第81話 紫

 菖蒲殿に急ぎの文を出して、屋敷や下女の手配をしていると、すっかり遅い時間になってしまった。サヨは、コトリが早寝したのを見届けると、そっと部屋を抜け出してミズキと合流する。彼に導かれるままに、敷地を囲む塀の崩れたところからそっと抜け出すと、夜の街へ繰り出した。


 まず、裏路地に待たせてあった馬車に乗り、菖蒲殿が管轄する蔵街の一角へ向かう。川沿いには、あの世へ誘うかのようにおどろおどろしく揺れる柳と、立派な瓦屋根を頂いた蔵がいくつも並んでいた。そのうちの一つに入ると、すぐに裏手へ抜けて、勝手口から別の屋敷の庭に入る。ようやく着いた。


「急なお呼びたてになってしまい、すみません」


 屋敷の壁ぞいにあった篝火の下にいた人影が、ゆっくりと頭を下げる。近づくと、ヨロズ屋の店主だった。


「構わん。むしろ、感謝する。早ければ早い方が良い」


 ミズキはそう答えると、履物を脱いで意気揚々と屋敷の中へ入っていった。


「サヨ様も、迅速に場所と人を用意してくださいまして、ありがとうございました」

「いえ。これも主のためになるならば、当然のこと」


 ここまで言い終えると、サヨはキッとカケルを睨む。


「それよりも」

「どうされました?」

「姫様に聞きました。蜜子を食べさせ合うなど、どういうおつもりですか? これではまるで……」


 婚姻の儀式のようではないか。という言葉は、さすがのサヨにも言えなかった。


 貴族が結婚する際は、男が女の家を訪れ、餅を食べさせ合うことで縁を結んだと見なされる。互いに食べ物を差し出すことで、今後相手のために自身を捧げること。受け取ることで、それを認めること。さらに食すことで、絆を深めることを許すことになるのだ。もっと有り体に言えば、その後なされるのは床入り、つまり子づくりであり、それを受け入れることを意味してしまう。


 コトリは王家の娘のため、案外貴族の風習に疎いところがあった。母親のアヤネが早くに身罷ったことで、そういった教養を受ける機会を失してきたのも理由の一つかもしれない。今回は、それが功を奏したのか、本人は破廉恥案件であったことに全く気づいていないのは、サヨにとってせめてもの救いであった。


「後日、あれがどういう意味になるのかは、私から説明しておきます。今後、このようなことはお止めください」

「そんなに不味い事だったのですね。失礼いたしました」


 カケルは驚いてみせたが、その芝居はあまりに下手すぎたらしい。サヨは、さらにムッとした顔をしたが、廊下の先でミズキが待っているのに気づいて、慌てて沓を脱いだ。



 ◇



 サヨが御簾をくぐって部屋に入った。途端に、いるはずの無い者の顔が視界に入る。気が動転しながらも、気づくとその場に蹲り、頭を床につけていた。


「ユカリ様……お久しぶりにございます。生きておられたのですね!」

「サヨ様、顔を上げてください」


 ユカリはこうなることを予測していたのか、のんびりと扇を仰ぎながらサヨを見遣った。


 ユカリは、ほとんどコトリと交流を持ったことはないのだが、宮中を忙しく駆け回るサヨの姿をよく目にしていた。あの頃はまだ幼く、背格好も小さかった娘がこんなにも美しく成長していることに、月日の流れを感じるのである。


「私は、もう死んだ身。王女ではありません。王の駒であることも辞めて、今やソラでシェンシャンの弾き手を育てる組織、暁の頭領です。どうか畏まらないでください」


 そう言われても、すぐに顔を上げることができないサヨがいる一方で、ミズキはあくまで平常運転であった。


「そうか、あなたが。まさかクレナ王家の人とはな。店主さんも人が悪い。知ってたのなら、先に教えてくれればいいものを」

「面目ない。王家を目の敵にしてらっしゃる方ですから、躊躇してしまいました」

「まぁ、いいさ。それでハト。お前はもう話は詳しく聞いたのか?」


 ミズキは、先に着いてユカリ達と対面していたらしいハトに話を振る。その隣には、チヒロの姿もあった。


「これは、良い話が転がってきたと思っています。王家に頼らず奏楽で土地に恵みをもたらしたいという目的は完全に一致している。それに」


 この後は、チヒロが引き継いだ。


「今、クレナもソラも、帝国に狙われている。両国で睨み合うよりも、手を取り合って敵に備えるべきだよ。あたしは、ソラへ行っていろいろ見聞きしてきたんだ。危機はすぐそこにまで迫っていると見て間違いない」


 チヒロは、カケルに伴われてソラへ向かい、商人として王宮まで出入りしていたとミズキに報告している。今は都にある組織の根城に住んでいて、ハトの補佐をしているようだ。


「帝国のことは、まだよく分からないが、このままでは帝国が攻めてくる前に国が無くなっている、つまり民が尽く死んでいるということにもなりかねない。やはり、シェンシャンは早急に輸入しておきたいな」


 ハトも、かなり事態が緊迫していると考えているらしい。チヒロは大きく頷いた。


「それに暁は、あたし達よりも古い組織だ。人の集め方、その養い方から働かせ方まで、持っている知識や技術はかなり広い。何より、職人集団が母体となっているってのは心強いね。確実にシェンシャンが手に入るってことじゃないか」


 チヒロは、ニシミズホ村で女だてらに村の男衆を牛耳ってきたが、実は苦労も多かった。元王女とは言え、同じ女であるユカリが暁という大きな組織を仕切っているというのは、親近感を覚えると同時に、尊敬の念をも抱いてしまうのである。


「つまり、二人とも暁との合併には賛成ということだな?」

「そうだ」


 合併するとなると、規模の差から言って、実質的にはミズキ達が暁に吸収される形になるのだが、ハトとチヒロは構わないようだ。自らが立ち上げた組織なのに、さほど未練が無いらしい。

 もっと交渉が難航するかと予想していたミズキは、ほっと胸を撫で下ろした。


 そこへ、カケルも話に入ってくる。


「では、新たな名が必要ですね。ミズキ様達が加わるとなると、それはもはや暁ではない」

「確かに。ソウ様は何か考えはおありですか?」


 カケルは、数秒視線を彷徨わせた。そして――――


「クレナとソラを横断した組織ですから、紅と空色を掛け合わせた色で、紫。名は、紫でいかがでしょう?」


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