第57話 ソラの離宮

 都を出発してから五日が経った。楽師団一行は、クレナ国西端にある香山という土地の関を超えてソラへと入る。夜は、ソラ王家が管轄する離宮で一泊することになった。


 荒野を抜けて辿り着いたその宮は、鳴紡殿と比べても遜色の無い質実剛健な造りである。王族が住まうには些か地味な印象ではあるが、ところどころにあるクレナ国では見ない箱のようなものは、冷気を吐き出す神具らしい。他にも神具師の国としての技術力が垣間見られる設備が多々あった。


 汗まみれの女達は、なだれ込むようにして宮の中へ入ると、各々の荷を手に広間で腰を落ち着かせる。体を小さく折り畳んだままの長旅は、特に楽師団員として日が浅い者には武者修行のように感じられていた。それまで泊まってきた豚小屋のような宿とは天と地ほども違う清潔感と開放感に、頬を緩める者も多い。


 そんな中、サヨは涼しい顔で外の景色を眺めていた。毎年香山の関にある宮で開かれる新年の宴に随伴している経験から、意外にも旅には慣れているのだ。


「あれは何なのかしら?」


 ミズキは、相変わらずの猫かぶりようだ。その視線の先には、宮に併設された土色をした殿がある。壁には蔦が這いまわり、お世辞にも美しいとは言えぬおどろおどろしさがある。野暮ったいというよりも、離宮の敷地内では場違いといった趣だ。


「あれはソラ王家の工房だそうですよ」


 カヤが物知り顔で応える。そういう彼女も当初は驚いたらしく、ハナに尋ねて教えてもらったようだ。


「ソラ王家って、王族の癖に職人の真似事をするなんて、貧乏性なのかしら。もしくは小銭を稼がねばならない程、ソラ王家は金欠なのかも」


 カヤが勝手なことを言っているが、サヨは敢えて否定しないでおいた。おそらく真実を告げても、この娘は信じはしないだろう。そういう直感があった。


 サヨは思う。ソラへ入った途端、急に道が良くなった。人の住まない荒れ地にも関わらずきちんと整備されているので、馬車の揺れも少ない。街に近づくと、家や商店、田畑、そして民の顔が見える。驚いたのは人々の笑顔だ。クレナでは魂を抜かれた亡霊の如き姿しか見えなかったが、ここでは辺境にも関わらず活気がある。もちろん、放置された死体なども無い。離宮を見ても、それと分かりにくい場所にこそ贅が尽くされていて、クレナのような上っ面の金持ち感は無く、むしろずっと裕福であることが伺える。


 けれど、クレナの人間はその事実をやすやすとは受け入れられないだろう。特に貴族の子はクレナ王家こそが最上であると教え込まれて育っている。ソラ王家のように支配者が物を直接生産するようなことは恥だと刷り込まれているのだ。支配者、そして権力者は頭だけを使えば良い。体を使って汗水垂らすのは庶民の仕事だとされている。


 以前は、サヨも同じことを思っていた。しかし、ヨロズ屋へ少なからぬ回数通い詰め、神具師と会話し、その仕事ぶりを見てきた今は、完全なる誤りであったと断言できる。


 神具は、時代の最先端であり、人々の生活を良くするばかりか、神の声や力を活かして国を富ませるものだ。それを常に先頭に立って開発し続けるソラ王家の姿は、クレナ王家には無い先進性があり、国や民への貢献度は高い。少なくとも、指導者としての力量はあるのだろう。こんな国のはずれまで庶民の暮らしが豊かなのは、驚異的なことである。


 楽師団受け入れのために、ぽんっと離宮を貸し出すことができるのも力を持っている現れだ。もしこれがクレナであれば、同じことができるだろうか。ソラは楽師団を持たない故に最上級のもてなしをしようとしていることも考えられるが、それを差し置いても国としての余裕が感じられる。


 しばらくすると、全員が広間へ集合したことが確認された。アオイが前に立つ。ソラ国王宮から派遣された若い文官との話が一段落ついたらしい。


「今夜はここで食事をした後、個室の寝台で休むことができます。これより部屋の割当を言いますから、各自、侍女や下女を部屋の準備にあたらせなさい」


 昨夜までは、宿とは名ばかりの場所での雑魚寝だった故に、この待遇は待ちにまったものだ。女達の喜びの声が広間に溢れかえる。



 ◇



 夜になった。


「予定通りだね」


 ミズキは、与えられた個室の寝台に腰掛けると、衣の前を寛がせて赤い簪を取った。ここにいるのはサヨだけだ。やはりこの二人は同室となってしまったのだった。女のフリをする必要がないからか、ミズキの機嫌はすこぶる良い。


「当たってほしくない予想が当たると、どうしてこんなにも惨めになるのかしら」


 サヨは苛々しているのを隠す様子もなく、自分の荷を乱暴に解いて寝台横に広げていく。楽師団で揃いの衣も、こうして畳んだままでいると皺になる。夜ぐらい、広げて衣桁に架けておかねばならぬのだ。


「ねぇ、一つ頼みがあるんだが」

「お断りします」


 ミズキからの頼みなど、禄なものであるわけがない。サヨはぴしゃりと言い放ったが、ミズキは案の定簡単には引き下がらなかった。


「俺が男だとバレたら困ると思うよ?」

「何を企んでるんですか?」

「男と一夜を過ごしたとなれば、いくら菖蒲殿の娘さんとは言え、傷物扱いになってしまう。そうだよね?」


 ミズキの話は、一理ある。彼が性別を偽って入団していることを知った時点で、サヨはもう共犯者になっているのだ。今更引き返すことはできない。


「それで、何をして欲しいんですか?」


 サヨの声は硬い。ミズキはそんな彼女を愛おしげに見つめていた。


「カヤに聞いたんだけど、ソラの都に着いた時点で儀式の前に禊する必要があるらしいんだよね」

「その際に、男だと明らかになってしまうのを危惧しているのね」

「その通り。けど、儀式するのに身を清めないという選択肢はないだろう? だから、今夜やってしまおうと思う。手伝ってくれ」

「え」


 サヨの顔が絶望に染まる。禊は、薄着にならねばならないのだ。それは、介添する者もである。


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