第25話【2018年9月17日-11】
弥生は何故今も戦い続けるのだろう。
遥香はどうして今、戦いを止めてしまったのだろう。
ウェストは何故今も弥生へ気持ちを伝えないのだろう。
ベネットは何故今も遥香へ想いを伝えないのだろう。
「んなもん、他人である奴にわかるわけねぇじゃんね」
ボソリと呟いた言葉は、しかし店員の老婆には聞こえていない。
遥香でさえ自分で呟いた言葉を自覚できないのだから、分かる筈もない。
――けれど、彼女には聞こえていた。
「遥香」
声が聞こえて、顔を上げる。
何時来ていたのだろうか。如月弥生が対面の席に座り、今まさに老婆へ「彼女と同じものを」と注文する姿を見据えて、遥香が笑った。
「ウェストさんは?」
「戻ってきたけど、遥香の所に行くと言ったら、じゃあ席を外すと。今は多分、近くの古本屋にでもいると思う」
「そっか」
アイスコーヒーが運ばれ、弥生はぺこりと頭を下げながら、しかし口を付けることなく遥香へと視線を向け続ける。
ずっと見られていることに慣れていない遥香は「何さ」と聞くけれど、弥生は「別に」とだけ返し、会話が終わってしまう。
「……ねぇ、弥生ちゃん」
「何」
「大変だったんだね」
「貴女も。ベネットから聴いた」
「ベネットってば喋りたがりか? 後で怒ってやろっかなぁ」
「怒る気もない癖に」
「……バレたか」
「怒りっぽい所、治ったようね」
「治っちゃいないと思うよ。ただ、隠すこともなくなったし、あの頃の、なんも考えなしだったアタシと同じになっただけ。――ああ、ホントにアタシ、何も変わってないんだなぁって気付いたわ。今時JK的には何て言うのが正解なんだろ、超ウケる?」
沈黙が訪れた。けれど遥香にとっては、それは慣れっこだ。小学生の頃から、弥生は何ら変わっていない。言葉が少なく、何時だって遥香から言葉をかけなければ、話すことは無かったのだから。
でも、それが心地よかった。
許し合える沈黙の時間が、少なくとも遥香にとっては必要な時間だと思っていたから。
「遥香、ごめんなさい」
「何が」
「私は貴女に酷いことを言ったわ。貴女は、今という時に停滞しうる事があまりに多すぎた。そんな貴女に戦いを強要することは、何よりも愚かな事だった」
「……アタシも、ゴメンね。弥生ちゃんも色々あったのにさ、アタシだけが不幸だー、みたいなツラしてさ、弥生ちゃんをただ否定するだけだった」
「話さなかったもの。私の事を話しても、聞いてもいない貴女の否定に、どうと言える筈もないわ」
「ねぇ、弥生ちゃんはどうして今も戦うの? 止めちゃえばいいじゃん。アタシみたいに。戦う事以外の道を教えてくれた大人がいるじゃん。なのに、どうして?」
「私は年齢的にも若くて、将来性という点においては、確かに四九の仕事を私がするべきではないのかもしれない」
だったら、と言葉を投げようとした遥香の言葉を遮るように、弥生の言葉は続く。
「私はそうして戦う人たちの命を犠牲にして、ウェストの許しを得て、生き残った。生き残った私には、生き残る事が出来なかった人達に代わって、戦う義務がある。……この考えは自分勝手かもしれない、独りよがりかもしれないけれど、戦う理由を与えられた者は、それに相応しい戦場に出るべきなの」
「……ホントに自分勝手だよ、そんなの。アタシも戦わなきゃ、ただの愚か者って事になんじゃん」
「安心してほしい。私は貴女を戦うに誘うつもりは毛頭ないの。ただ、覚えていてほしい」
僅かに、空白が開く。
その空白で、彼女は――弥生は、いつも見せることのない笑顔を、遥香に向ける。
「私という友達がいた事。私という、何時だったか共に戦った魔法少女がいた事。貴女には、それを忘れないでいて欲しいだけ。……それだけで、貴女には生きる価値があることになる」
「なんで……なんでそう、突拍子もない方向に全力疾走なのさアンタは。まるで、死にに行こうとしてる兵隊の言い分じゃん。アタシ、命を大事にしない奴はキライだって言ったよね?」
「これも貴女が言った事じゃない。『私は私が守りたいモノを、自分なりに守れればそれでいい。お金なんか要らない。お仕事じゃなくたっていい。私は、この守れる力を持って、皆を守りたい』と。……私は気付いてほしいの、遥香に」
「何を」
「私が何より守りたいのは貴女なの。貴女の幸せなの。貴女の人生なの。他には何もいらない。お金だって、これからの生活だって、戸籍だって、何もかも投げ出せというなら、私は命だって投げ出すわ。
レックスがまた現れた時、貴女と共に戦えるかもしれないって考え、私はとても嬉しかった。だから貴女と再会した時は本当にガッカリしたけれど、貴女の傷ついた心を覗き見れて、そんな気持ちは吹き飛んだ。
むしろ、貴女を私が守らなきゃと思えたから。
私は今、とても嬉しいわ。貴女が、私の様な、死ぬことに前向きになった女になっていなくて。貴女を守ることの出来る力が私にあって、その為に力を振るえる。それが何よりも幸せなの」
本当に、本当に幸せそうに。
弥生はそう言って、顔を赤め、照れくさそうに、笑ったのだ。
何故、そう笑えるのだろう。
死ぬのは怖い事だと分かっているだろう。
死ぬ程の経験をしたのだから分かっている筈だろう。
なのに何故、何故と。
遥香は俯き、涙を流しながら。
想いを告げてくれた少女へ、何を言うべきか、ただそれだけを、考えていた。
「……アタシは、考えてばっかだ」
「……遥香?」
「考えなしじゃいられないから、アタシは戦うことを止めた。戦うっていう事は、人だって傷つける、殺め得ることだって、気付いたから、アタシは戦うことを止めて、考えることを始めた。結果として戦う事のない日常に戻った事に、アタシは後悔なんかしてない」
「ええ、そう。貴女はそうして戦う事のない日常を手に入れ、私は貴女を守るための非日常を続ける。それでいい。それでいいじゃない。何がいけないというの?」
「それで本当に正しいのか、考える事を止めちゃったら、ほんとにアタシは考えなしになっちゃうんだよ。戦うことを止めたなら、せめて考えなしだった自分を変えたい。そうでありたい、そうでなけりゃアタシは」
前に進めないと、そう言おうとした瞬間。
頭の中に過ったのは、ずっと遥香の隣に居続けてくれた、ベネットの姿。
何故今、彼女の姿が頭に過ったのかを考える。
けれど、答えなど出ない。
出ないけれど――考えることを、やめたくない。
「遥香」
「何」
「私、行くわ」
「どこに」
「レックスが出現したみたい」
いつの間にかスマートフォンを片手に立ち上がっていた弥生が、一万円札を机に置いて、飛び出していく。
「弥生ちゃんっ」
「――大丈夫。貴女の日常は、私が守る」
去っていく弥生の肩に、もう少し手を伸ばせば届きそうだったけれど。
遥香はしかし、手を下す。
お店を出て、どこかへと向かっていく彼女の背中だけを見続けて、ただアイスコーヒーに視線をやる。
「……また、溶けちゃった。氷」
もう一度、コーヒーを頼むことにしよう。
今度は、冷めても美味しさが残るように、ブレンドコーヒーを。
――この店のコーヒーは、美味しい。
――少し、涙の味はするけれど。
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