第104話 愚かな父と兄

「ならば! もっと往来の取締を強化しろ。奴らも、空を飛んだり、地中を潜って移動しているわけではあるまい。必ずどこかに尻尾が隠れているはずだ」


 王の提案、一理はある。マツリも、サトリからコトリやサヨの味方になってほしいと依頼されている身なので、この段階で妙な刺激はしたくない。紫が成長段階である今は、以前と同じく従順な部下の顔を崩すわけにはいかないのだ。


 しかし、できる事とできない事がある。


「ですが、もう人手がありませぬ」


 王の指示で、村々を焼き、盗賊と化した流民達の暴動を抑えるために一軍を派遣した。先だって過ぎ去った野分による暴風雨では、決壊した川もあり、流れた村への救助要請にも応えている。


 都には兵役で集まっている一団もあるが、訓練の中で死んでしまう程弱っている者も多く、正直使い物にならない。今、まともに動けるのは、マツリの麾下と呼べる二つの軍だけだ。それらも、街中で人と話しながら情報を集めることは、本業である剣を振るう事とは掛け離れているので、良い働きができるとは言い難かった。


 ちなみに、治安維持のための門衛や衛士は、日常の職務で手一杯である。


 マツリは、ふと思った。クレナは昔から、これ程までに軟弱な国だったのだろうか、と。いや、違う。なぜならば――――。


「もう、防人の軍団もありませんし」


 防人とは、都内や宮中で見かける衛士とは違い、外国から自国を守るために存在する兵のことである。先代王の時代までは存在したのだが、現王が王位継承後に、防人の軍の長であった実の弟を亡きものにし、軍自体も王に楯突く組織として粛清されてしまったのだ。


 クレナと国境を接しているのは、ソラだけである。ソラを足元に見ている王は、国で一番の軍隊を解散させたことを全く後悔していない。だが、武の力をもって王の手となり足となる存在を大幅に削ってしまったのは事実なのである。


「何が言いたい? お前はまだ、私があいつを葬ったことを根に持っているのか?!」


 王も、マツリが慕っていた自らの弟を殺した自覚はあったらしい。これを真っ向から肯定する発言は、これが初めてであった。マツリは、もし今手元に剣か槍があったならば、父親を貫いていたかもしれないと思いつつ、拳を握る。それでも震える右手を左手が辛うじて制していた。


 きっと、殺すのは簡単なことである。


 けれど、この王を討つのは今ではない。


 全ての段取りが終わり、これまでの罪を詳らかにできる用意ができた後、国民が納得する形で裁きを下さねばならない。簡単に死なせて、楽をさせてはいけないのだ。


「いえ。ただ、現在、クレナの兵力があまりにも小さい事について、父上が原因なのは否めません」


 ぎりぎり手は出さずとも、やはり口は抑えきれなかった。案の定、激昂した王が傍らの剣を抜いて、その切っ先をマツリの首元に添えてくる。マツリは微動だにせず、冷えた目線を王に向けていた。


「息子だから、武官長という地位をくれてやっているというのに、この恩知らずが!」

「私は、別にそれを望んでいたわけではありません」

「減らず口をたたくな!」


 その時だ。回廊を駆け抜ける大きな足音が近づいてきて、銀の御簾が大きく揺れた。


「緊急につき、失礼申し上げます。この宮に賊が入り込みました!」


 王の顔がさっと青ざめる。動揺したのか、持っていた剣を取り落とした。マツリは、丁度良いとばかりに立ち上がる。


「では、これにて」

「待て! 父を危険に晒すな!」


 叫ぶ王を振り返る。マツリはもう、御簾をくぐりかけていた。


「ここならば大丈夫ですよ。私は、私の仕事をします」


 無論、王からこの国を守る仕事を、だ。

 王は、自らを守るために、賊と対決すると思い込んでいるようだが、そう勘違いさせておけばいい。賊は、集まってくるだろう衛士にでも相手させよう。


 マツリは、やれやれ、ようやく開放されたと御簾の外に出る。すると、そこにいたのはワタリだった。


「兄上、どうされました?」

「お前、大丈夫なのか?」

「は?」


 ワタリは、マツリを庭に連れ出した。


「最近の父上は、どうもおかしい。ますます気が狂っておられる。ついに、実の子まで殺めるのではないかと思って、ヒヤヒヤしたぞ」


 庭には、乾いた穏やかな風が吹いていて、見上げれば秋らしい高い空。至って平和である。賊の影も、気配も無い。


「兄上、もしかして助けてくださったのですか?」

「そうだ。助けてやったんだ。だから教えてくれ」


 いつもの嫌味たらしい横柄さが鳴りを潜めているワタリ。マツリは狐に包まれた気分で、先を促した。


「紫という組織は、本当のところ、何なのだ? 放っておくわけにはいかぬのか? 下手に危険視するから、父上は命を狙われているのではないか? 最近、宮中もどこかおかしい。私はどうすればいいのだ?」


 マツリはうっかり笑いそうになる。あの父親に、この兄あり、か。


「そういえば、兄上の宮にも曲者が現れたらしいですね」

「そうなのだ。着実に得体のしれない何かが近づいている気がする」


 その直感だけは正しい。と指摘することもできず、マツリは話せることだけ話すことにした。


「私も紫については、まだよく分かっておりません。しかし、正義ある方が勝つ、というのが世の中です。ご安心ください」


 何も嘘は言っていない。マツリは直接紫の一員となっているのではなく、サトリと協力体制にあるだけなので、未だに知らぬことが多いのだ。


 そして正義とは、人それぞれなのである。王にも、マツリにも、紫にも正義がある。どの正義が勝つかは、どれだけの民がそれに賛同するかにかかっている。本当に正しいのかなんて、二の次、三の次なのだ。


 王宮の命が国の端々にまで行き届いていた時代は、遠の昔に終わった。これからは民の時代だ。意思ある民が立ち上がり、物を言い、国を動かしていく。


 では、彼ら庶民の、ひもじさと不安を乗り越えようと足掻くための強さは、どこからやって来るのか。その理由の一つが、シェンシャンがもたらす奇跡であり、神への信仰である。


 マツリは、サトリから依頼を受けて、ある一大事業に携わることになっていた。


 新たな社の建設である。


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