第58話 二人寝

 サヨは、つい先日も、香火の契で言いくるめられて、衣を剥がれてしまったことを思い出す。あんな羞恥体験は二度としたくないと思っていたところへ、またこれだ。しかし、断ることはできそうもない。


「禊できる衣はお持ちですか?」

「あるよ」


 たまたまサヨ達は端部屋だった。しかも井戸が近い。水を汲みに行くこともできる。部屋には洗面用の大きな桶と柄杓、洗濯用のたらいもあった。できないことは、ない。


「仕方ありませんね」


 ミズキが水汲みをしている間、サヨは濡れても良い衣に着替えた。その後は、部屋の前の庭に出て、書き物用に持ってきた紙で紙垂を作り、たらいと柄杓に貼り付ける。その背後で、ミズキも着替えを済ませたようだった。


 祝詞を唱え、庭の地面に座り込むミズキの頭へ水を掛け流していく。音はなるべく立てたくない。細い糸のような水の流れが、さらさらとミズキの髪と体を少しずつ濡らしていく。今夜の月は丸く、明るい。やがてしっとりとした衣からその下の身体が透けて見えるようになった。中性的な艶かしさは人を惑わせる力があるのか。サヨはできるだけ直視せぬよう心がけながら、無心でミズキを清めていった。


 先に部屋の中へ戻ったのはサヨだ。濡れた体を拭いて新しい衣を着る。


「どうぞ」


 やっと許しを得て、ミズキも中へ戻ってきた。板張りの床に水たまりができる。


「ちゃんと拭いてください」

「できない。拭いて?」

「子どもですか?」


 言いたい事はたくさんあるが、もう夜も遅い。誰か人が来てしまってもいけないので、サヨは渋々ミズキの肩口だけ拭いてやった。すると、しゃがみこんでサヨを見上げてくる。髪も拭いてくれということらしい。大きな溜息が出た。


「それにしても、あの店主さん、今頃どうしてるだろうな」


 ミズキが唐突に話し始めた。


「ヨロズ屋のソウ殿のことですか?」

「あぁ、そうだ。発つ前に会ってきたよ。悪い奴ではないと思うけど」

「けど?」

「あいつ、姫さんに惚れてるな」


 部屋の中の薄明かりに照らされたサヨの表情は変わらない。ミズキに言われずとも分かっていた事だ。


「いいのか?」

「いいわけがありません。でも、利用できますから、まだ対処していないだけです」

「俺のことも、そんな感じ?」

「え、いや。それは……」


 サヨは言葉を濁して黙ってしまった。一通りミズキの髪を拭き終えると、その手ぬぐいは桶の中へ放り込む。片付けは明日の朝で良いだろう。


「もう寝ましょう」


 サヨはミズキの方を見向きもせず、自分の寝台へ向かい、横になった。厚手の敷物に、程よく身が沈み込んだが、なぜだか居心地は悪いまま。きっと、二つの寝台の間に衝立が無いからだろう。


 ふっと、部屋にあった蠟燭の灯りが消えた。


 しばし、サヨの背を向けた方で衣擦れの音が続く。ミズキが着替えている、とサヨは思って、知らぬ間に息を凝らして小さくなっていた。まるで悪戯をした後の幼子のように。


「サヨ」


 ミズキの声が、妙に優しげである。


「ありがとう」

「いいえ」


 ついつい反射的に返事してしまった。今夜はもう喋らぬと決めていたのに。


「そっち、行ってもいいか?」


 この男は何を馬鹿なことを考えているのか。今度こそ黙りを決め込んでいたのに、とんでもないことが起きてしまった。


「え……嘘?!」


 サヨがそっと振り返ると、ミズキが自分の寝台をサヨのものにくっつけている。それだけではない。暗くてほとんど何も見えないが、おそらくミズキは何も身に着けていないのだ。


「サヨはいつも脱いで寝ないの?」

「あなたと同室なのに、脱げるわけがないじゃない」

「明日からはいよいよソラの奥へ入っていく。姫さんのために情報収集もするんだろ? ちゃんといつも通りにして体を休ませないと、きっとよく眠れない」

「ほんと、誰のせいで」

「ほら、脱いだ、脱いだ」


 ミズキの腕がサヨを拘束して、寝台がギシリと軋む。夏の衣は元々薄くて、腰帯も簡単に解けてしまうものだ。


「……やめて」


 尊い身分である貴族の娘と、辺境の村出身の庶民の男。普通ならば出会わないはずの二人が、今、互いの顔に息がかかる程間近で見つめ合っている。


「サヨ」


 ミズキの声に甘さが増した。彼の前では、サヨもただのか弱い女だ。顔を背けると、涙声が絞り出された。


「駄目」

「やっぱり、可愛いな」

「お願い。もう、勘弁して」

「大丈夫。まだ何もしない。まだ、な」


 ミズキは剥ぎ取った衣をサヨの上に被せると、自身はその隣で横になった。腕を伸ばしてサヨの腰を抱くようにする。抵抗されないのをいいことに、小さな背中を撫でてみた。サヨの肩は、ぴくりと跳ねる。


「サヨ。俺達は、もはや一蓮托生だ。諦めて落ちてこいよ、俺のところに」


 染みひとつ無い白く滑らかなサヨのうなじ。ミズキは、唇を強く押し当てた。


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