第13話

授業が始まって二十分ほどして、あかねが教室に入ってきた。

「おはようございまーす」

なっ!?

遅刻してきたくせに、なんて堂々と挨拶するヤツなんだ。

「ああ、おはよう」

先生も普通に挨拶を返しているから、茜は遅刻の常習犯で、もはや注意する気も無いのかも知れない。

「茜、茜」

俺は声をひそめて話し掛ける。

「ん、おはよー」

「いや、お前、遅刻だぞ?」

ほとんどどの先生は、一時間目の授業が終わる十五分前までに来たら遅刻はつけないよ?」

は?

なんだそのローカルルールは?

「私、バイトが終るの五時だし、そこから学校まで二十分以上かかるし」

一時間目が始まるのは五時十五分だ。

五時上がりの仕事が多いとしても、五時ちょうどに職場を出られるわけでもないだろうし、よほど学校の近所でないと間に合わない。

かといって始業時間を遅らせると授業終了も後ろにずれるから、高校生としては帰宅時間が遅くなる。

……そっか、何事も規則通りじゃ回らないよな。

たとえ遅れて来ても学ぶ気のある生徒は卒業させてやりたい。

だからこの措置は、規則ではなく先生達の配慮なのだろう。


一時間目の後の休み時間は少し長い。

一応バドミントン部らしい茜は溜り場になってるという部室に行き、俺はスミちゃんと連れ立って歩く。

基本的には生徒の動線にしか明かりは灯っていないので、校舎の大半は暗く、中庭なんかは真っ暗だ。

体育館横には学食があって、そこは明るく、この時間は安価に夕食が食べられるようになっている。

職場から直行で登校する生徒が多いから、当然、家で弁当を作ったり何か食べてきたりしていない。

これも、そういった生徒達に対する配慮だ。

勿論これは、先生達の考えじゃなくて、行政? とか公的機関の考えることではある。

ただ、こうした待遇があることで、あおいが引け目を感じる気持ちがよく判る。

葵は働いていない自分を、事あるごとに卑下するのだ。

「ねえスミちゃん」

学校から帰って何も食べずに学校に来た俺は、学食を利用することにした。

生徒数は少ないし採算も取れるとは思わないから、基本、一種類の定食しか選べないことに文句は無い。

「なに、クソ日向ひなた

スミちゃんはお腹を空かせていないらしく、黙って俺が食べるのを見ていた。

何だか楽しそうな表情をしていたのに、話し掛けると途端とたんに不機嫌そうな顔を作る。

「スミちゃんは、バイトとかしたことある?」

「あ、あるけど」

何故かうつむき加減で声も小さくなる。

「へー、どんな?」

チラッと俺をうかがうように見てから、ボソッと呟くように言う。

「……家事手伝い」

かわいー。

いや、まあ可愛いから働かなくてもいいってことでは無いから、定時制内においての立場は無職だが。

「それってバイト代は出るの?」

スミちゃんは首を振る。

お嬢様だし、家事手伝いというのも本当にちょっとした手伝いレベルなんだろうな。

「……それが、条件だし」

「条件?」

「定時制に行くための」

そう言えば昨日、そのことを訊くつもりだったんだ。

スミちゃんの家ほど裕福なら、学力がダメでもどこかの私学へ入れるのが普通だろう。

そもそも、親が定時制を許すとは思えない。

実際、定時制にも色んなタイプの人がいるとはいえ、スミちゃんの持つ雰囲気は明らかに浮いている。

「何でスミちゃんはここに?」

「わ、私は、えっと……ど、どうして私がクソ日向の疑問に答えなきゃならないの!」

一瞬、恥ずかしげな素振りを見せたかと思ったら、開き直ったかのように突っかかってきた。

「クソ日向の方こそ、どうしてこの学校なのか答えなさいよ」

そして何故かふんぞり返る。

「まあ、家からいちばん近いし」

「ふん、クソみたいな理由ね」

多分、スミちゃんは見抜いているだろう。

家からいちばん近いということは、葵が最も通いやすい学校ということでもある。

「で、スミちゃんは?」

「しつこいわね。私はほら、あれよ、高い? 立派な? そんな感じのほら」

どうやら言葉が出てこないようだ。

ふんぞり返るポーズを忘れて、もどかしげに身体を揺する。

子供みたいだ。

「崇高な?」

「そうそれ! 崇高な理由があって選んだの!」

「……どんな?」

「えっと、ほら、しょ、庶民の生活ぶりを、後学のために?」

「そこまで究極のお嬢じゃねーだろ!」

「う、うるさい! そんな恰好でその口調なんて気持ち悪いだけなんだから死んで! 百年後に!」

スミちゃんの要求を満たすためには、あと百年生きねばならんらしい。

結局、彼女の口から出てくる悪口は、俺を苦笑させたり、何だか楽しいような気分にさせるだけだ。

「条件は厳しいの?」

「え?」

ほら、スミちゃん自身、本気で怒ってるわけでもなければ、俺を憎悪してるわけでもないから、すぐにあどけない顔になる。

「定時制に通わせてもらう条件」

色素が薄いのか、髪や瞳は少し茶色みを帯び、肌は抜けるように白い。

唇の色も、濁りの無い淡い桃色だ。

まるでお人形さんみたいだけど、その表情はコロコロ変わって縫いぐるみのような愛らしさもある。

「家族のぶんの朝ごはんと、父がお昼に食べるお弁当を作って」

「うん」

「庭の雑草を抜いて」

「へー、あの広い庭の」

「家の掃除をして」

「あの大きな家を全部?」

「トイレも、お風呂も」

結構な重労働かも知れない。

「母と私のお昼ごはんを作って」

確か、スミちゃんのお母さんも綺麗な人だった。

仲睦まじく二人で食べるのだろうか。

「午後は掃除の続きと、一応……勉強」

一応と自信無さげに付け加えるところが可愛らしい。

「晩ごはんの下拵したごしらえまでしたら、学校に」

案外と厳しい。

両親としては定時制を断念させるつもりで出した条件だろうが、スミちゃんはそれを今まで続けているのだ。

「どうして、そこまでして?」

「……私はクソ日向みたいに、ペラッペラに薄くて軽くて簡単に他人と話せるタイプじゃないし」

「コミュニケーション能力と言ってよ!?」

「私は繊細で臆病で下々の人とは判り合えないし」

「人見知りをこじらせてるだけだよね!?」

「だから」

「だから?」

「クソ日向やアオちゃんや、苺ちゃんがいる学校がいいなって」

「いや、葵はともかく、俺と苺は全日制だって判ってただろ?」

「判ってたけど、同じ学校だし……」

コイツ、本当に人付き合いが下手だな。

多分、中学でもずっと浮いてたんだろう。

「ったく、葵のヤツもスミちゃんがいるならもっと早く言ってくれればいいのに」

「それは、私が言わないでって言ったから」

「どうして?」

「だって、クソ日向と会ったら耳も目も腐──」

「全身腐らせてやる~」

「っ~~~!!」

あ、つい女の子同士の感覚で抱き着いてしまった。

外見を変えると、中身まで変わってしまうのだろうか──ってイテッ!

か弱いヘロヘロのパンチが飛んでくる。

「ちょ、スミちゃん、落ち着いて! ゴメンって!」

「うっさい! 死ね! 百回くらい死んで何度も何度も転生してびに来い!」

ペチペチ殴られながらも、俺は笑ってしまう。

どうやら俺は、スミちゃんのために百年生きて、百回死んでも甦らなきゃならないようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る