第12話 洗礼

 コトリが身構えて階段の方を見ると、そこには三人の女がいた。全員揃いの衣を着ている。若草色の上衣に、金の見事な刺繍が入った生成り色の背子、白い裳を合わせている。爽やかで優しげな装いだが、それを身に着ける当人達の中身はそうでもない。


「あら、今年入った子?」

「あ、その紫陽花柄。あなた、試験で散々だったらしいわね」

「私も聞いたわ、その話。本当にありえない!」

「正妃様から偶然目をかけてもらえたからって、いい気にならないことね」

「大丈夫よ。入団してすぐに、試練があるもの」

「そうね。すぐに落ちこぼれて、いなくなりそうな人に構っている暇はないわ。行きましょう?」


 コトリは、姦しい三人組が一つの部屋の中に消えていくのを見送った。


 何も、言えなかった。

 そして、なぜだか嬉しかった。


 王女時代は、面と向かって悪口を言われたことなど一度もないので、あまりに新鮮だったのだ。今、自分が待ちに待った庶民らしい体験をしているのだと思うと、自然と胸が踊る。


 そんなズレたコトリに、早速災難が振りかかろうとしていることを教えてくれる者は、残念ながらいなかった。



 ◇



 オリハルコン帝国。大陸のおよそ六割をその支配下に収める巨大国家だ。帝都は大陸西の海側にあり、クレナ国、ソラ国とは全く異なる文化圏を築いている。


 元々広大な領土を持つ帝国だが、今の皇帝に代替わりしてからは、ますます周辺国の吸収や属国化が進み、勢いは増すばかり。新たに占領した土地では、希少金属の鉱山を多く掘り当てたことを発端に、産業面でも軍事面でも飛躍的な発展を遂げている。いずれは大陸統一国家を作るのも夢ではないと言われる程だ。


 ここまでの偉業を成している皇帝だが、女好きでも有名であった。とは言え、単に見目麗しい女ばかりを好むわけではない。何か一芸に秀でたものを身の回りに集めているのだ。


 それを知り、長年の夢を叶えようと動き出したのがクレナ国国王である。娘のコトリは、帝国では珍しい楽器、シェンシャンの使い手だ。上手く気に入られることができれば、ソラ国侵攻の援軍や支援を望めるかもしれない。

 そうして初めての使節団が帝国へ出発したのは、今からニ年前のことだ。


 当初、極東の小国など門前払いだった。しかし、帝国には無い芸術的な工芸品などの土産が皇帝臣下の心を掴み、ようやく帝国側が話し合いの席についたのが一年前。


 その後、公式の意見交換会は帝国側やクレナ国側の両方でニ、三度行われたものの、これといった進捗は無い。帝国は、異文化の物品を独占的に輸入して、自国の貴族に高値で流すことぐらいしか考えていなかったからだ。


 しかし、最近になって皇帝は、あることを耳にする。クレナ国では、帝国には無い不思議な習わしがあるというのだ。それは、とある楽器を演奏することで土地の力を活性化し、国に富をもたらすというもの。完全に眉唾ものだったが、完全に否定することもできない事実もあるらしい。そこで、密かに手下を放って情報収集を行っていた。


「報告は以上です」


 皇帝は、足元に跪く黒装束の男を見下ろした。


「それで、その娘がシェンシャンとかいう楽器の使い手なのだな」

「はい。かなり腕が良いという話でした」


 帝国は領土拡大が性急すぎたこともあり、手に入れた土地の管理が行き届かないことも多い。そもそも、戦いがあった街は被害を受けて長期間経済活動が止まるだけでなく、負けたことへの恨み辛みが蓄積して、国内の新たな火種へと発展するケースも珍しくない。うまく統治して、以前よりも富ませることができれば、そういった燻りも減るのだが、人材面でも金銭面でも苦しいのが実情だ。


 そこへ浮上したのが、クレナ国の王女輿入れの話である。


 いずれは滅ぼすことになるかもしれぬ国だ。助けてやる謂れなど全く無いが、一度試してみる価値はある。


「ご苦労。下がって良い」


 瞬時に、黒装束の男は消えた。皇帝は、手に持っていた飲みかけのワイングラスを机に戻す。


「だが、まだ時ではない」


 クレナ国との取引は、もっと煮詰める必要があるのだ。


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