第31話 いざとなれば神頼み

「可愛らしいシェンシャンですね」


 そう言って、コトリは蓮頭――――シェンシャンの一番上の部分――――を指でなぞった。牡丹を模した可愛らしい造りになっている。


 言われて初めて気がついた。それは当時、まだ幼女だったコトリのために作ったものなのだ。どう見ても男性的ではないのに、これを自分が使っていると言ってしまった。趣味を疑われてしまっただろうか。


 顔に朱が差したソウに、コトリは肩を竦めてみせる。


「わざわざ私が気負わなくて済むように、新品を使用済みだと言って出してきてくださったのですね。気遣わせてしまってすみません」

「いや、そういうわけでは」


 そういうわけでは、ない。

 コトリが使ってくれたシェンシャンは、長年カケルにとって宝物だった。これにコトリが触れたのだ、奏でたのだと思いながら、自ら曲を弾いたこともある。誰にも言えないが、寂しくて仕方ない時には抱いて寝たこともある。つまり、完全に使用済みなのである。


 それよりも、カケルは残念な顔にならないように必死だった。泣き笑いのような、妙な表情を貼り付けて、修理を受ける旨を紙へ書きつけていく。筆を動かす右手に集中をする。すぐにはコトリの顔を見つめ返すことができなかった。


 やはり、覚えていなかったか。


 それも、そうだ。もう十年近く前のことなのだ。一度しか手にしたことのないシェンシャンを、細かなところまで記憶しているわけがない。


 本来、コトリの元へ行くはずだったシェンシャンが、偶然今度こそ彼女の手に渡った。それで良しとするしかない。


 あの時、クレナ国王からは、コトリには初代王クレナの遺品であるシェンシャンを与えてあるから、新たなものは要らないと言われて断られたのだ。つまり、それはソラ作の逸品ということ。確かに当時の自分の腕では、その域に到達できていなかったが、今はどうだろうか。


 カケルは、筆を置いて自分の右手を眺める。


 この手で出来ることなんて、少ない。

 でも。


 今ならば分かる。コトリのためにできることは、シェンシャンを作ることだけではない。クレナに根を張る商人としても、同じシェンシャンを愛する者としても、様々なものをコトリに与えられるはずだ。


 コトリは、嬉しそうにシェンシャンの弦を指で弾いた。その音。カケルの胸は、矢で刺されたかのようにズキンと傷んだ。悪い痛みではない。じわりと広がって、脇腹をくすぐられるかのような。それでいて、湯に浸かった時のような、しっとりとした温もりもある。


 そうしてカケルは、このシェンシャンに降ろした神が何であったかを、すっかり失念していたのである。


 サヨは、コトリに笑顔が戻ったことが殊更嬉しかったらしい。貴族らしく、袖で口元を多いながら目を細めていたが、ふとカケルの方を向き直った。


「ソウ殿。ではシェンシャンについては、こちらの書面の通りによろしくお願いいたします。さて、実は本日、一つお尋ねしたいことがございまして」

「墓の件とは別のお話なのですね?」

「はい。神気についてです」


 サヨは周囲を見回して、近くにコトリとカケル以外がいないことを確認した。


「これは、内密にしていただきたいのです」


 サヨは、声を潜める。

 王立楽師団では、神気を見るために、特別な神具を使っているということ。そして、その神具は数が少ないため、新人はなかなか練習に使わせてはもらえないだろうことを話した。


「ですが、先日ソウ殿は、シェンシャンの調整中に神気を見てらっしゃいましたね?」

「ええ、確認しておりました」

「つまり、神気は道具に頼らずとも、見ることができるということですね?」

「はい。きっかけと、訓練が必要ですが」


 カケルは、数年前のことを思い出した。ラピスが修行で手こずっていたのは、まさしくこれだったのだ。職人、中でも神具師を目指す者は、自らが作った神具の出来具合を確認するためにも、この才能が必須なのである。


 通常、職人は幼い頃から多くの神具に触れさせられて、言葉を話せるようになるよりも早くから、強制的に神気が見えるように教育される。赤子は大人とは異なり、様々な事象に敏感で、繊細な感性が発達しているのを利用したものだ。これは、ソラ国では一般的な話である。


 ちなみにカケルの場合は、王家の伝統的な方法で神気が見えるようになった。


 ソラ国王家は、職人一家である。生まれて間もない頃から、神気を大量に含んだ部屋に入れられ、そこで遊んで過ごすことになっている。部屋には、礎の石と呼ばれる国の根幹のようなものがあり、神気を放っているのだ。クレナ国にも同じものが存在するはずなのだが、詳細についてはカケルも知らない。


 では、ラピスのように成長してから職人を志す場合はどうするのか。これは、いうなれば神頼みとなる。


 まず、社を訪れて、職人になりたい旨を宣誓する。そこで、神がすぐに目の前に現れてくれれば、神気を見えるようにしてほしいと頼めばいい。だが、当たり前のことながら、神と会うことは容易ではない。


 会えない場合は、神の気を引くようなことをせねばならないのだ。例えば、シェンシャンを演奏する。うまい酒を用意するなどといったことだ。


 ラピスも、あの手この手で神との接触を試みたが、一向に上手くいかない。やはり帝国出身の彼では、神の加護を得ることはできないのだろうか。と半ば諦めていた時、ようやく神は姿を現した。


「どうやら、神は珍しいものが好きだったようです。ラピスは、帝国の硝子でできた器を要求され、それと交換で神気が見えるようにしてもらいました」


 カケルは、自分がソラ国出身だと悟られないように気遣いながら、一般的な話としてラピスのことのみを語った。コトリとサヨは、自分達の知らぬ世界に興味津々で、時折相槌をうちながら聞き終える。


「サヨ、私達も社に行きましょうか」


 どのみち、折を見て社には赴かねばならないところだった。まだ王女の肩書は残っているのだから、王の条件は飲まねばならない。サヨもそれに思い至ったのか、深く頷いてみせた。


「はい。職人ではありませんが、奏者として神気を見る力をいただけるように祈りたいところですね」


 ただ、職人の前に現れるのはキキョウ神だ。奏者の場合はルリ神となりそうだが、彼女も同じように加護を与えてくれるとは限らない。その辺りは保証しかねるとして、カケルは話を締めくくった。


「では次に、墓地の件ですが、都近くでは一箇所だけ見つかりました」


 カケルは下見した所感を告げる。


「庶民向けならば、そのような形になるのも仕方ありませんね」


 サヨは貴族向けの整備された墓地を知っているだけに、少し思うところがあるようだ。


「サヨ、私はそれで十分よ」

「では、せめてきちんとした墓石を用意しましょう」


 カケルもサヨの意見に同意する。


「そうおっしゃると思っておりました。紹介できる石屋はこちらです」


 カケルは、折りたたんだ紙をコトリではなく、サヨに手渡す。その配慮に、サヨは満足したようだった。


「ところでカナデ様。埋葬する骨壷は今どこに?」


 これは、カケルの素朴な疑問だった。


「おそらく、義母が管理しているかと」


 途端にコトリの表情が固くなる。カケルは、すぐに事情を察して話題を変えることにした。


「左様にございますか。最近では骨壷の他に、故人と縁がある物や、あの世で困らぬよう身近な生活用品を一緒に埋めることもあるようです。よろしければ、何を埋葬するのか考えておいてくださいね」

「そうなのですね。いろいろと調べてくださり、ありがとうございます。このお代は……」

「それは結構です。これは私が個人的にお受けしたお話で、店の商売とは関係ありませんから。もちろん、これで常連になってくれればという下心はありますけれどね」


 商人らしい物言いに、コトリは思わず笑う。それにつられて、カケルも笑顔になった。


「では、最後にもう一つおまけしておきましょう」


 カケルが近くの机から運んできたのは、掌よりも小さな箱だった。


「お二人とも、新たな環境でご苦労されている様子。鳴紡殿で悪さをするような輩はなかなかおらぬと存じますが、何かあってからではいけませんので、こちらをお持ちください」


 サヨが代表して受け取ると、箱をそっと開けてみる。中にあったのは黒い箱だ。


「部屋の隅にでも置いてください。音を吸収する神具です。いつでもシェンシャンが練習できるようになりますよ。さらにこの箱は、身に危険が迫った時に赤くなりますので便利です」


 カケルは、ソラから輸入した神具で、自身も護身のために使っていると説明した。


「それから、神気の色を示す神具も作っておきますね。見えるようになれば不要かもしれませんが、楽師団は世間が考えている以上にお転婆なお嬢様が多いとお見受けしますので、役に立つこともあるでしょう」


 サヨは、予想以上にソウが協力的なことを訝しんだが、カケルからシェンシャンの酷い壊れ具合を指摘されると、心配されるのも無理はないと納得するのだった。


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