能なのだ。


 その数日後から、都では正体不明の病が流行ることとなる。シェンシャンや神を理解しようとしない王へ下された、天罰だというのが専らの噂だが、その正体はずっと先まで明かされる事がなかった。


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