5-5 呪いにかけられて

 志紋くんと花林糖さんに会ってから数日後、なんとか昔みたいに笑ってみようと思って無理して楽しそうに一人で踊った。撮った動画はなんだか逆に悲壮感が漂っていた。

 見た人の反応が怖くなってきて、結局その動画をお蔵入りにした。

 花林糖さんはああ言ったけれど、私の動画へのコメントは私が楽しそうに踊らないことへのネガティブな反応だけではない。


“シモンにべったりのブスJC”

“シモンに媚びるな、立場わきまえてひとりで踊ってろ”

“ていうか消えてくれ”


 消えてくれ。

 その文字が目に入ってきた瞬間、ふるりと私の身体が震えた。

 志紋くんとしか一緒に踊ったことがない私は、いつの頃からかこういう書き込みをよくされるようになった。

 そうした書き込みの存在は、志紋くんも知っている。けれど、私が何か言う前に彼は大したことではないように、言っていた。「気にしたら負けだよ」と。

 踊り手のシモンは、私とは違う。ただ楽しそうに、踊り続けるだけだ。優しい言葉をかけてくれる人たちだけのほうを向いて。

 本当は心無い言葉に傷つくこともあるのかもしれないけれど、どの角度からのぞき込んでもまったく傷ついてなんかいないように見えて、いつだってピカピカ、キラキラしている。

 それが彼のやり方。ときどきついて行けないと感じる、彼の。

 だから志紋くんにはこれ以上相談できない。弱音を吐けない。

 そしてこっちの気も知らずに、次の曲を踊ろうと誘ってくるのだ。

 結局そういうのを聞いてくれるのは、いつも近くにいてくれる部外者、ヒロだ。


「亜紀羅、どうした?」


 塾に行くためにマンションを出ると、駐輪場で自分の自転車にまたがったままスマホをさわっていたヒロは、私を一瞥して顔をしかめた。

 私もヒロも、今から塾の夏期講習だ。早く高校受験、終わればいいのに。

 せめて夏休みさえ終われば学校が始まって、塾に缶詰状態からは解放されるのだけど、新学期までまだ二週間ほどはある。

 そして私の頭の中には、まださっきみた言葉が渦巻いたまま。


「どうしたって、塾行くんじゃん」

「そういうんじゃなくて、元気ないからどうしたって聞いてんだよ」

「……」


 この幼なじみは、私のことをよく見ている。私がどんな気分が目敏く察しすぎるところがちょっとキモい。とか思いつつ嬉しさもないわけではないんだけど。


「……あのさ」

「おう」

「私、志紋くんにそんなにベタベタしてるかな」

「は? 小学生の頃と比べたらしてないんじゃね」

「ブスの中学生かな」

「え? は? え?」

「……消えたほうが、いいのかな」


 まだ、私を支配している。消えてくれ、の五文字が。知らない誰かにいなくなってほしいと思われていることへの、恐怖が。

 自然と俯いていた私の頭や首を、真夏の日差しが容赦なく焼く。それでも動く気が起こらなくてじんわりと汗をかきながらぼんやりしていると、ヒロのかすかなため息が聞こえた。


「そういうこと、動画に書き込まれてんだ?」

「……うん」

「殺す」

「え!?」


 物騒な単語に顔を上げると、ヒロは瞳をぎらぎらさせて空中を睨んでいた。あまり見ない攻撃的な顔に、驚く。そういえば彼は度々他の不良と喧嘩して勝っている少年だということを、ふいに思い出した。

 しかし目が合うと、すぐにその攻撃性は引っ込み、ただ優しいだけの表情になる。喧嘩負けなしで恐れられているらしい奈津田志大じゃなくて、私がよく知っている、眠そうで怠そうで塾の夏期講習で爆睡してる、ヒロ。

 彼は慌てたように言い添えた。


「いや、マジで殺すとかじゃなくて。亜紀羅をブスとか消えろとか言ったやつ、殺してやりたいくらいムカつくってこと。怒ってる」


 なぜか泣きそうになった。目の奥に力を入れて我慢する。


「ヒロは怒るんだ」

「え、ダメ? 怒りっぽい男、嫌いだったりする?」

「……ううん。ありがと」


 私は多分、怒ってほしかったんだ。気にしたら負けだなんて大人の返答を聞くよりも前に、こんなことを書くなんてひどい、許せないって。一緒に怒ってもらいたかったんだ。


「ありがとう……ヒロ」


 もう一度お礼を言うと、ヒロは照れ臭そうに首のあたりを掻いた。


「なんのありがとうかよくわかんねーけど。亜紀羅は……消えていいわけないし、あと、余裕で可愛いから」

「ありが……余裕でって何?」

「……特に意味は、ない」

「どゆこと?」

「うるせえな、ギリギリ可愛いんじゃなくて、間違いなく可愛いっていう……!」


 説明しているヒロの耳がみるみるうちに真っ赤になっていくから、こっちまで体温が急上昇してきたような気がする。なんか、聞きかえさなきゃよかったかも……。

 おかしくなりかけていた空気を元に戻したのは、ヒロのスマホの振動だった。


「……あ、後輩から連絡」

「なんかあったの?」

「今から隣町の中学の奴らに喧嘩ふっかけに行くらしい。暇なら助っ人来てくれって」

「えー……危なくない? 行くの?」


 前々からヒロが人付き合いを優先して塾に行かないということは何度かあった。

 今回もそんな感じかな。せっかくだから一緒に行きたかったけど、まあ成績が上位クラスのヒロとは教室も違うし、正直彼はさぼっても問題ないくらい勉強できてるし。怪我とかしないか心配ではあるけど、ヒロのことだからなんだかんだで大丈夫な気もするし……。

 一人で行くか、と自分の自転車を駐輪場から引っ張り出そうとしていると、ヒロが「いや、」と言葉を発するのが聞こえた。


「今日は、塾のほう行こっかな」

「いいの?」

「いい。だいたい中三はみんな、あんま補導されたら受験に響くっつって喧嘩は控えてる。俺もグループの主導権は後輩に譲ってもう引退してるし。助っ人する義務もねえし」

「不良グループに引退とかあるの? 部活みたいだね」

「そんなほのぼのした返ししてくんの、お前くらいだわ」


 彼はスマホをしまって彼の自転車を私のとなりに引っ張り出してきた。


「途中でコンビニ寄って昼ご飯買っていい?」

「いいけど、あんまり時間ないよ」

「じゃあ飛ばして行こー」

「あ、待って!」


 走り出すヒロの自転車を慌てて追いかける。

 私と同じ塾のほうを選んでくれたのが、ちょっとだけ嬉しくて踏み込むペダルに力を込めた。



 数日後、志紋くんに誘われて二人で踊ったのは、珍しく暗くて激しい曲調の曲だった。

 曲の雰囲気的に、笑っていなくても自然に見えるのは、私にとって好都合だ。普通の顔をして、必死に踊っていればいい。

 そう言い聞かせながらうつむいて曲のイントロが始まるのを待つ。

 耳に音が流れこんできて体に緊張感が走るのを感じながら、志紋くんと事前に決めた分のカウントを取り、顔を上げて体を動かし始める。

 最初のタイミングは志紋くんとばっちり揃っていたと思う。

 予定通りに踊り始めることができた満足感と、これからミスをするかもという緊張感を同時に感じる。

 志紋くんが考えてくれたかっこいい振り付けを、心を無にしてこなしていく。

 わざと怖い顔をするのはおかしいけれど、少なくとも無理に笑うことなく普通の顔で踊っていられるのは楽だし、見る人たちも違和感はないと思う。となりの志紋くんをたまにちらちらと見ると、曲のイメージに合わせて基本的には笑わない。けれど、ときおりふっと楽しそうな笑顔も見せる。それはそれで、全体的に暗い動画が華やぐような感じがして、踊りの雰囲気を損なうことなくしっくり来ていた。

 長くて短い数分間が終わり、最後のポーズを決めて動きを止めると、目の前のカメラがふと目に入った。

 踊っているあいだは夢中になって忘れていたけれど、撮影していたんだ。

 今の動画は編集されて、公開される。いろんな人が、見る。

 また何か、下手とかブスとか言われるだろうか。

 また志紋くんと踊った。それも何か、言われるだろうか。

 コメントに何を書かれるのか、見るのも今ここで想像するのも怖い。

 踊っているあいだは忘れられたのに……。


 消えてくれ。


 また、あの言葉が脳裏をよぎる。


「アッキ?」


 同じポーズのまま固まっていた私を不審に思ってか、志紋くんが戸惑ったように名前を呼ぶ。

 それで我に返った私はポーズを解いた。


「あ……えと、上手くいったね。お疲れさま」

「?……うん、おつかれー」


 いつものように私とハイタッチをして、志紋くんはカメラを止めた。

 何かがおかしかった。私の体は強張ったままで、手足の指先は夏なのに冷え切っていた。




 ちょっとした事件が起きたのは、その撮影の日から数日後だった。

 そのとき私は自分の部屋で英語の問題とにらめっこしていた。

 大抵は家にいるお母さんは、久々に会う友人とごはんに行くと言って家を出ていた。私は留守番係ということだ。

 長文問題に出てきたわからない英単語を、なんだっけこれ……と顔をしかめて眺めていると、インターホンの音が聞こえた。

 問題から顔を上げ、部屋を出て玄関に向かう。セールスとかだったら嫌だな。

 警戒しながらドアを開けると、立っていたのはヒロだった。


「どした?」


 ヒロは何かに焦っているのか、早口でこう言った。


「なんか、服、貸してくれない?」


 ……はい? なんて?

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