第139話 サヨの怒り

 ゆっくりと意識が浮上していく。サヨが目を開けると、そこはよく知らない部屋だった。しかし、開け放たれた戸の向こうにある庭を見て、今の居場所を知る。丁寧に整えられた砂地と、草木、池。ここは、菖蒲殿だ。

 ヨロズ屋で倒れたことは、薄っすらと覚えている。誰かがここへ運んでくれたのだろう。


 寝台から体を起こすと、幼い頃からサヨの世話をしている侍女が、パタパタと駆けよってきた。


「姫空木殿から書簡が届いております」


 体調を訪ねるよりも先に、いきなり用件を切り出す侍女は、サヨの事をよく理解している。きっと、倒れていた空白の期間の事を気にしているだろうことを察しているのだ。


 サヨは礼を言いながら、早速紐を解いて内容を検めた。


「やはり、あの人は王の手先だったのね」


 正妃からの情報に目を走らせる。茶会と称して王を呼び出したところ、コトリは帝国の使者と共に都を出たことが分かったと書かれてあった。その間、王の部屋を捜索すると、ハナへの勅書が出てきたらしい。もちろん、コトリを拉致するよう指示する内容だ。


 そこで、ハナの実家、石楠花(しゃくなげ)殿の屋敷の周囲を兵で取り囲み、姫を害しようと手引きした罪で、当主を捕えたとある。しかし、実行犯であるハナ自身は行方不明で、都中の衛士が血眼になって探しているらしい。正妃は、ハナならばコトリの行先を知っていると踏んでいるようだ。


「本当に、そうかしら」


 サヨは、寝起きの頭を奮い立たせる。ハナは、確かに王の配下だろうが、帝国側の事情にそこまで精通しているとは思えなかった。帝国が、一楽師であるハナをそこまで重要視しているとは考えられない上、彼女がそんな事を知る必要性はどこにもない。せいぜいコトリを消して、新たな首席として楽師団に君臨することを目論むぐらいだろう。


 しかしそれも、ハナ自身が鳴紡殿から消えたことから、実現しないと思われる。おそらく、コトリの失踪と無関係だと白を切ることができない事情があったか、何者かに命を狙われているかの、どちらかにちがいない。


 だが、明らかに情報が足りないので、現時点では何も断定できなかった。

 そして、実質的にハナが楽師を降りたと同様、サヨも楽師の身分でいる意味を失くしてしまった。


「鳴紡殿へ行きます」


 侍女に短く告げた。



 ◇



「分かりました。受理しましょう」


 サヨは、鳴紡殿の大広間でアオイと相対していた。アオイは、ハナとコトリが不在の今、暫定的に首席として振舞っている。楽師団団長である正妃から、そういったお達しがあったらしい。


 アオイは、サヨから受け取った退団届を見つめていた。サヨから聞いた様々な事情や、現状を反芻しつつ、厳しい眼差しとなっている。


「本当に残念ですが、今は有事。致し方のないことでしょう」


 今の楽師団は、ハナ派の楽師がいなくなって、人数を半分にまで減らしている。さらにサヨまで抜けるとなれば、今年の秋までに奉奏ができる人材を十分に確保して育成できるか、怪しいところだ。しかし今は、そんな事を言っていられない事態なのは、アオイも分かっているのである。


「王立楽師団は、琴姫、コトリ様の味方です。紫のような大きな力のある組織ではありませんが、私達は私達のやり方で、共に戦ってまいりますね」


 サヨは、ここまでの言葉を引き出せるとは思っておらず、胸がいっぱいになった。きっと、コトリが在団中に築いてきあげてきた信頼関係が実を結んだのだろう。ずっと主を支え続けてきた者としては、楽しかった楽師団での日々が思い返されて、少し泣きそうになる。緊張感がありながらも、充実した平穏な日々。あれを取り戻したい。また、コトリと共に生きていきたい。そう強く願わずにはいられないのだ。


「アオイ様、ありがとうございます」

「良いのです。琴姫なくして、悪しき者達から国民を守る事はなしえませんから。それより、サヨ様は今後どうなさるおつもりで?」

「もちろん、姫様の後を追います」


 ヨロズ屋では、カケル王から力強い言葉をもらった。きっとあれに嘘偽りは無いだろう。しかし、彼に任せておける程、サヨはカケルのことを信頼しきってはいない。また、今回のことは完全に自分の失態だ。ならば、自分の手でコトリを取り戻したい。


「でも、心当たりはありまして?」


 アオイは、心配そうにサヨを見つめている。


「まだ確証は得ておりませんが」


 そうは言ったものの、実際はコトリの行方など全く分かっていなかった。クレナ貴族の娘ではあるが、他国に関する教養は深くない。知っているのは、大雑把な地理関係ぐらいのもの。そして、帝国にはクレナやソラにあるような、身の回りの神を尊ぶ宗教は存在しないということぐらいだ。


 サヨは、楽師達に見送られながら、鳴紡殿の門前で馬車に乗り込む。しばらく走らせると、いつものように手を数度叩いた。


「出てきなさい」


 すると、先程まで誰もいなかった向かいの席に、黒装束の人間が現れる。彼は、サヨの護衛であり、彼女の配下でもあった。


「ねぇ、あなたは知っていたの?」

「何についてでございましょうか?」


 黒装束は、少し声を震わせて返答する。


「知らばっくれないで。カケル王のことよ」

「薄々は察しておりましたが……」

「なぜ報告しなかったの? どんな細かな事でも伝えるよう言ってあったはずでしょ?」


 サヨの怒りは凄まじい。黒装束は、その場にしゃがみこんで、揺れる馬車の床に頭を擦り付けた。まさかカケルの護衛達から、サヨやコトリには正体を内密にしてほしいと頼み込まれていたなんて、口が裂けても言えそうにない。主よりも、ソラ王の権威に負けてしまったなんて、本来あってはならないことなのだ。


「そう委縮されても、あなたの罪は消えないわよ」


 サヨは、さらに責め立てようとしたが、やめた。今はそれどころではない。何とか気を取り直すことにする。


「さて、新たな情報が入っていれば教えてちょうだい」

「はい。先ほど紫のハト様から入った連絡によりますと、カヤという楽師が逃亡したそうです」

「なんですって? 見張りは何をしていたの?」


 黒装束によると、カヤは厠へ向かうと言った直後に姿を消していた。杏子殿にも捜索の手が伸びたが、発見できず。今は、人相書きを用意して、包囲網を張っているところらしい。


「だいたい、姫様についていた護衛も何をしていたのよ?」


 サヨの怒気は再び膨れ上がる。黒装束はもはやたじたじで、声も小さくなっていた。


「おそらく帝国の手の者と思しき手勢と応戦していたところ、姫を見失ったとの報告があがっています」

「それでも、誰か一人ぐらい姫様についていることはできたはずでしょう?」

「サヨ様、申し訳ございません。帝国の者は特殊な金属の剣を使う猛者揃いで、簡単に始末することはできませんでした。さらには、現在多数の案件を抱えているが故に、完全に人手が足りておりません」


 サヨは、唇を噛みしめることしかできない。確かに、配下には多くの指示を飛ばしている。護衛や諜報だけではない。王を含め、紫から問題視されている一部の貴族の監視、帝国関連の調査など、幅広い。けれど、そのために肝心のコトリの周辺が手薄になっていたなんて、身を切るような辛さが募っていく。


「もう、いい。もう、いいわ。姫様は私が一人で連れ戻す。あなたは、既に私が指示している任務を完璧に遂行なさい!」

「さすがに、それは」

「私の命令が聞けないというの? 既に失敗や裏切りを繰り返しているあなたから、指図を受けるいわれはありません!」


 ここまで言われると、黒装束も一旦身を引くしかない。サヨは、これで気配察知が上手い方だ。こっそり護衛しても、すぐに気づかれてしまう。黒装束は、しばらくして主の怒りがおさまった頃を見計らい、再び護衛につくことを決心すると、煙のように姿を消した。


 そして馬車は、御者とサヨの二人になる。


 馬車は、サヨの指示通り、都を出て、街道を西へと向かっていった。そろそろ夕暮れ時。ちょうど行き当たった村の入り口近くでは、人々が集まる掘立小屋が見えた。地元の酒場兼食堂のようである。


「こんな時でも、お腹は空くのね」


 サヨは、御者の老人に小銭を持たせると、何か食べる物を買いに行かせた。自身も外へ出て、思いきり伸びをする。慣れているとは言え、座りっぱなしの旅は身体に堪えるものがある。


 そこへ、忍び寄る影があった。

 サヨは背中が急にざわついて、慌てて後を振り返る。


「あなた、もしかして……」


 声は、そこで途切れた。クレナやソラで一般的な衣を纏ってはいるものの、髪の色は金。そんな一風変わった格好の青年は、満足そうに頷いていた。


「君が殺されそうとなれば、コトリ様も大人しく嫁いでくれると思うんだよね」


 それから四半刻後。貴族の娘に与えるに十分贅沢な食糧を買い求めた御者が、ようやく戻ってきた。


 馬車の中は、空だった。



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