第30話 二人だけが知る真実
カケルの朝は、部下や弟子からの報告書を読むところから始まる。カケルは茶を啜りながら、片手で折りたたまれた紙を開いた。
結論から言って、都内に庶民用の墓地は見つからなかった。死は忌むべきものなので、王宮近くにそのような場所を作らぬよう触れが出されていたようだ。
では、どこにあるのか。ラピスによると、都のすぐ外にあるらしい。
王宮を中心に碁盤の目のように道を通して作られたこの街は、低い壁で囲まれていて、東西南北に門がある。目的の場所は南門を出て少し東に逸れた山の麓だ。早速カケルは、下見に向かった。
ほとんど人の手が入っていない荒れた野の向こうに、小高い緑がある。庶民はここで適当に穴を彫り、遺骨の入った壺や遺品を埋めることになっているようだ。
寂しい場所ではある。だが、空気は澄んでいる。墓地と言うからには、もっとおどろおどろしいものかと懸念していたが、これならばコトリを連れてきても問題無いだろう。
店に戻ると、カケルはサヨ宛に文をしたためた。いつものように花で用事があることを伝えようかとも思ったが、もう彼女は王宮の筆頭侍女ではない。かえって目立つかもしれないと思って、つらつらと用件を書くに留めた。
サヨとは、まだまだ相談せねばならないことが多い。墓の場所がサヨのお墨付きを得られても、墓を作る段取りも決めねばならぬ。コトリの護衛についても急ぎとなるだろう。
カケルは、硯の横に筆を置きながら、ふっと店の外を見た。今日も朝から往来は賑やかだ。カケルやコトリの事情に何があろうと、世間はいつも通りで、また何事もなく次の日を迎えるのだろう。
さて。コトリは、楽師団で元気にしているだろうか。シェンシャンは、コトリのために良い仕事をしてくれているだろうか。
本当ならば、コトリにも文を送りたい。でも、いざとなれば何を書けばいいのか迷ってしまう。うっかり、好きだ、などとだけ書いてしまっても不味い。
では、会いたい、はどうか。それもコトリを困らせてしまうだろう。コトリからすると、カケルはただの商人で、付き合いも深くない。気持ち悪く思われるのがオチだ。
けれど、コトリの心を少しでも自分で支配してしまいたい。どうすれば嫌われず、かつ大胆すぎず彼女の気を引くことができるだろうか。
と、既にコトリへ大きな印象を残していることにも気づかず、思いにふけるのである。
コトリのことを考えている時間は、とても幸せだ。ありもしない設定や、状況を想定しては、コトリがどんな反応するだろうかと妄想する。コトリの素顔を目にしてからは、一層生々しく頭の中で思い浮かべることができるようになった。
そして、大抵こういう男は、傍目からして危ない人に見えるのである。
「親方」
ラピスに声をかけられても、気づかない。
陽が完全に昇って、店に客がたくさん入る頃合いになっても、カケルはどこかふわふわしていた。
「聞いてるんですか? お客さんですよ」
「あぁ、ラピスか。お前に任せる」
コトリのことを考えるのに忙しいので、とは言わずとも、弟子はほとんどそれを見抜いている。見抜いた上で声掛けをしているのだ。
「分かりました。じゃ、カナデ様はこちらでおもてなししておきます」
「カナデ様?!」
店の奥へ向かおうとしていたカケルが、飛び上がる勢いで振り向いた。そこにいたのは、コトリとサヨ。二人とも、俯いている。
「ごめんなさい」
開口一番が、それだった。
コトリは、深々と頭を下げ、シェンシャンの袋を抱きしめている。カケルは、そのただならぬ様子に驚いた。
「いらっしゃいませ。シェンシャンに不具合がありましたか? どうぞこちらへ」
すぐさま店主として通常運転を再開する。カケルは、奥の部屋へ二人を通した。
椅子を勧めると、すぐにコトリが話し始めた。
「実は、壊してしまったのです」
今にも涙をこぼしそうなコトリ。余程のことがあったのだと悟ったカケルは、サヨの方を見遣る。サヨも、申し訳なさそうに唇を噛んでいた。
「見せていただけますか?」
カケルはコトリから袋を受け取る。その瞬間、さっと血の気が引いた。袋の中身が折れ曲がる。急ぎ、中をあらためると、あまりにも痛々しいシェンシャンの姿が現れたではないか。
「これは」
「別の楽師がカナデ様に嫉妬して、腹いせに壊したのです」
サヨは、新人演奏会の日のことを語った。
このシェンシャンは、カケルの全てを尽くして完成させたもの。おそらく、この世で最も価値がある楽器といっても過言ではない。それを手にかけて、ここまで破壊せしめるとは、職人だけでなく、音楽、そして神への冒涜に他ならない。
「許せない」
カケルからは、ゆらゆらと陽炎のように怒りが漏れい出ていた。それは周囲を威圧するような気で、コトリもサヨも身を竦める。
「せっかくソウ殿に作っていただいたものを早速壊してしまい、申し訳なく思います。ただ、カナデ様には何の非もございません。どうか怒りをお収めください」
サヨが言い募るも、カケルは憤怒の形相を崩さない。きっと壊れてしまったのはシェンシャンだけではない。きっとコトリも――――。
シェンシャンをこのように扱う者がいることが許せない。コトリに嫌がらせをする者が許せない。何より、コトリの側にいて、コトリの心を守ることができなかった自分が許せない。
やっと、以前よりもコトリに近づけたのに、結局何もできないままだったなんて。あまりにも悔しすぎて、情けなくて、辛すぎる。
「怪我は?」
カケルは、コトリの方を見た。見るからに怖がっているのが分かって、自身の失敗に気づく。コトリにこんな顔をさせたくはなかったのに。
「私は、大丈夫です。でも」
コトリが、折れてしまったシェンシャンの柄を手に取る。それを頬に寄せる仕草は、火葬前の身内の亡骸に最後の別れをするような哀しさがあった。
「とても、とても、気に入っておりました。それなのに。ソウ様、私……どうしたら」
「いいんです」
それは、カケルの渾身の作だった。様々な掟破りな方法を駆使した、神具中の神具だ。それでも、コトリが心から気に入っていたと言い、一人の職人であり、商人に過ぎない自分へ、労るような視線を投げてくれる。
十分だった。
だから。
「物は、壊れるものです。私のことは、気になさらないでください」
「ですが」
「それよりも、こうして、また私を頼って来てきてくださったのが何よりも嬉しいです。この縁まで壊れることがなかったのが、不幸中の幸いでした」
カケルは、努めて笑顔になる。
そして、あることを閃いてしまった。
「修理させてくださいませんか。少しお時間をいただくことになりますが、その間にお使いいただく別のシェンシャンも用意します」
コトリとサヨは、ほっとして顔を見合わせる。これで、今日からまた練習が再開できそうだ。
カケルは、すぐに仕事部屋へと戻り、そこから繋がる納戸から、埃の被った箱を引っ張り出してきた。蓋を開けると、中は綺麗なものだ。それを手に、コトリの元へと戻る。
カケルの胸は早鐘を打っていた。
「私の物ですみませんが、こちらをお使いください。心を込めて作ったものですし、そこいらのシェンシャンには引けを取らないつもりです」
それは、かつて幼き日に、カケルが作ったもの。コトリが新年の宴で演奏するのに、一度だけ使ったシェンシャンだった。
コトリは、包みからシェンシャンを取り出して目を見張る。カケルはその様子を固唾をのんで見つめていた。
気づいてくれるか。
これが、あの時のシェンシャンだと。
ソウが、カケルだということを。
あの当時、サヨはまだコトリの側にいなかったはずだ。
これは、カケルとコトリだけが知る事実。
まだ、互いに正体を明らかにすることはできないのは分かっている。それでも気が逸った。もう、我慢ができそうにはなかった。心の中で、コトリ、コトリ、と何度も呼びかける。
コトリは、ゆっくりとカケルの方に顔を上げた。
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