第106話 志の形

 ミロクは、シェンシャンを布でくるんでいた。この相棒と共に、旅へ出る。目的地は、ソラの元暁本部がある村だ。生まれて初めて、他国へ行くこととなる。


 彼は、現地の者へ、己のシェンシャンの技を伝えることになっている。ソラには、シェンシャン奏者が圧倒的に少なく、奏でることができても拙いものらしい。


 まさか自分が人にものを教える立場になるとは。紫と名がついたこの組織は、サヨとユカリという二人の女の影響もあり、飯も寝床も悪くない。いや、庶民であることを忘れるぐらい、良い生活をさせてもらっている。


 ミロクは、つくづく都に来て良かったなと思いつつ、共に旅支度をする仲間を見遣った。


 今回は、紫に入る前からつるんでいる二人も同行する。彼らはシェンシャンの才が高くなかったので他の仕事をしていたのだが、この度ソラへ行って、神具師の修行をすることになったのだ。


 他にも、ハトやその昔馴染なども一緒だ。大所帯となるので、皆商人や運び人の変装をした上で、分かれて都を出ることになっている。


 ソラへの越境は、紫の立ち上げにも関わったというヨロズ屋の主人の伝手で非公式な道を使うため、王家や役人の目に触れる心配もないらしい。あの、いかにも害のなさそうな好青年に、そのような後ろ暗いところがあるのには驚いたが、そういう法外な事こそ興奮するものがある。


 ミロクがそわそわしている理由は、他にもあった。


 彼の仕事は、基本的にソラへ到着してからが本番なのだが、そこまでの道中でも重要な任務が与えられている。それは、このクレナという国がまもなく終わるということ、そして新たな国ができることを、シェンシャンの音に乗せて、歌ってまわることだ。


 クレナの場合、数は少ないが、そこそこ大きな村になると娼館や酒場など、人が集まってくる場所がある。昔から旅の者がそういった場所に出向き、遠くの地の話や噂話を面白おかしく歌い上げて日銭を稼ぐことはよくあった。


 ミロクにそんな経験はなかったが、各地から集まってきた紫の面々の厳しい指導や助言もあり、なかなかに趣の深い不思議な節回しで歌えるようになっている。


 これは、ヨロズ屋から仕入れた試作品の新たな神具を使うことで、神気を操りながら演奏することになっていた。正直、ミロクの腕では、まだ手に余るところはあるものの、普通に弾くよりかは奉奏に近いことができるのだ。


 ハト曰く、民は急に王が死んだとか、クレナという国が無くなっただとか言われても、実感が湧かない上に、理解が追いつかないものだという。そこで、事前に心構えができるよう促しておくのと、紫の名を売っておくことで、後々新たな国ができた際に統治しやすくする効果を狙っているらしい。


 ミロクには政のことはよく分からないが、いよいよ国をどうにかするために、自分が役立つ時が来たことを純粋に喜んでいた。


「準備はできたか」


 ハトがやってきた。手に大きな木箱を抱えている。


「はい。持ち物なんて、元からほとんど無いですし」

「そうか」


 都に来てからというもの、ミロクの喋りは田舎の訛りが少し抜け、心なしか丁寧になった。ハトは満足そうに頷くと、箱の中から布切れを数枚取り出してみせる。


「お前達が話していた通りにやってみた。どうだ、良い色だろう?」


 ずばり、紫だった。心なしか紅さが強いが、確かに良い色に染め上げられた布である。ミロク達が当初商売にしようとしていた染め物の経験が、ここに来て役に立ったようだ。


 ミロクは、自分が染めると言っていたのだが、彼は奏者だ。指などを怪我でもして、弾けなくなっては堪らない。そこで、別の者が担当したという経緯がある。


「これ、どうするんです?」


 見る限り、かなりの量がある。布自体も、かつてミロクが扱っていたような庶民、しかも薄汚れた死人の衣ではなく、貴族の衣のような上質さだ。


「我々全員で身に着けることとする」

「それは……」


 さすがに目立ちすぎる。紫には、都の外にも仲間が大勢いて、多くは生まれてこの方白しか纏ったことのない庶民ばかりだ。王の手駒はまだまだ生き残っている今、こんな色だと自ら敵だと名乗るようなものである。


 ハトは小馬鹿にするように笑った。


「何も、見えるところでなくていいんだ。これはな、志の形なんだよ。衣の中に仕舞っておくので十分。そうすることで、大切なものを見失わずに済む」


 ミロクは、雲行きの怪しさを感じ取った。これは、彼が苦手な小難しい話になるかもしれない。


「心配するな、すぐに終わるから最後まで聞け」


 ハトはミロクの心中をさとったらしい。


「俺たち紫は、急ごしらえの組織だ。今は王の犬どもをちびちびと狩っては、躾け直すか始末するのに手こずっている。帝国の動きも油断ならんし、どれだけ時間がかかるかは、それこそ神のみぞ知るってとこだ」


 早速話が長くなりそうな予感だが、ミロクは右耳を指でかっぽじりながら、一応真剣に聞くことにした。


「だからな、我々がずっと一枚岩でいられるための何かが必要なのだ」

「それで、組織の名前にもなってる紫なんですね」

「その通り。紫は、クレナでもソラでも、王家の色の一つとなっている」


 ミロクは、組織に入ってすぐに叩き込まれた様々な知識から、その詳細を引っ張り出してくる。


「確か、クレナは紅白金紫、ソラは青黒銀紫でしたっけ」

「よく覚えていたな。紫は、両国を跨ぐ色だ。そして、二国を飲み込む色。我々の目的に、これ以上そぐうものは無いだろう」


 ミロクは、ハトの決意の強さを垣間見た気がした。先だって組織内で通達があった通り、紫は、クレナとソラの両国を本気で一つにする気だ。


 だが、事情を全て知らされていないミロクには、よく分からないことが多すぎる。例えば、ソラのことだ。


 ソラはクレナよりも豊かで、王家も庶民から殊更嫌われているという話も聞かない。そんな国、何を理由にどうやって盗るというのだろうか。


 これには、ハトも一瞬答えに窮したようだが、ソラ王家にも伝手があることと、ソラには琴姫信仰が広がりつつあり、それを支援している紫の活動も瓦版で有名になり、支持を集めているということだった。


「どうやら、ソラの新王は我らが琴姫コトリ様を娶ろうとしていらっしゃるようなのだ」

「噂では、かなり熱を挙げられているとか」

「それは事実だ。これは、対帝国戦の良い布石にもなる」


 現在、カケルはコトリを望んでいて、コトリもそれに応えようとしているのに、帝国がコトリを横取りしようとしているという図式がある。つまり紫としては、そんな無粋な事をする帝国へ、先手で攻撃できる建前となるわけだ。


 ハトは説明を続ける。


「クレナ内でも、さまざまな手を打ってるぞ」


 王宮では、コトリの兄、サトリが、地方役人の監査を行う組織を新たに立ち上げ、按察使と呼ばれる都の役人と紫の者が各地へ散っている。その内容は、基本的に食糧の備蓄を促し、様々な不正を暴くというもの。そして、紫への恭順を仰ぐものだ。


 大抵の小役人は、都から睨まれて罷免されるのを恐れ、相次いで紫の支持を表明した。中には、土着の有力者ということもあり、王家を見限って国から独立しようとする者もいるが、社はすっかりコトリ信仰に染まっているため、結局はハトの思惑通りになることが多い。


 それでも交渉が難航する場合は、慣習的に行われている税の中抜きを指摘して、役人を罷免。村は便宜上王家直轄としながら、実質的には紫が専有する。


 役人から取り上げた私財は、サトリが機嫌取りとして王へ渡す小遣いとなっているようだ。金子が手元に転がってくる限り、王は、自分がサトリにとって頭の上がらない存在なのだと誤解し続けてくれることだろう。


「思っていたよりも、上手くいってるみたいですね」

「おそらく、クレナという国がもう長くないことは、誰しもが感づいている、ということだろうな。ただし、王を除いて」


 ハトとミロクの溜息は、ほぼ同時だった。


「それで、ハト様は新しい国の王になるんですか?」


 ハトは一気に目を見開くと、床にしゃがんでいたミロクを思い切り蹴飛ばした。ミロクは驚いて、強打した自身の尻と腰の骨に手を当てる。


「馬鹿か。いきなりこんな薄気味悪い男が王になったところで、誰がついてくるものか」


 ミロクは、自分ならばどこまでもついていく、と言いかけた。何しろ、拾ってもらった恩がある。しかし、ハトの鋭い眼光を前に、何も言葉にならなかった。


「いいか? 今度こそ、国はまともにならなければならない。そこそこ働けば最低限の食い物に困らないぐらいの生活をして、綺麗な寝床で毎日寝る。そういうのを守るためには、やはり生まれながらに格が上の者が立たなければ、様にならないんだよ」


 ミロクにとっては、ハトも十分に格上の存在なのだが、とてもそんな事を口にできる様子ではない。


「では、例えば……新しくなったソラの王とか?」


 ハトは頷く。肯定しているはずなのに、ミロクの目には、どこか悔しさを滲ませているようにも見える。なぜか、それがとても辛い。


「その王は、信頼できるんでしょうか」


 ハトが王になるならば安心なのに、とミロクは思う。

 ハトは逡巡しながらも、口を開いた。


「たぶん、あの人ならば、な」


 きっとハトは、ソラのカケル王と会ったことがあるのだろう。ハトにこう言わしめるだけの人物。それならば、ミロクも信じるしかあるまい。


 ミロクは、自分も会ってみたいが、おそらく叶わないのだろうなと、ぼんやり思いつつ、紫の布切れを一枚手に取った。

 

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