5-7 秋の花火

「何やってんの」


 振り向くと、ヒロが立っていた。

 マンションの階段に一人でぼんやりと座っていたのに、いつもエレベーターを利用するのによく見つけられたなあ、と少し感心する。

 何をやっているわけでもなかったし答えようもなく黙っていると、彼は私のとなりに同じように座った。


「撮影してた?」


 足下に置いていたカメラが入ったバッグを指差して訊かれ、首を振るようなうなずくような、中途半端な反応を返してしまった。


「しようとしたけど、できなかった」

「……気持ち悪くなった?」


 今度は小さくうなずく。

 このあいだ、アルバム用の写真撮影のときに体調が悪くなったあと、私はヒロに話した。あれから、カメラやレンズを向けられるのが怖いということを。

 昨日今日と、一人で動画を撮影しようとしたけれど、どちらも学校のときみたいに吐き気がこみ上げてきて、踊れなかった。


「兄貴、撮影誘っても亜紀羅が断るから不思議がってた。今まで声かけたら絶対一緒に踊ってくれたのにって」

「だって……踊れない」

「兄貴に相談すればいいじゃん」

「志紋くんに相談したってどうにもならないじゃん」

「俺には話したのに?」


 足下を見ていた目線を上げて横を向くと、困った顔をしたヒロと目が合った。


「ヒロと志紋くんは違うじゃん」

「……まあ、うん」


 志紋くんは、私がカメラが怖くて踊れないと言ったらどんな反応をするだろうか。

 たぶん、明るく笑って手を引いてくれる。大丈夫だよ。きっと踊れるようになるよ。俺と一緒に踊ったらいけるかもしれないよ。そんなことを言って励ましてくれるかもしれない。

 でも、そういうことを望んでいるわけじゃない。なんかもっと放っておいてほしいというか、上手くいえないけど、もっと……。


「……明日の夜さ、時間ある?」


 唐突なヒロの質問に考え事から我に返り首を傾げる。


「あるけど、なに……?」


 質問の意図がわからなくて、おずおずと答えると、ヒロはゆっくりと立ち上がった。


「じゃあ、出かける準備しといて。つっても手ぶらでいいから」

「どっか行くの?」

「うん」


 頷いただけで、ヒロはさっさと帰っていってしまった。説明不足なんですけど!

 どこに行くつもりかくらい教えてほしいよ……。





「その子誰? 志大センパイの彼女?」


 いかつい金髪の男子に凝視されて、びびった私はヒロの背中にそーっと移動した。私の怯えに気づいているのかいないのか、ヒロのほうは至ってのんびりした口調で「となりに住んでる子」と雑に私を紹介した。

 約束通り翌日の夜、夕飯後に迎えに来たヒロに連れてこられたのは中学校近くの川辺。

 しかもヒロの友だちと思われるちょっとヤンキーぽくて怖そうな男子とか、ギャルみたいな女子とかが数人いて、明らかに私は場違いだ。

 こんなところに連れて来て、どうしてくれるつもりだ奈津田志大め……。

 心の中でヒロに文句を言っていると、一人の女子が駆け寄ってきた。


「あーっ、澤ちゃんじゃん! 志大くんと一緒に来たのっ?」


 暗くて顔がよくわからなかったけれど、彼女が私の目の前に立ったことで、私も相手が誰だか気がついた。

 田中さん。同じクラスの女の子だ。明るくクラスでも中心的立ち位置にいる彼女とあまり喋らず目立たない私では、お互いタイプがまったく違うから数えるほどしか会話したことがないけれど、この子もヒロと仲良いグループの一員だったのか。意外だ。

 タイプが違うとはいえ特に嫌われているわけではないようで、田中さんは屈託なく笑って私の手を取りぶんぶんと振り回した。


「誘われたから来たはいいけど、男子が多いからさ~、澤ちゃん来てくれて超嬉しいな~」

「あ、う、うん。あの……これ、今日何するつもりなの?」


 超歓迎モードの田中さんに戸惑いながら尋ねると、彼女の大きな目がきょとんと丸くなった。


「え? 聞いてないの? 花火だよ」

「花火……?」

「そう。志大くん、ちゃんと説明しなかったんだ。わかるように話せって話だよね。あたしなら一発蹴り入れるかなー。澤ちゃんはおしとやかだからそういう乱暴なことしないか。あたしも見習お」

「あ、あはは……」


 ヒロにはたまに肘付きをくらわしたりしていること、黙っておいたほうがいいかも。

 結局、川辺に連れてこられたのは花火で遊ぶ会のためだった。

 バケツに汲まれた水に囲まれ、大量に持ち込まれたコンビニによく売られている花火を私を含むみんなが次々に消費していく。

 夏休みに誰かが買ったけどやるのを忘れていたものらしい。

 男子たちが大騒ぎしながら両手に持った花火を振り回している横で、線香花火をちょろちょろと光らせる。

 しゃがんでその光をじっと眺めていると、気分が落ち着く。

 昼間や学校では絶対に見られない、めったにない暗闇の中の淡い光に目を奪われそらすことができない。

 そうしてじっと見ていると光は次第に弱くなっていって、ぽとりと地面に落ちて消えた。なんとも言いがたい空虚感だけがその場に残る。


「消えちゃったね、はい」


 顔を上げると田中さんがすぐそばに立っていて、私に新しい花火を手渡してくれた。

 彼女が持っている花火の火をわけてもらい、再び光をともす。

 田中さんは私のとなりにしゃがんでにこりと微笑みかけてきた。丁寧にカールさせたまつげが長くて綺麗。


「澤ちゃんと志大くんって付き合ってるの?」


 唐突に投げかけられた質問にぎょっとして田中さんを見る。首をぶんぶんと横に振った。


「あ、違うの?」

「違うよ。家がとなりだからよく一緒にいるけど、親友や家族みたいな感じ……かな。ヒロがどう思ってるかはわかんないけど」


 私よりも信頼できる親友が彼にはいるかもしれない。私よりも姉のように、妹のように親しく接している女の子がいるかもしれない。例えば田中さんはヒロにとってどんな存在なのだろうか。


「志大くんは親友だとか家族レベルじゃなくて澤ちゃんのこと、好きだと思うなあ。だから付き合ってんのかと思ったんだけど」

「ヒロが恋愛的な意味で私を好きってこと? 多分ないよ。むしろ田中さんや普段ヒロと仲が良い人たちの誰かとヒロが付き合ってるかもなあって思ってたんだけど」


 言いながら彼女から目をそらした。確かにヒロはときたま、不思議なくらい優しいときがあるけれど。今日だってそうだ。きっと私に元気がないからここに連れてきてくれたのだろう。

 だけどそういった彼の行為の元となっている感情が親友にせよ家族にせよ、恋愛にせよ、ヒロが私をどう思っているかなんて、わからない。

 花火に視線を戻した私の耳に田中さんの苦笑混じりな声が入ってくる。


「あたしの彼氏は、あそこ。今、志大くんと花火で攻撃し合ってる金髪」


 彼女が指差した先には、ここについて最初に「ヒロの彼女?」と声をかけてきた男子がいた。


「そうなんだ!? 知らなかった……あの人学校で見たことあるけど三年生じゃないよね?」

「二年だよー。見たことある? 目立つよね。保育園からの仲なんだけど、気が付いたら怖ーい不良グループの一員になっちゃってるしさあ。今日、あいつに誘われて来たけど知り合いなんかほとんどいないし正直不安だったんだ。澤ちゃんいてくれてよかったー」


 そう言って田中さんは笑った。彼女自身は不良でもないのにここにいるわけが、大体わかった。彼女たちも私たちと同じ、幼なじみだったんだ。

 私は金髪の彼を怖いと思ったけれど、ヒロは無邪気に笑って彼とじゃれ合っている。

 私が知らない、ヒロの友達。彼が見ている世界。こういうものなんだ。


「友達といるときのヒロってどんななんだろ」

「え?」

「私さ、家にいるときのヒロしか知らないから。不良のグループに入って喧嘩とかしてるのは少しだけ聞いたことあるけど……。田中さんはヒロのこと知ってる?」


 私の質問に田中さんは、うーんと唸りながら斜め上を見た。


「あたしも知らないけど……彼氏が、志大センパイは物静かで優しいって前に言ってた。あと、ケンカしたら強いって」

「……強いんだ」

「らしいよ。前に他所の学区の中学のグループがうちの中学にケンカ売ってきたことがあって、あたしの彼氏や何人かが巻き込まれたことがあったんだ。そしたら志大くんが、向こうの学校の人たち返り討ちにして追い返したんだって。彼氏はそれから志大くんの大ファンよ。実際には軽く怪我させただったんだけど、他校生を病院送りにしたって噂が立っちゃって、今じゃ一目置かれる存在だってさ。本人から聞いてない? 警察も出てきちゃって少し大ごとになった事件なんだけど……」


 初耳の話に絶句する。家にいるときは寝てるかお菓子食べてるかゲームしてるかだから、そんなに運動もできないと思っていた。喧嘩してるっぽいのは知ってたけど、大して戦力にもなってないんだろうと勝手に想像していたけど、喧嘩強いんだ。


「警察の話までは……聞いてない。補導されたことがあるのは聞いたことあるけど」

「そりゃ、言ってないし」


 突然後ろからヒロご本人の声がして、田中さんと二人で飛び上がった。

 火が消えたあとの花火のゴミを両手に持ったヒロが、私たちを見下ろしていた。


「亜紀羅いい子だから、俺のやったこと洗いざらい話したら軽蔑するだろ」

「しないけど。……いや、軽蔑はしないけど喧嘩やめときなよとは思うよ?」

「ほら。まあでも、もうなるべくやらない。俺も人殴るの痛いしだるいし」

「なるべくってなに、なるべくって」

「向こうが殴りかかってきたら、自己防衛」

「まず殴りかかられないようにしよう!?」


 言い合っていると、田中さんがちょっとだけ笑った。


「やっぱり、仲良しだね。……あっ、それロケット花火!? あたしもやる!」


 田中さんが走って離れていってしまうのをヒロと黙って見送る。


「二人もやろうよー」


 声をかけられ、二人で顔を見合わせて田中さんたちのところに歩いていく。

 最初は場違いだって思ったけど、案外居心地が良いし、私も溶け込めている。


「……楽しいな」


 辺りに飛び交う火の光を眺めながらそっとつぶやくと、ヒロが私の肩を軽く叩いた。


「楽しいなら、良かった」


 目の前でロケット花火が火花を散らして暴れ始めた。


「うわ!」


 火をつけたらしい田中さんが飛び上がって離れる。

 私も笑いながら後ろに下がって火花から逃げた。同じように驚いて半歩下がるヒロを見ると、目が合った。

 安心したように私を見るヒロに向かって思いっきり笑いかける。


「楽しいよ。連れて来てくれてありがとう」


 花火の派手な光が私とヒロと、それから田中さんやみんなの顔を照らす。

 私の顔をじっと見て、ヒロもやっとくしゃりと笑う。


「田中さん、私もロケット花火やりたいー」

「こっちにまだあるよ! はい」

「ありがと」


 受け取った花火を地面に置く。ヒロが導火線に火をつけるのを手伝ってくれながら、口を開いた。


「あのさあ、やっぱさ。消えてもいんじゃね?」

「え?」


 ヒロに点火用の火をもらい、首を傾げる。


「今みたいにさ、楽しいことなんかいっぱいあるじゃん。体、おかしくなるほど頑張って踊んなくていいじゃん」


 消えてくれ。一瞬浮かんだ刃のような言葉は、私に語りかけるヒロの優しい声にかき消される。


「踊るのなんかやめて、画面の中とか動画の世界から消えちまえよ。亜紀羅がもっと楽に生きられる場所、他にあるだろ」

「……」


 私は黙って火をつけた。

 ヒロと二人で離れた直後にロケット花火が私たちとは反対方向に飛んでいく。

 見ていなかった男子数人が「うおぉ」と声を上げながら逃げていく様子がおかしくて、思わず笑みを浮かべた。


「そうだね、やめようかな」


 どうして、あんなに必死になって踊らなきゃいけない、撮影しなきゃいけないって思っていたんだっけ。なんでだっけ。

 ヒロは踊ったりなんかしないけど、こういう人たちといつも、楽しく過ごしてるんだ。

 この場にいると、今までの私が馬鹿みたいに思えてきた。

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