4-4 お見舞い

 インフルエンザは三日ほど寝れば完全に熱は下がり、学校にも行けそうなものだったけれど、まだ出席停止期間のため私は元気な体を自分の部屋の中でもてあましていた。

 東さんからの連絡は素早く、私以外のハルちゃんねるのメンバーは私が寝ているあいだにもう一度彼女と面談することになった。それが文化祭から一週間後の土曜日。

 私ももう月曜日には学校に行っていいわけだし、一緒に行こうと思っていたんだけど、「まだ家でゆっくり安静にしていたほうがいいよ」というハルの気遣いと「なんのために出席停止になってんの? インフル菌を撒き散らさないためだろ。来んな」というヒロの冷たいお言葉により、私は晴れて留守番となった。

 ヒロの言葉の裏に優しさがあるのはわかってるつもりだけど腹は立つ。次に会ったらデコピンしてやりたい。

 そんな幼なじみへの怒りにふつふつと燃えて過ごした土曜日が終わり、日曜日。まだだらけてごろごろしている私をハルが一人で訪ねてきた。


「久しぶり。もう体調大丈夫? これお見舞い」


 高価そうな菓子折をありがたく受け取ってリビングにいるお母さんに預けると、お母さんの表情がいつにもまして楽しそうだ。おそらく、同じくリビングにて妙にそわそわしながら本か何かを読んでいるお父さんの観察に勤しんでいるからだろう。

 ハルが来て挨拶してから様子が落ち着かなくなった。


「晴くん、亜紀羅のお部屋にあがっていくでしょう? あとでいただいたお菓子、お茶と一緒に持っていくね」

「あ、そんなお気遣いなく!」


 ハルとにこやかに話すお母さんと一瞬目が合ったから、お父さんにハル=彼氏という誤解を与えるなという意志を込めて睨んでおく。笑ったままうなずかれたけれど伝わったのだろうか。


「ヒロと芙雪も一緒に来れたらよかったんだけど、どっちも今日は塾の模試とゲームの練習だってことだし、俺だけ来たよ」

「ありがとう。面談どうだった?」


 ハルを部屋に通してお互いにローテーブルを挟んで座り、落ち着く。一応、ジュニア事業部のユーチューバーとして所属する方向で決まった、というざっくりした結果は昨日の夜に連絡をもらったけれど、どんな話をしたとか、もっと詳しく聞きたいと思っていた。たぶんハルもそのつもりでお見舞いに来てくれたのだろう。


「事務所のビル、すんごい広かったよ。……それで、そのときに言われたことで話があってさ」

「何?」


 今度の面談はクリエイション・オブ・クリエイションの東京オフィスに呼ばれてのものだったのだ。だからちょっと羨ましい。ここから東京まで電車で二時間かからないくらい。高校生の身分では気軽に行ける距離ではないし、ユーチューバーの事務所という一つの会社の中なんて滅多に入れるものでもない。

 だから、もっとうきうきと昨日の報告をしてくれるかと思っていたのだけれど、ハルの表情はなんだか冴えなかった。あんまり楽しくなかったのだろうか。それでも、気を取り直したように彼は口を開く。


「えーっと、何から話そうかな。まず、芙雪がゲームのチームに所属するかどうかについては、相談したら芙雪の試合が終わってからもう一度話し合おうってことになった。芙雪が両方掛け持ちするにしても、最悪メンバーから脱けるにしても、ハルちゃんねるのジュニア部所属はさせてくれるって。それと、あの……さ、あとはさっちゃんには謝んなきゃいけないことがあって」


 ハルが言いにくそうに言葉を濁したとこで、ドアがノックして開けられた。


「お話の途中ごめんね~。はい、晴くんが持ってきてくれたお菓子と、紅茶」


 お母さんがローテーブルにクッキーの乗ったお皿と湯気がほんわりと立つマグカップ二つを置いてくれる。ハルの浮かない表情が少し柔らかくなった。


「すみません、ありがとうございます」

「いいえ~。そういえば晴くんたち、昨日東京行ってきたのよね。ごめんねー、この子ったら大事なときにダウンしちゃって」

「あ、全然大丈夫です。亜紀羅さん今日会って元気そうで良かったです」

「みんな来るなって言ったけど、昨日も元気だったよ……」


 怨みがましく私がそう言うと、お母さんが呆れたようにため息をつく。


「はいはい。でもその事務所にお世話になるんでしょ。行く機会なんてこれから何度もあるだろうから一回くらいのことでぐちぐち言わないの。晴くん、迷惑かけるだろうけど、これからもこの子の面倒みてやってね」

「こちらこそ、今後もお世話になります」

「じゃあ、ごゆっくり」


 お母さんが部屋を出ていってドアが静かに閉められる。数秒の沈黙の後、ハルがマグカップに口をつけた。


「あの感じだと事務所の話、さっちゃんのお母さんオーケーしてくれたんだ?」

「うん。もともと私が何やってもほっといてくれる親だし、好きにすればって言われた。ハルのとこは?」

「うちも同じ。むしろ母さんに連絡したら、そういうことを一緒にできる友達ができたんだね良かったって泣かれた」


 あはは、と笑いながら目尻を下げるハル。どことなく嬉しそうな表情を見ていると、この人と仲良くなれてよかったなと思う。けれど、話が本題に戻るとやはり重い口調に戻ってしまった。


「あの、それでさ。さっき言った謝んなきゃいけないことなんだけど……」

「う、うん」


 何を言われるのだろうとこちらも背筋を正して続きを促すと、ハルは言いにくそうに口を開いた。


「東さんたちがこのあいだ高校に来たときに、ジュニア部は正式所属を目指す事業部だって言ってたじゃん。で、昨日そのためには俺らもっと人気にならなきゃね、みたいな話になったんだよ。そのときに東さんが、さっちゃんは踊ってみたの動画でけっこう有名だったんだから、またダンスの動画を出せば見てくれる人もいっぱいいると思うのにやらないの? って聞かれて」

「あ……そう、だったんだ」


 ひやりと胸の奥が冷える感覚がした。普通はそう、思うだろう。踊れるなら踊ればいいのにって。得意なことを披露すればいいじゃないって。

 ……でも、できない。


「さっちゃんの事情、俺たちからなんて説明すればいいかわかんなくて……たぶんやらないと思いますけど、とだけ言った。東さん納得してないかもしれないから、また聞かれる可能性はあると思う」

「それは……また今度自分で言うよ。気を遣わせてごめん」


 元々東さんには動画に出ない理由も踊ってみたをやめて今後もやる気がないという話もするつもりだった。そんなにハルが申し訳なく思うほどのことではない。

 けれど、まだ何かあるみたいで、ハルは「それと、」と続けた。


「まだ九月だから先のことだけど、十二月にはジュニア部のウェブサイトができて、俺らの紹介ページができるんだって。それでそこに、四人で一緒に写ってる写真画像を載せたいって……」


 写真、と言われて、胸の奥が詰まったような感覚になる。


「私も写ってってこと……だよね」

「できればさっちゃんもって東さん言ってた。でも俺たちが微妙な顔してたから、嫌なら無理強いはしませんよ、とも言ってた。その話は一端それで終わったからそれ以上何もなかったけど……」


 ウェブサイトに載ると思うと胃のあたりがムカムカしてくる。

 中学校の卒業アルバム用の写真撮影のときや高校入試のときに願書に貼る証明写真を撮っただけでも体調が悪くなったことを思い出す。

 でも、吐きそうになりながらもなんとか撮ってきた。今回だって少しだけ、短時間だけ我慢すれば。今回だけなら……。

 でも、その写真でさっちゃんがアッキだとばれたら? 今は動画に映らないという方法で距離感を上手く保っているけれど、女子一人が男子メンバー三人と実写で映っていたら、どう思われる? ビッチとか、媚びてるとか、また言われない? 志紋くんのときと同じことを、今度はハルちゃんねるで言われるの……?

 私のそんな願望を塗りつぶすように、薄黒いもやつきが頭を重くする。

 黙り込んで俯いていると、ハルが突然、私に向かって頭を下げた。


「は、ハル!?」

「ごめん、さっちゃん。最初からさっちゃんは動画に出ないって約束で一緒に始めたのに、俺ちゃんと東さんに断れなかった」

「そんな、ハルが謝ることじゃない! 大体、動画と写真じゃ違うし」

「同じだよ。写真だってたくさんの人たちの前に姿をさらけ出すんだから。ごめん。芙雪だけじゃなくてさっちゃんも、全員の弱いところを守るつもりだったのに、全然できてないや、俺」


 強くなるまで、守る。いつだったか芙雪くんに対してそういったハル。そのときのことを、ぼんやりと思い返す。ふとハルを見ると、彼は謝るように頭を下げるのをやめたかわりに、俯いてうなだれていた。

 違う。うちらのリーダーにこんな顔、させたかったわけじゃない。ヒロやみんなに守られてるのはわかっていたけど、自分で強くなろうともしていなかった。だから私は、守られている資格なんて、ないのに。


「……ハル。ありがとう」


 顔を上げたハルと目が合う。いつも強くて明るい瞳が元気をなくしているのを見ると、泣きそうになる。けど、私は笑顔を作った。


「そういうふうに思ってくれていて、ありがとう。写真のこと、私からちゃんと東さんに話すよ。私のことだから。そんなことまで背負ってくれなくても大丈夫」

「ほんとう?」

「うん。ちょっとくらい信じてくださいよ、リーダー」


 ハルに心配も謝罪もこれ以上されたくなかった。私は彼が帰るまでずっと、顔に笑みを貼り付け続けた。

 笑いながら、お荷物という言葉が頭に浮かんだ。

 私のせいで、東さんの提案をひとつ断ろうとしている。

 今の自分は、ハルちゃんねるの活動や人気上昇を邪魔する、やっかいなお荷物かもしれない。


 ハルが私のマンションから自転車に乗って去っていく姿を見送るときも、その姿が点になって見えなくなってからも、その考えは頭の片隅をぐるぐると回っていた。

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