第124話 王の思い込みと正妃の本心

 ようやく目が覚めたコトリが、サヨと正妃の侍女の助けを得て、帰り支度をしていた頃。王は、たくさんの衣を頭から被って蹲り、カタカタと震えていた。


 ここ、香山の関は都よりも山深い場所にあるため、よく冷える。宮の周りもすっかり雪景色で、遠くの山は空と同化してよく見えない。


 けれど、王の震えは寒さからくるものではなかった。部屋の四隅に置かれている火鉢は、パチパチと音を立てる炭が赤らんでいて、おそらくどの部屋よりも温かい。しかし彼は、いよいよ本物の恐怖を感じ始め、やり場のない焦りと悔しさ、怒りを弄んでいるのだった。


「悪い報せが入りました。王宮が、都の外から雪崩混んだ流民に占拠されたそうです」


 そう宣ったのは、正妃の侍女だ。おそらくこれは、嘘ではないだろう。正妃は決して自分の味方とは言えないが、致命的な妨害をしてきた事は無いのだから。


 そもそも、政は男がするものだ。女は奥で家を取り仕切り、子を産んで育てさえすればいいのだから、王の為すことに口出しするなんて許されるものではない。本人もある程度それを弁えているのか、自分の宮から出てくることは少ないようだ。


 なのに、違和感がある。なぜか今日ばかりは、自分がお手玉のように彼女の手の上で玩ばれているような気がしてならないのだ。


 いや、今日だけではない。

 最近、王宮全てがどこかおかしい。


 侍従、侍女だけではなかった。女官、王宮に詰めている文官、武官問わず、皆が、自分の元へ集まらなくなってしまった。媚へつらいを適当にあしらうのも面倒だが、ここのところ一人きりで過ごす時間が多すぎる。そして、いなくなった者と言えば、正妃の顔色の方ばかりを伺うようになってしまったのだ。


 一方、王には、とにかく波風を立てないようにと、取り繕った笑顔の仮面だけを貼り付けて、当たり障りの無い抽象的な事しか言いやしない。次第に、王宮が、この国が、どうなっているのかさえ分からなくなってしまった。


 これまで甘い汁を吸わせてきた一部の貴族共を呼び出して、僅かな利権や名誉、小銭を対価に裏仕事をさせてきたが、もう手数はほとんど無い。


 昨夜のソラ王襲撃は、クレナ王にとって、ある種の切り札とも言えたのだが、敢え無く返り討ちに遭い、もはや奇襲は通じることなどないだろう。


 これから、どうなるのだろうか。今夜、ソラ王は本当に自分の首を狙ってくるのだろうか。今も、王を守る配下は、天井裏や床下、宮の庭にも潜んでいるが、どれだけ役に立つことやら。


「私が、何をしたと言うのだ」


 王は頭を掻きむしる。被っていた布と冠が外れて、薄くなり、白み始めた髪があらわになる。それにも構わず、頭を抱え続けた。


「私は間違っていない。私は、この国を強くしたい。本来あるべき形にしようとしているだけだというのに」


 クレナ王は思う。ソラを手中に収めることは、きっと代々のクレナ王の悲願だったにちがいないと。それ故、自分の行いは皆に褒められこそすれ、今のような扱いを受ける覚えは全く無いのだ。


 かと言って、自らが指揮を取って軍を率い、都へ戻って王宮を取り戻すことなどできそうもない。


 幸い、正妃の侍女曰く、兵部省の者達が衛士を集めて制圧に動いているらしい。その数は少ないだろうが、都を荒らされたとなれば、他の貴族も黙って見てはいないはず。きっと私兵を動かしているにちがいない。自分は、ほとぼりが冷めるまで、ここで身を隠していればいい、と結論づけるのであった。


「まだ、死なぬぞ。ソラをとるまでは、絶対に」


 また一段と強い震えが王を襲う。


「私には、まだできることがあるのだから」


 最近、サトリ主導で、ここ香山の関近くに新たな社を建設する話が進んでいる。既に国中から人が大勢集まってきているようだ。


 立派な社ができれば、それを建てたクレナ王はますます民から尊敬され、崇められることになるとサトリは話す。建設には流民などの罪人も活用するとのこと。


 そしてマツリは、その中から兵士に向いた者を選び出し、新たな軍を作って国防に備えるという。クレナの兵力が乏しいなどとほざく故に許可したことだが、これらは対ソラ戦では使える駒となるにちがいない。


 そうだ。まだまだ息子達は、自らの支えになってくれている。ワタリは相変わらずの腰巾着で、目立った成果はあげてくれないが、いずれ二国統一後の泰平の世になれば、活躍の場も出てくるだろう。


 そうしてクレナ王は、徐々に元気を取り戻していった。しかし、気づいた時には他のクレナ王族は皆、何も言わずに都へ帰り、自らだけが置いていかれたことを知るのだった。



 ◇



「正妃様、全員出立いたしました」


 正妃の筆頭侍女は、走り出した馬車の横に自らの馬を寄せて、窓越しに報告する。彼女は、正妃が実家にいた頃からずっと付き従ってきた護衛も兼ねた女だ。コトリを事も無げに助けたことからも、かなり機転の効く者と言える。かなり重宝しているようだ。


「そうか、ご苦労だった。王の様子は?」


 普通は他人に聞かせてはならぬ話をしているが、正妃も気にした風は無い。馬車が軋む音と、馬が土を蹴る音などの騒音で、ほとんど掻き消されているからだ。しかも移動中なので、王の間者に聞かれる可能性も低いだろう。


 侍女は、淡々と返事する。


「未だにサトリ様やマツリ様が、自らの味方だと思いこんでいるらしく、何やら侍従達にまくし立てているようです。彼らも本当に上手く擬態できているようですね」

「そうね。なのに、我が息子ときたら」


 ワタリのことだ。確かに出来が悪いので、侍女も下手に励ましの言葉などもかけられず、一瞬口籠ってしまう。


「それにしても、王にはああ申し上げましたものの、実際は王宮が占拠されているわけではありません。流民はいつものように門前には来ているでしょうが、衛士が蹴散らしているはず。ですから、やはり王宮に戻られますか? それとも、ご実家に?」


 正妃は即答する。


「姫空木殿に」

「かしこまりましてございます」


 侍女は、行き先について説明するため、馬車を操る御者や、他の関係者のところへ走っていった。


 現在、王宮が危険だということは、他の妃にも伝えられてある。なのに自らだけ戻ることはできないだろう。それに、これは良い機会とも言えた。


 今ならば、王の目を気にせずに、紫と接触できるかもしれない。


「私は、アヤネを守れなかった。でも、あの子は必ず守ってみせる」


 アヤネ。五番目の妃。庶民出身の控えめな美人は、王宮という魔窟の中で、筆頭侍女を除くと唯一信頼できる友であった。


 正妃という国の女の最たる地位に座る彼女。その中にある、孤独と闇をすぐさま見抜いてみせた事は、今でも昨日のように思い出せる。


 虚勢ばかりで、ツンと澄ました顔をし、貞淑な妻、そして華やかとされる王宮の花として振る舞うのに精一杯だった。夫である王から顧みられることもなく、もう疲れ切って倒れそうな時、アヤネは自室に正妃を匿ってくれたのだ。


 そこでは、妃の顔ではなく、どこにでもいる只の女でいられた。亭主の愚痴を吐き、飾らない言葉で噂話をし、動きやすい質素な衣を纏って行儀の悪い格好をしながら干物を噛みしめる。こんな事、庶民ならば何ら特別なことではないだろうが、彼女にとってはこの上なく贅沢な事だったのだ。


 アヤネは、自分の心を救ってくれた。だから、いつか必ずアヤネが危機の際は恩返しをするはずだったのに。


 儚くなった人は、もう蘇らない。ならば、彼女の宝物がこれ以上傷つかぬように、努めるだけだ。その手段は選ばない。


 例え、嫌われてしまおうとも。


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