第127話 作曲と欲しいもの
コトリ達が迎え入れたのは、アオイだった。年が明けてからというもの、頻繁にこの部屋を訪れている。というのも、春の園遊会に向けて、アオイがとある提案をしていたためだった。
「少し調整してみたわ。どうかしら?」
アオイが、卓の上に並べたのはシェンシャンの譜面である。コトリは興味津々で、サヨは検分するかのように、じっとそれを見つめる。
「素敵だわ。ハナ様達に負けないために、新たな曲を自分達で書き起こすと聞いたときはびっくりしたけれど、これは想像以上でした」
「ありがとう。見ての通り、いつも楽師団でやっているように、一つの旋律を全員が奏でるのではなく、いくつかの旋律を分担して、和音を聞かせるような楽曲よ」
アオイは生き生きとして語る。コトリの傘下に入ることとなってからは、言葉を交わす機会が増え、より親しくなってきたところだ。
「クレナでは、なかなか聞くことのできない音楽ね。それでいて、とても親しみやく楽しい雰囲気」
コトリは、頭の中で譜面の音を再現し、それに耳を傾けて、曲の出来栄えを想像しながら感想を述べる。これは、シェンシャンの玄人だからこそできる事だ。
「えぇ、以前、カナデ様がイチカ様と演奏されてた時の音色を思い出して、参考にしたの」
あの時、イチカから影響を受けたのはコトリだけではなかったようだ。アオイもまた、シェンシャンや、音楽といったものを極め、さらなる高みに挑戦し続ける奏者。やはり、良いと思うもの、新しいものには、感化されやすいのである。
「なるほど。確かに美しい旋律のようですけど、少し帝国の色が強すぎる気もします」
サヨは、早速自身のシェンシャンで試し弾きをしていた。ポロポロと流れる音の運びは、いざ耳にしてみると、クレナ生まれの者にとってはやや耳に触るところもあるかもしれない。けれど、独特の節回しと拍子は、この曲の美点でもある。コトリは、軽く握った拳を口元に当てて考え込んだ。
「そうね。園遊会にいらっしゃるのはクレナの王族と貴族。あまりに耳慣れない物であれば、反感を受けるかもしれませんし、あまり突飛なことはできないわ。だけど」
「目新しさもほしい」
サヨがコトリの言葉を引き継いだ。すると、アオイがはっとした様子で息を呑む。
「であれば、クレナ音楽伝統の旋律を主たる部分で使いましょう。そのまま活用することで、正統さも演出できるかもしれません」
「それは良い考えだわ。クレナらしさを追求しつつ、新しい風も吹かせることができれば」
サヨはアオイに同意しつつ考える。この曲は、これからのクレナを示唆するものになるのではないかと。
クレナとソラ。閉鎖的なこの二国は、同じ大陸の他国とは全く異なる文化を育んできた。その代表がシェンシャンの奏で。神具。そして、あらゆる物に神が宿り、祖先も神となり、現世の人々を守っていると考える信仰の在り方。それら全てを大切にし、国民の誇りや生き方そのものになっている。
けれど、今、帝国の足音は高らかに聞こえ始めた。もはや、それらを無視し続けることは叶わない。いずれ、新たな文化、文明と何らかの形で融和せねばならぬ時代が来る。そんな過渡期を生きるコトリ、サヨ、アオイ達。
「この曲は、私達の今後、命運を賭けたもの。単なる首席争いのためではなく、胸を張ってこれからを生きていくための、門出の奏でにしなくては」
コトリの声は力強い。アオイとサヨの目には、覚悟の火が灯った。
「まずは、この辺り」
コトリが譜面を指差すと、サヨが筆を持ってきた。アオイはシェンシャンを鳴らしてみる。
そうして三人は、連日話し合いを重ねて、ようやく曲を書き上げた。そして、元々アオイの傘下だった者も合流し、コトリを筆頭とした合計十五名が、合奏の練習を開始。さらには、音楽の神の加護を得るために、ナギを見習って社通いも始めたのだった。
対するハナの派閥は十三名。人数だけでは、五分五分といったところだ。ハナ達の練習の様子は、墨色の御簾を隔てているので分からぬままだが、コトリ達と同じく、頻繁に集まっていることだけは確かである。
◇
ナギは、いつものように社へ参っていた。こうも毎日足繁く通っていると、顔見知りも増えてくる。
「あら、こんにちは」
参道を歩いてきたのは、巫女姿の女。
「ヤエ様。こんにちは」
ナギは朗らかに返事した。二人には、共通の知り合いとしてサヨがいるため、時折こうして立ち話をするのである。
「もうお参りは終わられて?」
「えぇ。ただ今日は……」
ナギは、一瞬口籠る。
「何かございました?」
ヤエが尋ねると、ナギは恐る恐る口を開いた。
「実は、ここのところ、社に参りますと、視界が少し霞むのです。あちらこちらに、様々な色の靄が立ち込めているようで。神聖な場所ですのに、こんな変な事、起こるわけがありませんよね。すみせん、聞かなかったことにしてください」
そう言って、ナギは去ろうとしたが、ヤエは駆け寄ってきた。
「それは、真にございますか? ナギ様、それは素晴らしい事ですよ!」
ヤエは、興奮気味である。
「おそらくそれは、神気です。琴姫、コトリ様も、神気が見えるそうなのですが、今おっしゃったようなものだとお話されてましたから」
「あれが……神気」
「えぇ。社はとりわけ神気が濃い場所なのです。ナギ様は奏者でいらっしゃいますし、御神体のシェンシャンに宿る神にも認められたのかもしれませんね」
ナギはかなり驚いた様子である。思わず、胸元にあった神気を見るための神具に手を当てて、深呼吸をすることになった。ヤエは、それを微笑ましく眺める。
「神のご加護が、これからもナギ様を守ってくれますように」
巫女らしく、続いて祓えの言葉を一通り述べると、未だに夢見心地のナギの後ろ姿を見送った。ヤエは、ほっと息を吐く。
神の加護が強くなっている理由は、何もこれだけではない。
香山の関近くでは、計画通り、新たな社の建設が始まっている。各地を荒らしまわっていた流民達が集められて、食糧や住居、さらには給料を与えられた上で労役にあたっていた。年越しには餅も配られた。ひもじい思いをせずに済んでいる流民達は、かなり協力的になっているようだ。
やはり、社という信仰の拠点を設けることは神からの評価も高いらしく、コトリのシェンシャンに降りているルリ神も喜んでいるとの情報も入っている。このお陰なのか、今年は雪も酷くなく、この時期に採れる果物類も豊作だ。
無事に社が完成すれば、さらに大きな恵みがもたらされるのは間違いない。携わる者としては、ふつふつと嬉しさがこみ上げてくるのだった。
新たな社の設計や人員配置は、スバルが指揮をとっている。貴族達の視察団もよく訪れているようで、その対応も彼が行っているため、社総本山は留守にしがちだ。ヤエは寂しいが、皆で社を建てるという大事業は、国中のあらゆる身分の者共の気持ちを一つに纏めるのに役立っている。そのような場で、尊敬する叔父が活躍しているのは、自分のことのように誇らしくなるのであった。
「マツリ様も紫のための兵を集めるのに成功しているみたいだし、本当に何もかもが順調ね」
マツリは、武の才能のある者を流民の中から見出して、新たな軍を作ろうとしている。
「後は、帝国」
ヤエは、遥か西の空を見遣る。
最近は紫の中でも、今ならば王を討てるのではないかという声が大きくなってきているが、今やそれは最終的な目的ではない。帝国という大国の異文化、別文明に飲み込まれ、自分達の民族の足跡や、受け継いできた志の火が絶えてしまわぬよう、最後まで足掻くことこそが求められている。
きっと帝国は、こんな小国など簡単に侵略して占領し、すぐさま自国の色に塗り替えられると思い込んでいるにちがいない。
「私達は諦めない」
ヤエも分かっている。帝国の支配下に入ることで、もしかすると、人々の暮らしは良くなる部分もあるかもしれない。そして、古きものが必ずしも正しく良き事とは限らない。
それでも、紫の大元となっている「人が人らしく慎ましい平和な暮らしができるように」という志の前では、帝国の独裁的な暴論など、精彩を欠いてしまうどころか、消し飛んでしまうのだ。
欲しいのは、強い武具でもなく、華やかな文化でもなく、最先端の技術でもない。戦の勝利でもなければ、珍しい金属や輝石、血塗られた屍の上に立つ名誉でも無い。
自分達の故郷と思える場所、所縁そのものを感じ続ける事で得られる安心であり、気の遠くなる程古くから伝わる教えの数々を守る誇りや、脈々と受け継がれてきた命そのものの温もりなのである。
それらは、一度絶えると二度と戻らない。歴史の海の藻屑となってしまう。それらを糧にしていた人々もまた、溺れて数多が死ぬだろう。
それだけは、阻止せねばならないのだ。
社に連なる者として生を受け、琴姫コトリに仕えた後、再び社の一員として生きるヤエ。やはり今は、自身の信じる神にただ手を合わせ、いずれ穏やかな世が訪れるよう、祈りを捧げるのみである。
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